第5話 ヨクジョウ

  ヨクジョウ


 夜が白々と明けるころ、修羅の庭にゆらりと立つ者がいた。数多にころがった魔獣の死体を踏み越えて、そこに立つのはアイだった。赤い甲冑には魔獣の返り血がはねとび、それは顔といい、髪の毛といい、ケモノ耳といい、巻きシッポといい、すべてを赤く染めており、細身のサーベルを手に、ここにいる唯一の生者、勝者のごとく高らかに咆哮してみせた。

 魔獣はすでにこの地に残っていない。アイもそれを確認し、ゆっくりと歩きだす。城門までもどってくると、そこにオニさんの姿をみつけ、嬉しそうに走りだした。

「オニさん! オニさん! オニさん!」

 まるで舞いでも舞うように、ボクの周りでポンポンと跳ね、時おりボクにとびついてきてはまた離れる、ということをくり返す。これまで無我のまま、戦闘マシーンのように戦ってきたため、冷たく沸騰した血がそのまま興奮したものへと変わり、彼女の中を駆け巡っているような喜びようだ。

 その様子を背後から眺めていたタマは「何しているのよ……。少しは落ち着いて、自分の姿をみてみなさい」

 そう諫められて、アイも自分と、飛びついていたオニさんをみる。魔獣の血でボクとアイは真っ赤になっている。

「宿にもどるわよ」

 タマに促され、城門をくぐった。そこには兵士たちの死体も無残にころがっていた。城壁を超えられ、兵士たちも迎撃したが、生き残った者はいなかった。橋が落ちて、それは士気にも影響しただろう。逃げだす者もいたかもしれない。だがどこに逃げたって魔獣があふれ、絶望して死んだ者もいたに違いない。対岸の城を魔獣から守るため、ここは見捨てられたのだ。

 街の中には住民ものこっていなかった。魔獣襲来と聞いて、多くの者が橋をわたって対岸に逃げた。そうするよう指導もされていただろう。そして、住民がすべて渡り切ったから、まだ多くの兵士が残っているにも関わらず、橋を切り落としたのだ。同時に、雇われたアイたち冒険者も見捨てて……。

「街の中に入ってきた魔獣は私とジャックで倒しておいた。もうここは無事よ……って言っても、誰もいないけどね」

 宿に入ると、食堂には先にジャックが待っていた。ジャックもだいぶ返り血を浴びているけれど、アイより少ないのは、槍という間合いのとれる武器だから、だ。遠隔攻撃しかもっていないタマ以外の二人は、凄惨な戦いだったことを物語っていた。

「まずはお風呂かしら……。それと、洗濯もね」

 タマの言葉で、三人とペット一人が大浴場に向かう。

「ボクは地下の浴室で……」

 そういって地下へと向かおうとすると、アイにがっと腕をつかまれた。

 後ろ向き同士だったけれど、アイとは一緒に入浴したことはあるので、恥ずかしいということはない。むしろ、他の二人に気をつかったつもりだったけれど、少しでも離れることを厭うのか、アイは放してくれそうにない。

「私は構わないよ。どうせ私たち、発情期以外はあんまりオスとか気にしないし」

「人族にみられたって、どうってことないし」

 ジャックとタマにそう言われると、気にしているボクの方がおかしい、となりそうだ。こういうところは女子としての大胆さなのか、むしろ恥ずかしがって遠慮すると、余計に邪なことがあるのでは? と疑われそうだ。

 というより……。「ジャックって、女?」

「私はメスだが、何か?」

 名前と、背の高さと、がさつさとで、てっきり男だと思っていた……が、それは言わないに限りそうだ。

 脱衣所も広く、旅館というより公衆浴場、テーマパーク化した銭湯といった感じだ。三人は甲冑を身につけたまま浴場へと入っていく。どうやら洗濯もお風呂場でするらしい。ボクも血がついているので、服をきたまま浴場へ入って、そこで服を脱ぐ。

 そこは大理石でつくられた広い空間で、壁側には洗い場が十もあり、しかも一つ一つに衝立があって、隣を気にしなくてよいように配慮されていた。窓際にある湯船は、アイも言っていた通りに泳げるほどで、しかも窓の外はリバービューが広がる。大河であり、誰かの目を気にすることなく、絶景を眺められる体だ。

 ボクは三人と離れたところで服を脱ぎ、レバーを倒すとでてくるお湯で洋服を洗い、体もそこにあった石鹸で洗う。ペット用のお風呂には木製の椅子と桶しかなかったが、ここはすべてが整っていて、待遇のちがいを痛感させられた。

「やっぱり人族はひょろっちいなぁ」

 背後に立つ人物に気づいてふり返ると、ぎょっとした。ジャックが全裸で仁王立ちし、こちらを見下ろしてくるからだ。

「な、なんですか⁈」

 ボクが思わず前を隠してしまうのも、人の性――。

「おいおい、興奮しているんじゃないのか? 人族はいつも盛っているっていうからな」

 タマもボクの前に立つ。前を隠す気なんて、まったく眼中にもないようだが、ボクの眼中には二人の裸が飛びこんでくる状況だ。

 ジャックはすらりとして背が高いものの、それは筋肉でよく引き締まったもので、弱弱しさは一切ない。むしろ面積の小さな水着をきて、ポーズをとればよく似合う。あれだけの槍捌きをみせるぐらいだから、かなり鍛えているはずで、まさに格闘家といった印象だ。その筋肉は胸にまで及んでいるようで、柔らかそう……というより、がっしりとした弾力をもった、揺れることもなくそこに張りつく、という感じだ。

 一方でタマは、別の意味でスレンダーといえる。魔法使いなので肉体を鍛える必要はなく、元々が幼児体型なのだろう。いつもハットをかぶっていて気づきにくかったが、茶トラ色の短い髪の毛に、小さなケモノ耳であり、ぴんと立ったシッポからもやはりネコの人化……という印象をより強くする。ただネコであるなら、他の二人よりも小さいことは、むしろ必然……。幼児体型というより、本質的にこれぐらいの成長、胸ぺったんでくびれなし、がタマの限界ということかもしれない。

 ジャックも男っぽい顔立ちであるが、美形であり、タマだって可愛らしい印象だ。そんな二人が全裸でこちらを見下ろしてくる。しかも発情しているこちらをからかうように……だ。これはある意味、絶体絶命であって、男性としての危機を感じる。

「何しているんですか⁉ 止めて下さい」

 アイが慌てて二人を離そうとする。アイはどちらかといえば、均整のとれた体であり、胸は大きめだけれど、背は高からず、低からず、筋肉質というよりは柔軟で、しなやかさのある肉体といった印象だ。正面からまじまじと見たのは初めてだったが、美貌に劣らず、その肉体も瞼に焼きつけておきたいほどのもの。湯気に多少くすぶってみえるが、それもまた興をそそるものでもあった。

「何じろじろ見ているんですか⁉」

 他の二人がいるので、恥ずかしがっているのか、そういって向こうを向いてしまった。巻きシッポはお尻のすぐ上にあり、巻いているだけに隠すこともなく、きゅっと引き締まったお尻を丸出しにする。

「オニさん! もうッ‼」

 ボクの視線に気づいて、石鹸を投げつけてきたが、狙い違わずそれは、ボクの眉間に命中していた。


 まだ浴場――。

 泳げるほどの広い湯船に、ボクは三人と離れて浸かっている。それは女子三人と入っているから……ではなく、ペットとして節度を弁えた態度をとっているから……だ。女子二人はまるでボクのことを気にしておらず、全裸で目の前をうろうろするぐらいだが、アイだけは他の猩族と一緒にいるとき、ボクに裸をみられるのが嫌らしく、殊更に意識するので、だから離れている、ということもあった。

「当面の行動を決めないといけない。私たちは魔獣の退治には成功したけれど、報酬はもらえていない。それに、スカンク国に渡る道もない」

 どうやらこの三人で集まると、タマがリーダーシップをとるようだ。他の猩族の前だと、とたんに無口になるアイと、どこかずぼらでいい加減なジャックとでは、必然の流れなのかもしれない。

「今回はタダ働きかぁ……」

「タダ働きなんてして、たまるもんですか! 私たちを切ろうとしたことを、後悔させるぐらいふんだくってやるんだから」

 タマはそういって、怒りなのか、拳を固めてバチャンと湯面を叩く。顔にかかったお湯を両手で拭ってから、ジャックは「どうするんだ?」

「くくく……。あの女主人、しこたま貯めこんでいるっていうじゃない。家探しさせてもらうわよ。この宿をね」

「悪い顔だな……。ここには食糧もありそうだしな」

「そうよ。次の街まで行くにも、まずは食糧も必要だからね」

「次の村か~。さっき倒した魔獣の群れに襲われたんだろ?」

「私はここにくる途中、みてきたわ。それはもう酷いもんだったわよ。誰一人、生きている者はいないぐらい、見事に殺されていたわ」

 タマも顔を顰める。魔獣は動きまわっていても、すでに心臓は止まっており、死んだ状態である。なので、仮に相手を襲ってその肉を喰らったとしても、それは成長だったり、生命を維持したりするためではない。猩族や人族を襲うのは、あくまで本能であって、襲われた者は食い散らかされたように、凄惨な姿のままそこに残されることになる。全滅ともなれば、誰も片づけたり、処理してくれたりしないので、屍の山がそこに鎮座しつづけることにもなった。匂いに敏感な彼女たちにとって、近づきたくもないだろう。

「じゃあ、どうする?」

「隣の隣、ヴィエンケに行こうと思う。というか、ここからなら、一番あの街が近い」

「あそこしかないか……。ヴィエンケまでなら街道もあるし」

 あれ? と気になったのは、ジャックがあまり行きたくない様子だったからだ。ただ、それほど強い反発でもなく、受け入れたので、その違和感はここまでとなった。

「アイはどうする?」

 タマにそう問いかけられ、アイもちらりとボクの方をみてから、少し考えこむ。きっと目の前の戦いが切迫していて、これからのことを考えていなかったのだろう。フリーの冒険者なのだから、依頼をうけられる街に行って、仕事をする必要がある。いずれにしろ、ここにいては展望が開けない。

「アンタも一緒に来なさい。カナリア国なら人族も連れていけるし、ヴィエンケなら他の街に行くのも容易だから、何とでもなる」

 そう言われて、アイも決断したように頷く。これでしばらく、三人一緒で旅をすることが決まった。

「そういえば、戦いが始まる前に、あんたち二人、地下の浴場で何をしていたの?」

 彼女たちにとって、発情期でもないのにそういう関係になる、というのは恥ずかしいのかもしれない。アイはのぼせたわけでもないのに、真っ赤になってお湯の中に沈んでいった。


「ほ~ら、やっぱり。ここに隠していると思ったのよ」

 タマはそういって、手を打って喜ぶ。力もちのジャックが床下から壺をもち上げると、それは両手で抱えるほどの大きさがあった。蓋を開けると、だいぶ減ってはいるけれど、まだまだたくさんのお金が入っていた。

「上澄みはだいぶ持ち去ったみたいね。でも、こんな大きい壺、お金が入った状態じゃあ、持ち上げられなかったんでしょ。こうなると、予定を前倒しで現れた魔獣の群れに感謝しないといけないかもね。行き掛けの駄賃代わりにはなる!」

 カバ女主人の部屋で、タマとジャックはさっそくお金を数えはじめる。どうやら、街と契約した額より多そうだ。そこにアイとボクが入ってくる。

「食堂には食材が残っていましたよ。三日ぐらいなら、何とかいけそうです」

 ボクが袋に入れた食材をみせた。旅をするにも、まずこうして食べ物を調達しないといけないのは、どこの世界でも同じだ。

「こっちもみつけたわ。これで一先ず、隣の街まで行けそうね」

 フリーの冒険者を名乗っているだけに、彼女たちはたくましい。食糧の入った袋は、ボクがかつぐことになった。彼女たち三人は、魔獣が現れたら戦うだけに、無能で役目がないボクがもつのは当然だ。それにボクはペット、あくまで彼女と一緒にいるためには、役に立つことを証明していかないといけない立場なのだ。

「オニさん、大丈夫ですか? 重くないですか?」

「これぐらいもてるさ。アイと散歩に行ったときだって、音を上げなかっただろ」

「いざとなったら、私がもちますからね」というが、これでも一応男の子、ペットになったとしても、そこは女の子にもたせるわけにはいかない。

「本当は、オニさんと二人だけで旅をしたかったんですけど……」

 アイの本音はそっちだったのかもしれない。「今はとにかく、隣の街まで無事にたどりつくこと、だろ?」

 アイも小さく頷く。街にいないと、オニさんの安全も保てない、と考えたのかもしれない。

「それじゃあ、ヴィエンケまで出発!」タマが威勢よくそういって、三人とペット一人の奇妙な旅がはじまったのだった。


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