第7話 メロドラマと悲劇

   メロドラマと悲劇


 マズイ、マズイ、マズイ、マズイ~ッ!

 アイはせっかくオニさんとの距離を縮めようとした街歩きで、オニさんが人族と出会ってしまったことで、焦りを抱いていた。猩族だと、発情期でもなければ恋愛に積極的でなく、人と関係をむすぼうとすらしないだろう。でも人族は毎日、年がら年中ずっと盛っているのだ。つまり人族同士なら、いつでも子づくりOKってこと。私だって、もしオニさんが求めてきたなら発情期でなくとも応えるつもりだけど、やっぱりオニさんも人族がいい、という可能性は十分あるのだ。

 ライバルが人族では、圧倒的に不利! ケモノ耳、ケモノ尻尾も、一部の嗜好に合致するかもしれないけれど、オニさんがそうかどうかは分からない。動物には優しい人と知っているけれど、それが恋愛感情かどうかは、また別――。せっかくこの世界で一緒になって、それは身も心も一緒に……なんて考えていたけれど、既成事実もつくっていないうちから強力なライバルの出現だ。

 そんなオニさんは、あの人族の少女と会話してから、元気がなくなった。少しでも元気づけてあげたいけど……。

「オニさん、今晩でかけませんか? メロドラマをやっているんです」

「メロドラマ?」

「はい。この街には舞台があって、演劇が演じられているんですよ」

 宿で夕飯をとり、タキシードのような礼服を着させられた。観劇するときのこれは正装なのだそうで、ペットも同様だ。アイはドレスに着替えた。スパンコールなどもなく、シックでエレガントなもので、それはスタイルのよいアイによく似合っていた。

 夜の街にくりだすと、歓楽街のところは結構な賑わいだ。ここは夜になると、魔法を溜めた街灯が照らす。ボクたちも提灯のような、魔力のつまったランプを手に歩くけれど、それすら要らないほどの明るさで、飲食店は中々に繁盛しているようだ。ただ、それこそ猩族には発情期があって、それ以外の期間は性的サービスを標榜することもなく、その点はこの世界の方が健全かもしれない。

 演劇場はその歓楽街の一番奥にあって、一際華やかな印象だった。演劇とて芸術であり、この街が奨励しているので、相当力も入っているようだ。身なりを整えた猩族が、その演劇場に入っていく。

 入り口で入場料を払い、劇場に入る。中はすぐに客席となっており、番号の書かれたブースのようになった場所にいく。多人数用、二人用、個人用など、いくつかの形態に別れ、それぞれが楽しめるようになっていた。

 二人用の席に並んですわると、目の前にはオーケストラが並び、その向こうにある舞台にもスポットライトが当たり、舞台装置としてもかなり大きなホールであって、すでに満員のそのホールは、ボクたちが入るとすぐに幕が上がった。

 メロドラマ――。多くの日本人が勘違いしているけれど、メロス=歌、ドラマ=劇で、メロドラマとは歌劇のことなのだ。昼の午後、退屈なマダムのために演じられる、どろどろの愛憎劇をさすわけではない。はじまった舞台も、まるでオペラのような、音楽と歌を多く取り入れた荘厳なものでもあった。演劇の内容は、身分のちがう男女の猩族の二人が様々な困難に遭いつつも、思いを遂げようとする、一大叙事詩のようでもあった。


 二時間はあっという間だった。結局二人はむすばれることもなく悲恋に終わるのだが、それがまた余韻をのこす。スタンディングオベーションが鳴り止まないほどだった。

 ただそれは、アイの計算とは少しちがっていた。身分のちがう男女がむすばれる展開であれば、オニさんと私と重ね、いいムードになれたかもしれないのに~ッ! と歯噛みする想いでもある。

 演劇場からでてきて「少し遠回りしてもどりませんか?」

 アイの方からそう誘った。本当はお酒を飲めるお店にさそって……とも考えたのだが、生憎とアイはお酒を飲んだことがない。他の冒険者ともほとんど交流がなく、また刹那的な生き方をお酒でごまかすことを好まなかったからだ。

 歓楽街を抜けて、宿のあるところまでは、少し淋しい道のりだ。アイは思い切って、オニさんの腕にしがみついた。

「ん? どうした?」

「あ、足元が暗いし、それに少し寒くて……」

 そうイイワケがましいことを言ってから、少し後悔した。素直に「腕を組んで歩きたい」と言えばよかった。恐らくオニさんだったら、そんな私のことを受け入れてくれただろう。ただしそれが、恋愛という感情とは少しちがうのかもしれないが……。

「オニさんはメロドラマ、どうでした?」

「本格的なオペラなんて初めてみたけど、凄かったね。所々、ストーリー的には分からないところもあったけど、それがこの世界の常識というか、慣習なんだろうね」

「私もまだ、この世界のことは分からないことだらけです。告白しちゃえばいいのに……って思いました」

「身分の違い、か……」

 オニさんのつぶやきに、ぴくんと反応する。身分どころか、種族を超える私たちの恋を成就させるためには、この程度の障害、軽く乗り越えられると思わせないといけない。ただ、恋愛に長けたマスターでもないアイにとって、ここでうまいこと言い繕うだけの、会話術などもち合わせていない。

 アイが逡巡していると、オニさんの方から話しかけてきた。

「アイは、前の世界のとき、幸せだったかい?」

「幸せです。幸せでした。オニさんと一緒にいると、すっごく安心できました」

「安心か……。ありがとう」

 感謝の言葉を述べながらも、やっぱりオニさんは元気がない。昼間、あの少女と話したときのことを思いだしていた。

「オニさん、私がペットショップにいたって、知っていますか?」

「あぁ、聞いていたよ。売れなくて、残ったんだってね」

「私たちの中では、あれが私たちを〝買う〟行為だって、分かっているんです。だから、こちらからも値踏みして、大事にしてくれそうな相手をみつけたら、めいっぱい媚を売って……。でも私はそういうのに否定的で、馴染めなくて、どうしても媚を売る、みたいなことができなくて……。結局、生まれた家にもどされました。でも、そこでは厄介者扱い。いつ捨てられるか、いつ殺されるか、という状況でした。オニさんのご両親が現れて、私のことを無理やり車に乗せたときは、あぁ愈々か……と。

 オニさんの家に行って、翌日でしたよね。オニさんが最初に、私にかけてくれた言葉を憶えていますか?」

「えっと~……。何だっけ?」

「誰もいなくなった、一人になった、もう殺されると思って、玄関で淋しく啼いていたら、いきなりオニさんが現れて『腹減ってんのか?』です。きどることも、猫なで声でもなく、ごく自然に、まるで私がいることが当たり前のように……。それで、私はここが新しい居場所なんだって。ここにいてもいいんだって、そう気づくことができたんです。それからもオニさんはふつうに、衒うこともなくそっと私の居場所をつくっておいてくれるような、そんな存在だったんです。何があっても動じることもなく、私が怖くて震えているとき、オニさんに寄り添うと、そっと体を撫でてくれて……。

 だからオニさんと一緒にいられて、ずっと私は幸せでした」

 その言葉で、オニさんはやっと微笑んでくれた。

「ごめん、心配をかけちゃったみたいだね。昼間にあの少女と話をして、ペットでいることは幸せなのかなって、考えちゃって……。前の世界では、人間はまるでそうすることが当たり前のように動物を飼い、ペットにしているけど、それって動物側の事情ではないよね。話もできない動物たちは、どう感じていたんだろうって、ずっと気になっていたんだよ」

「多分、その出会い方がよくなかった子たちもいるでしょう。でも、少なくとも私は幸せでした。オニさんと出会えて……」

 アイはそういって、その腕をぎゅっとつかんだ。いい雰囲気――。このまま一気に告白までしちゃって……。アイはそっとオニさんのことを見上げる。オニさんも気づいて、私のことをふり返る。魔法で灯されたランプの明かりが、仄かに赤らんだ顔にみせる。あの戦いの前のときも、タマに邪魔をされなければいい感じだった。今回は、他に邪魔する者もいない。このまま唇を重ね……。

 そっと目を閉じ、後は待つだけ……。

 ただそのとき、ガサッと音がして、慌てて目を開ける。オニさんに意識を集中させており、周りの様子を警戒していなかった。また邪魔が入った……と思ったが、それで済むような事態でもなかった。

 そこにいたのは、全身を黒いゆったりとしたスーツ、まるで原発作業や、危険薬物をとりあつかうような防護服で包み、顔の辺りにガラスがはまった怪しい人物たちだった。そう、何十人もの、そうした肌すら一切みえないスーツの人物たちに囲まれているのだ。

 アイも危険を感じて、ハッと腰に手をやる。しかし今日は甲冑をぬぎ、剣も宿に置いてきている。魔法剣士は剣がないと魔法がつかえない。体術に優れる、といったところで何十人もの相手をいっぺんに倒すことはできない。しかも今は、動きにくいドレスだ。躊躇っていると、その人物らがわーっと一斉に殺到してきた。

「オニさん!」

 その黒いスーツの人物に、オニさんが捕まってしまった。何十人もの相手が群がってきて、それを相手にしなければならないのだ。多勢に無勢、物量攻撃には抗しようもない。

「オニさん! オニさん!」

 素手で戦いながらそう呼びかけるが、しばらく応答があったものの、そのうち声がまったく聞こえなくなった。

 ちぎっては投げ、ちぎっては投げ、そうやって戦っているうち、まるで示し合わせたようにさーっと黒いスーツの人物らは消えていく。

「待ちなさい!」

 アイは一人のスーツの人物を捕まえた。オニさんが連れ去られたのだ。その居所を聞きださないといけない。そのスーツをばっと剥いだとき、落ちていたランプで浮かび上がったその顔に、思わず眉を顰めてしまった。

 顔の上半分は昆虫……頬の片側からは牙が生え、その反対側は人のそれだ。顔をみられたことで、お腹の辺りに巻いていた何かのスイッチを押した。アイも慌てて体を放し、大きく飛び退いた。ボンという小さな音とともに、その人物は倒れる。どうやら自爆装置がとりつけられていたらしい。

 アイはすでに死体となってしまった相手を見下ろし、決然と歩きだした。


「ちょ、ちょっとアイ、どこ行くの?」

 宿にもどってきたアイは、甲冑をまとって部屋をでてきた。明日にはこの街をでる、として宿にとどまっていたタマがその姿をみつけ、驚いて声をかけたのだ。

 だが、じろりと睨んだだけで、宿をでていく。もう夜中になっているのに、何をしているのよ、あいつは……完全にキレちゃっているじゃない。タマもため息をつく。

 アイはそのまま、街の中心部にある屋敷へと向かう。その城門を叩き壊して、屋敷へとずんずんすすんでいく。

「待て! 冒険者『烈炙のアイ』ッ‼ これ以上の狼藉はゆるさんぞ」

 立ち塞がったのは第一機動部隊の隊長を標榜するオレオだ。大きな斧のような武器を手にしており、ぐっと腰を落として構えた。

「獅子流奥義、烈風覇!」


 そのころボクは、恐らく街の中心部にあった大きな屋敷の地下にいた。手足を鎖でしばられており、逃げだせない。目の前には昼間みた、半裸でおどっていた少女がいた。

「ここはどこだ。ボクをどうするつもりだ?」

「ここはヴィエンのお屋敷。あなたはここで、ずっと性奴隷になって働く」

「性奴隷?」

「人間はずっと盛っているから、ずっと交尾をしつづけ、子づくりしてもらう」

「君と?」

「いいえ。母さんたちと」

 少女の向こうにみえるのは、おぞましい姿であった。ここでは猩族が人化しているけれど、その姿は一様でない。動物に近い姿の者もいるし、アイたちのようにほとんど人間、といった姿の者まで。そこにいるのは、恐らくアリの猩族――。そしてお腹からお尻にかけて大きく膨らんだそれは、女王アリのそれだった。

「人族と、猩族と、子供をつくることができるのか?」

「一代雑種……。でも形状が不安定で、半分ぐらいしか卵から孵らないし、孵ったとしても、すぐに死ぬ。だからいっぱい子供をつくらないといけない」

「もしかして、そのためにボクをさらったのか?」

「王である人族はもろい。すぐに死ぬ。だから時おり、交代する必要がある」

 少女は無表情でそう語る。それはこんなところに閉じこめられ、人でもない相手と交尾させられつづけたら、正気を保つことすら難しいだろう。そして前任の男が死んだとき、ちょうど現れた人族がボクだった……。

「もしかして、君もその一代雑種……なの?」

「私は人族が強くですぎた。だから踊りを踊って、こうして捉えた人族の王のお世話をするぐらいしかする仕事がない」

「な……何で、そんなに一代雑種をつくろうとするの?」

「ここは地下で、宝石を採掘している。そのための労働力。人手はいくらあっても足りない」

 少女は明け透けに話してくれるが、それはもうここから逃れることができないから……そう思うと、これは非常に悪い情報だ。しかも、こんな極秘裏に労働力を確保するための作業をしているのだから、まともな作業とも思えない。危険で、また辛くて、大変な作業を、賃金も払わずに行わせるために、こんなことをしているはずなのだ。

「君はそれでいいのか? こんなところで、悪党の手先みたいなことをして……」

「私は人族でも、猩族でもない。ここで生まれ、ここで仕事を与えられ、ここで死んでいく。それが皆のためであり、皆もそうしている」

 彼女にとって、それが幸せ……? いや、多分ちがうのだ。だから昼間、彼女は言った。

「幸せなんてあるの?」と。

 そのとき、頭上から物凄い爆裂音がひびいてきた。

 落ちてきた岩石に、この地下空間すらうずまりそうになる。

 少女はボクに嵌められていた枷を外してくれた。

「どうして……?」

「この屋敷の地下は、網の目状に掘り広げすぎて、非常にもろくなっている。大きな衝撃には耐えられない。あなたまで巻き添えで死ぬ必要はない」

 その言葉に、ボクも意を決して「君も一緒に逃げよう!」と。でも少女は首を横にふった。

「私たちは、母さんたちから離れて生きることはできない。母さんがここから動けない以上、私たちもこの街を、屋敷を離れることはできない」

 天井の崩れが激しくなってきて、少女との距離が開いてしまった。瓦礫の先で、近づくことさえできない。ボクは「君の名は⁈」と呼びかけた。

「私たちに名前なんてない。母さんの名はスギ。私はスギの子」

 さらに崩れてくる天井に、少女はその場から動くことすらなく、無表情のまま手を振っている。ボクはただそこから逃げることしかできなかった。


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