第9話 海を越えて

   海を越えて


「二十年近く前、この街で最初にメイド喫茶をはじめたのは、私なんですよ」

 高齢の半魚人メイド衣装をきたナオミは、疲れきった様子でそう語りはじめた。

「異世界転生をした私は、やる気が漲っていた。若さをとりもどし、人生やり直せるんだからね。無能転生なんて言われ、冒険には適さないといわれるけど、女の私には冒険なんて関係ないことだし、人族が虐げられる世界でも必死で働いて、お金を貯め、お店を開いた。もの珍しさもあって大繁盛したよ。でも、長続きはしなかった。すぐにマネする店が現れて、トドメはこの街の名物、特色にしようって法律まで変えられたことさ。同じようなお店が乱立し、私のお店は埋没した。色々と足掻いただけどね……全部裏目。私もヒザを悪くして、店をたたむしかなくなっちまった。

 もうこの歳になったら飼ってくれる猩族もいないし、高齢で身寄りのない人族を養ってくれる施設がある……と聞いて向かおうとしたときに、一人淋しく丸くなってすわっているこの子をみつけた。転生者には身寄りもなく、無能転生だから何の力もない。この年齢じゃあ、生きる手段をみつけることも難しい……」

 小学生ぐらいの人族の少女――。確かに、生活するだけでも大変だ。

「だから引きとった、と?」

「そんな大層なもんじゃないよ。でも、この子の引き受け先ぐらいみつけてあげるのが、先輩転生者の務めかなってね。それで、この子に昔やっていたお店の衣装を着せて、人族を大切にしてくれそうな猩族がいたら、連れてきなって。私がきちんと判断して、飼ってもらえるようお願いしてあげるって」

 年齢的にみればアイと少女はそれほど離れておらず、しかも同性。人族であるボクをペットにするのも安心を与えただろう。それに、こんな衣装を着させられた少女を哀れに思い、ここまでついてくる時点で飼い主としては合格、ということかもしれない。

「この子を飼ってあげて。お願いします」

 ナオミはそういって深々と頭を下げた。アイも戸惑ってボクをみるが、これは重大な決断となる。ボクもアイを守るといった以上、彼女にとって最善の選択をさせてあげるのが、ボクの役目だ。「明日まで待ってもらえますか?」

 感情論に流されたら、このまま飼ってしまうことになりそうだ。でも、少女にとってもっと良い受け入れ先が見つかるかもしれないし、何よりアイはフリーの冒険者。こうして旅が伴うのだ。幼い少女にそれをさせるのは忍びない、という点もあった。一度冷静になって、考えてみる必要を感じた。

「それは構わないが、できれば早くしておくれ」

 ボクとアイは倉庫のようなそのお店をでてきた。重い宿題を背負わされたが、アイは気遣いができる子、だから悩む。

 宿までもどってくると、タマが待っていた。

「遅かったわねぇ。渡航の手引きはできたけど、船に乗るのは明日になるから、今日はここに一泊するわよ」

 カナリア国ではあまり人族も虐げられていないので、食事も一緒にとることができるが、さすがにお風呂は別だ。人族用のお風呂にいくと、マッチョな浅黒い男たちに囲まれた。

「お前、どこの船のモンだ?」

「え? いや、ボクはフリーの冒険者のペットでこの街に……」

「何だ、船乗りじゃないのか。珍しい」マッチョ男たちは、そういって笑う。どうやら悪い人たちではないようだ。「ボクも人族の人たちと、こんなに会ったのは初めてです」

「航海は危ないから、船乗りは人族が多いんだよ。船の上だと、虐げられることも少なく、自由気ままでいられるし、転生してきたってやる仕事なんてないんだから、まずは船乗りに……ということだ」

 旅をしているときでも、それほど人族をみかけなかったのは、そういう理由もありそうだ。しかし人族と会えて、少し元気をもらえた。そしてそれを知ることで、一つの光明をみつけたような気もしていた。


 部屋にもどると、少し意外なことが起きていた。

 アイが布団に入って、倒れていたのだ。この部屋はスイートルーム。猩族が泊まる二人部屋と、ペット用の小さな部屋が用意されている。アイはその二人部屋のベッドで横になって、具合が悪そうにしている。

「これは海アタリね」

 タマの言葉に「何ですか、それ?」

「人族はどうか知らないけど、私たちは嗅覚が鋭敏でしょ。慣れていない匂いにずっと接していると、気持ち悪くなってくることがあるの。特にこうした浜の匂いがきついところだと、体調を崩す子もいてね。慣れてくれば大丈夫だと思うけど……」

 そういえば、海を見に行ったときも、お店に入ってからも、アイはあまりしゃべらずに、元気がない様子にみえた。これまで、ボクを守ろうと気を張ってきたこともあって、疲労がたまっていたこともあるだろう。それに、ボクが「アイを守る」としたことで、気の緩みもでてきたかもしれない。とにかくジェットコースターのように目まぐるしく流転する中で、ボクたちは短期間で三つの街をめぐって、しかも大きな戦闘を二つはこなしているのだから、疲れがでて当然だ。

 アイは自らを恥じるように、掛け布団で自分の口元まで隠し、真っ赤な顔をして、うるんだ瞳で布団の中からみつめてくる。

「仕方ないわねぇ。ここはアンタに譲るわ」

 タマにそういわれて「え? どういう……」

「隣に寝てあげなさい。ただし! 隣に私が寝ているってことを、お忘れなきよう」

 そう念をおすように言われた。要するに、寄り添って寝ることはみとめても、一線を超えるなよ、と釘を刺されたわけだ。

 離れていたベッドを近づけると、ボクもベッドに入る。すぐにアイはボクにくっついてきて「オニさん…………、オニさん…………、オニさん…………」と小さくつぶやきながら、体をこすりつけるようにくっついてきて、ボクに甘えてくる。

 昔も、家族から嫌なことをされると、ボクが家に帰ったとき、アイはしばらく嬉しそうに飛び回っていても、そのうちグッと体を押しつけてきて、しばらくそのまま動かなくなることがあった。

 ボクの父親はできた人ではなかったので、何かをあげる素振りで手をだして、アイが近づいてくると、その鼻先を叩く、ということをしていた。父親としては単なる悪ふざけ、コミュニケーションの一つだったのかもしれないが、アイにとっては堪ったものではない。特に、犬は群れをつくる動物だ。群れの上位者から嫌がらせをされたら、それは群れを出ていけ、という合図となる。アイがボクに体をくっつけてくるのは『私、ここにいてもいいだよね?』と確認する意味ももっていた……ボクはそう考えていた。そしてそういう日は、必ずボクの近くから離れなくなったものだ。

「オニさん…………」

 今日は気分が悪いということで、すぐにアイも眠ることができないようだ。そのたび、体をもぞもぞと動かしてくるのだが、〝巨〟をつけるには少しおこがましいけれど、決して小さくないそれが、ボクに向きを変え、圧力を変えながら押し付けられてくる。これまではすぐにアイも眠ってくれたので、ボクもすぐに眠ることができた。しかし相手が起きている以上、眠ることができない。

 隣でタマが寝ている……という事情がなかったら、ヤバかったかもしれない。アイは人族からみれば奇跡のような美貌の持ち主であり、それは愛でるだけでも保養になるほどだ。そんな女の子が、一つベッドに入り、体を密着させてくるのだ。

 スイートルームとは、決して『甘い部屋』ではなく、スイートは『つづきの、一揃いの』という意味だ。ドアはないけれど、壁越しにはタマが寝ている。恐らく耳もいい彼女たちなら、隣の部屋で何かコトがはじまれば気づかないはずもなかった。それが抑止力となり、何とか自制できたが、悶々とした一夜をボクは過ごすことになった。


 翌朝もアイの体調は悪そうだった。昼に出港する船にのる、ということで、午前中に昨日の少女について決めておかなければならない。昨日、思いついたプランを話した。

「オニさんが言うなら……」とアイはみとめてくれた。これからの旅にも関わるので、タマにも話すと「好きにすれば」だったので、ボクは一人であの店に向かった。

 今日はさすがに半魚人の衣装を着ていなかったが、ヒザが悪いという店主のナオミは奥にいて、少女が一人ででてきた。ボロ切れをかぶったような服が、この生活のギリギリさを示している。奥に通されると、布団にいるナオミ――。その光景をみると、まるで病気のオッカサンを抱えて、貧乏に苦労する町娘、といったように思えてきた。

「この子は、ボクらが預かります。ただ、ボクのご主人様であるアイは旅をして、その街の依頼をうけて仕事をするフリーの冒険者です。そんな生活をこの子に強いるのは忍びない。そこでボクらが、彼女が働けるような場所、もしくは引き取ってくれそうな相手を旅先でみつけることにします。それでいいですか?」

「そうだね。ここにいたら、どの道、この子も展望を開けやしけない。どうする、ルツ?」

 ルツと呼びかけられた少女は、ボクとナオミの顔を行きつ、戻りつしながら見ていたが、やがて静かに頷いた。了、ということだ。

「ボクたちはカペリンに渡るつもりです。この子とは、離れ離れになりますが……」

 別れを惜しむか? と思っていたが、ナオミは比較的穏やかに言った。

「私と一緒にいたって、いずれ野垂れ死にするだけさ。私は、私の責任を果たしたんだ。それで十分だよ。後は、この子が幸せになってくれてばそれで満足――。どこに居たって、構いやしないさ」

 最後に二人は抱き合って別れた。一時だったとはいえ、二人の出会いだってとても良いものだったはずだ。ただ、ここでは人族に女の子一人を養う余裕がなかった……。だから手放すことになった、という結末に、否応なしに納得しただけのことだ。

「君は、ルツというんだね。よろしく。ボクは『オニさん』と呼ばれているから、それでいいよ。君は転生者だよね。どこから……というか、どの時代から来たの?」

 ルツは首を横にふった。どうやら転生者であることは間違いないらしいが、前の世界の記憶はほとんど残っていないようだ。ここではナオミも語っていたように、年齢も前の世界とはちがったものとなっている。なので、例えば幼児期に亡くなって、転生したような場合、記憶の混濁も起こりえるだろう。あまり根掘り葉掘り聞いても……。そう考えて、それ以上の話はしないようにした。

 宿にもどると、まだアイは体調悪そうだったが、タマは「今日には船に乗る」という。

「まっとうな形で海を渡るわけじゃないからね。ヴィエンケの騒動がここに伝わってきたら、私たちは出港もできなくなるかもしれない。カペリン国に渡るまでは、多少強行軍になっても行く」ということらしい。ボクが連れてきたルツをちらっとみて、タマも「この年齢なら、船旅も大丈夫でしょ」と告げた。感情も湧かない、冷たい語り口だったのは、いくら人族を卑下するようなことがないタマといっても、やっぱり人族として、特に幼い子なら下に見る部分もあるのかもしれない。

 アイに肩を貸して、港へ向かった。途中でメイド喫茶の多い繁華街を通ると、店から続々と船乗りたちが出てくるのに出くわした。鼻の下を伸ばして、大そうご満悦な様子でもあり、どうやらメイド喫茶の常連客のようだ。なるほど、船乗りは人族が多く、年中盛っているし、こういうお店が大好物。船乗りをこの港に引き付けるために、ニャコミの街がメイド喫茶を奨励したのも分かる気がした。

 豪華客船――というのもおこがましいけれど、ボクたちの乗る船はそこそこの大きさもあって、簡単には沈没しそうもない。カペリン国から荷を積んできて下ろし、ここで荷を積んでもどる、という貿易船なのだが、帰りは積み荷に余裕もあるので、そこに乗せてくれる、ということらしい。

 タマとアイ、それにボクとルツが乗りこむと、すぐに船は港を離れた。すると、ヒザが悪いと言っていたナオミが、見送りに来ているのがみえた。ルツは船べりに立って、背伸びをするようその姿を臨み見ていたが、その目に涙はない。元々無表情な子らしいが、感情が少し希薄な部分もあるのかもしれない。

「いい人だったんだね」

 そうボクが声をかけると、ルツも小さく頷く。汽笛を鳴らして船はすすんでいく。ナオミはずっと見送っていたが、その姿が遠くなっていくのが、旅立ちという少し淋しい気持ちをさらに強くさせていた。


「船乗りの仕事はキツイですか?」

「あったり前だろ。でも、ここにいる限り、人が人らしくいられる。多少の制約はあるが、腹いっぱい飯は食えるし、給金は少ないからメイド喫茶に行くぐらいしか余裕もないが、それでも自由に生きられるここを、俺たちは択んだ」

 お風呂場で出会って、話をするようになった船乗りが、この船の船員だった。二日という行程の間、こうしてたびたび話す機会もあった。

「お前のように、良さそうな猩族の飼い主をみつけるっていうのも、また人生だよ」

 確かに、ボクは幸運だったのかもしれない。アイ――。ボクの元飼い犬で、今ではご主人になった。圧倒的な強さと美貌を兼ね備え、ボクが危機に陥ると、とるものもとりあえず駆けつけてきてくれる。

 船底の近くにある休憩所に、タマとアイ、それにルツの三人はいた。底に近い方が揺れも少なく、また潮の匂いもきつくない、ということだったけれど、アイは一向に体調がよくなる気配もない。ぐったりと横たわるばかりだ。

 ボクがその横にすわると、すぐに「オニさ~ん……❤」と甘えるような声をだし、ボクの足に背中をすり寄せてくる。ボクも真っ赤になるが、タマからじろっと睨まれ、すぐに咳払いをしてごまかした。

「カペリン国って、どんな国なの?」照れ隠しのつもりで、タマにそう話しかける。

「魔獣との争いに明け暮れる街、といったらいいのかしら。そのため、人々は常にパッションにあふれ、何をやるにも全力で……といった暑苦しい街が多いわね」

 暑苦しい……と言った後、タマはじろっとアイをみた。ここは船底といっても動力源に近いためか、仄かに温かい。そんな場所でくっついているのが、殊更にそうみえるのだろう。幼いルツの情操教育にもよくなさそうだけれど、いつも凛々しく振舞おうとするアイが人前でこんな姿をみせるのだから、相当につらいのかもしれない。

「タマ……さんは行ったことあるんですか? カペリン国に」

「私はヘジャに行く前、カペリン国とスカンク国を巡っていたのよ。この辺りは国境の管理もゆるいからね。もっとも、人族がいたらスカンク国を超えられないけど」

 ボクの他に、ルツも加わったのだから、余計に難しくなったといえる。ルツは大人しく、あまり会話もしてこない。尋ねても首をふったり、生返事をしたりするだけで、警戒や緊張でもなく、会話そのものが苦手な印象すらうけた。

「さっきも言ったけど、この国は相対的にみて魔獣が多い。その分、フリーの冒険者にも依頼が多い。だから冒険者の数も多い。つまりライバルの数も多い。この子がこんな状態だと、先行き心配なんだけどね……」

 こんな状態……。アイはボクの隣で、静かに寝息を立てていた。

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