第3話 戦う二人
戦う二人
朝食をとると「散歩しませんか?」とアイの方から提案した。
アイも『焦りすぎ』と反省した。元飼い主だったオニさんとこの異世界で出会えて、しかも同じ人型で、会話もできる。一足飛びに結ばれたい、と突っ走っていたが、オニさんは慎重にしてマジメな人。そうそうすぐに恋人に……とはならないだろう。ここはもっと関係を深めてから、ゆっくりと恋愛しよう。だって、ずっと一緒にいられるんだから……❤ そのときはそう思っていた。
旅道都市、ヘジャ――。
街道の関所のようなところで、道を妨げるように立つ城塞だ。昨日は早めに宿に入ったので気づかなかったが、しばらく歩くと、大きくて長い橋が見えてきた。そこには欧州大陸などでみられるような、流れのゆるやかな大河が流れている。この都市はその大河にわたる橋を管理し、川の両岸に都市を築いたものだ。こちら側は木製の建物が多く、向こう岸には岩で築かれたお城がみえる。どうやら文化圏が異なるようで、橋をへだてると、色々と異なる様式となるようだ。
浴衣姿のアイと、まだ朝靄を残す街をすすみ、橋の上まで来た。彼女は稀に見るほどの美貌の持ち主であるけれど、本人にあまりその自覚はないらしい。何よりケモノ耳、巻きシッポという猩族が多いこの世界であるから、何が〝美しさ〟を決めるかはよく分からない。あくまで人の目線だと、もうそれは奇跡と呼ぶしかないほどの美貌、ということだ。
「浴衣はどうしたの?」
「宿で借りられるんですよ。あくまで猩族だけ、ですが……」
ここは人が虐げられる世界だ。だからボクは、彼女のペットとしてこの街にいる。
「シッポの部分も、ちゃんと出せるようになっているんです。ほら❤」
くりんと巻いたシッポをこちらに向けてくる。動物の可愛さなら、やっぱりふさふさ、というのが定番で、きっちりと形をたもったシッポはどちらかといえば凛々しさという印象を強くする。ただボクにみせるちょっと甘えたがりで、可愛らしい印象とちがって、周りにみせる態度はまさにシッポの通りだ。
犬の場合は発情期があって、そうでない時期はメス、オスと区別してもあまり意味がない。凛々しいアイの姿は、そのまま強さとして印象づけられるものだ。
「これはドンナ川。あれはシリマンタン山といい、活火山のため、ここが温泉地として整備され、橋もつくられました。元々がスカンク国とカナリヤ国との境にあたり、この旅道都市が築かれたのです」
シリマンタン……。スカンク……。そしてヘジャ。何かヤバイものがでてきそうだ。
「向こう岸には渡らないで下さいね。より人族には厳しいので」
「なるほど、この町が人に厳しいのは、スカンク国の影響か……。この世界も小さな国に別れているのか?」
「はい。小国がそれぞれ連携したり、対立したり……。でも、魔王という脅威があるので、大規模な争いはそれほど多くありません」
「それほど……ということは、やっぱり小競り合いはあるんだね……。アイがフリーの冒険者をやっているのも、争うのが嫌だから?」
「猩族同士が争うのは、どうも……」
「アイは昔からケンカが嫌いだったもんな」
そのとき、アイはふと遠い目をしながら、ボクに語り掛けてきた。
「…………憶えていますか? あの黒ぶちの大きな犬と遭遇したときのこと」
「あぁ、放し飼いのシェパードと散歩の途中でばったり、のときだろ」
放し飼い……というと少々物騒だが、家の敷地で、番犬として放し飼いにされたシェパードが、時おりその敷地から逃げだして街をうろうろすることがあった。
「私は怖くて、ただ立ちすくんでいたら、オニさんが立ち塞がってくれて……」
「しばらくにらみ合っていたら、シェパードの方から去っていって……」
「びっくりしたのは、その後です。オニさん、大きなシェパードが去った方に向かって歩きだすんですもん」
「そういえば、アイもびっくりした顔でボクを見上げていたよな」
「そのときオニさんが『大丈夫。また現れたら追い払うから』って……。私、その言葉ですっごく安心して……。この人は頼りがいがあるって思ったんです」
「番犬としてはどうかと思うけど、あのシェパードはアイをみて、興味をいだいて近づいてきただけで、ボクが間に入れば近づいてこない。人間には絶対に攻撃することはない、と知っていたんだよ」
だから度々逃げだしていても、警察に通報されることもなく、町のちょっとしたトラブルで処理されていた。
でも、ボクのその言葉で、アイも安心して歩きだした。それ以来だったか、彼女はボクと散歩に行くことを好み、ボクにしか散歩に行こうと言わなくなった。それは自分のことを守ってくれる、という絶対の安心だったのかもしれない。
「この世界では、私がオニさんのことを守りますから。頼られる存在になりますからね」
アイはこうしてアピールしつつ、頼られる女になって、いずれ……そう考えていた。ただそのとき、ボクらのことをじっと見つめる視線があるのに、二人とも気づいていなかった。
昼からアイも用事がある、ということで宿屋にもどった。宿のカバ女主人が、受付から意味ありげな視線を送ってくる。ここは川沿いだから……カバ? アイは恥ずかし気に俯いて通りすぎるけれど、ボクは意味が分からない。昨晩はアイと二人、寄り添うようにしてぐっすりと眠った。昔とちがうのは、彼女の全身が毛で覆われていないこと、また大きいこと、そして互いに汗をかくようになったこと、ぐらいだ。
の中を、ペットであるボクが一人でうろつくわけにもいかず、この宿でお留守番だ。
「カギをかけておきますから、誰が来ても絶対にドアを開けちゃダメですからね」
そう念をおされ、アイは出て行った。ペットって、いつもこんな気分でご主人様を見送っていたのだろうか……。そう思うと、何だか悪いことをしていたのかもしれない。とても心細くなるからだ。
テレビもラジオも、ましてネットなんてあるはずなく、退屈をつぶせるものは何もない。窓を開けると、リバービューは三階ということもあって、抜群だ。
眼下にはドンナ川がみえ、水面からうっすらと湯気が立っていた。昨晩のペット用のお風呂のように、岩から染みだしたお湯がそのまま川へと流れこんでいるらしい。うっすらとシリマンタン山からも煙が上がり、流れがゆるやかなのに岸壁がけずられたようになっているのは、火山灰がふり積もった地形がそうさせているのかもしれない。タモさんではないので、ぶらぶらしながら地形を語れるほどの知識はないけれど、シリマンタン山の山裾にあるここは危ない場所に建つのかもしれない。
川向うは森がひろがっており、対岸にある石で築かれた城が、そこに浮いてみえる。橋の向こうは人がいくと危ない、とされるのも、都市同士が離れていて、文化や様式がまるで異なることも影響するのかもしれない。
ただいつまでも見ていられるようなものでもなく、アイも犬のころはそうだったように、寝て過ごすか……。そんなことを考えていたら、ドアがガチャガチャと激しく揺さぶられ、誰かが侵入しようとしていることに気づく。通報するような電話もなく、また電話があったとしても、どこへ連絡するかも分からない。当然、逃げる場所なんてない。やがてドアが壊され、複数のケモノ耳をした猩族の男たちが踏み入ってきた。
「な、何だ、お前たち⁉」
「人族が、なめた口をきいているんじゃねぇ!」
複数の猩族の男たちから殴られ、蹴られ、後ろ手に縛られ、猿轡をかまされ、部屋から引きずり出されてしまった。
「うわ~……。今回、マジやばいじゃん。その割に、報酬低すぎない? いっそのこと、このままバックれない?」
流迅のタマは、黒い大きなハットで顔をふせつつ、隣にすわっているアイに語りかけた。
ここは大きな会議室で、城主も参加しての作戦会議中だ。フリーの冒険者である二人も参加しているけれど、発言権はほとんどなく、隅にすわって傍観するしかない。
アイは凛とした様子で「逃げたければ、逃げるがいい」と応じる。
「ホント、死にたがりの〝烈炙のアイ〟らしいけど、今回はマジ、ヤバいって。私たちが加わったところで、マジ負けるって。ホント、死んじゃうんだからね!」
「戦略次第でしょ」素っ気なくそう応じるアイに、タマもため息をつく。
「はぁ~。戦略とか無視してつっこんでいくアンタが言う? ま、いいわ。私はいざとなったらケツまくるつもりだから?」
「後足で砂をかける、みたいな?」
「何で私が迷惑をかけた上、さらに酷いことをする、みたいになっているのよ! ちッがうわよ。命をかけてまでこの街を守る義理はないから、形勢が不利になって、もう負けるって分かったら、そのときは逃げるって言っているのよ。それにその箴言は、どちらかというとアンタたちのことなんだからね!」
「…………?」
「何でオトボケ顔なのよ。私たちはネコババって言って、悪いことを隠すだけだけど、アンタたちはババをした後、後ろ足で砂をかけるんでしょうが!」
そのころ、ボクは簀巻きにされ、男たちによって橋の中央辺りまで運ばれていた。ちなみに猿轡とは、馬はサルと一緒にいると大人しくなる、という農家の智慧によって、サルとともに馬が飼われており、それで口にはめて大人しくする道具、轡のことをも合わせて猿轡、と呼んでいたのだ。それが後世になって、人間をしゃべれないようにするものを猿轡、馬につかうものを轡、とつかい別けるようになった。決してサルみたいな人間につかうから、猿轡とするのではないのだ。
「ん~……、ん~、ん~……」
暴れるのも空しい限りで、猩族は人族より圧倒的に力も強い。頭に二本の角を生やした者もいるし、人の姿をしていても能力はある程度引き継ぎ、牛の猩族だとしたら、人の力では敵うはずもない。
「人族がこの街にいる、なんて赦せるかよ」
そう罵られ、抵抗を止めた。人族が恨まれる理由は何だろう? 確かに、何の能力もない人間が、智慧すら同程度に並ばれてしまったら、邪魔でしかないはずだ。でも、街にいるからといって排除されるぐらいだから、かなり恨まれていることになる。
「ドンナ川は海までつづくらしい。ちがう国に行くなり、海で喰われるなり、どこにでも行きやがれ!」
担ぎ上げられ、今まさに川へと叩き落とされようとした、まさにそのとき
「おいおい。いくら人族だからといって、川に流すのは感心しないな」
四人の猩族も、驚いてそちらを見る。そこにはかなり背が高く、黒髪の中に金髪の雑じる者が橋の中央に立つ、そんな姿があった。ケモノ耳がぴんと立つけれど、ふさふさのシッポはだらりと垂れ下がっていて、また長い。何となく見覚えがある気もするけれど、この世界では容姿そのものが大きく変わっているので、記憶の糸をたどることは難しい。
「お前には関係ないだろ!」
四人の猩族はそういきりたつが、空元気、もしくは虚勢というに近い。いくら体が大きいといっても、その背の高い人物のみせる余裕、雰囲気はその四人を圧倒していた。
「この街の治安が悪いと、ここで仕事をする気もなくなるからね。とりあえず、そいつはいただいていくよ」
背の高い人物は、そのシッポの辺りから前腕ぐらいの長さのある筒をとりだす。それをくるくる回すと、短かったそれが伸びて、その身長を超すほどの長さとなり、先端には幅広の刃がついた槍へと変わった。
ただそれで攻撃するつもりはないらしく、さらに頭上で一めぐりさせると、四人はまるで催眠術にでもかかったように、バタバタと倒れてしまう。
助かった……と思ったけれど、背の高い人物は槍先にボクのことを引っかけたまま、軽々と持ち上げると、歩いて橋を渡っていく。絶対に渡ってはいけない、と言われた先に、ミノムシのまま連行されていった。
作戦会議は踊っていた。もう夕暮れを迎える時間帯だが、もめるばかりで、一向に終息する気配がない。
アイはため息をつきつつ「ハァ~……。オニさんと一緒にいたいな……」と呟く。早く帰りたいけれど、帰れない。この街からオファーをうけ、仕事をする身の上であり、文句を言えないのがもどかしい。
そのとき、誰かが窓の外をみて「おい。あれって美瑯のジャックじゃないか⁉」と叫ぶ。それで会議室の雰囲気が一変した。
「おぉ、我らの要請に応じ、来てくれたか……。これで何とかなりそうだ」
アイも何気なく窓の外をながめ、その姿を目に留めると、サーッと蒼褪め、総毛立ち、会議室をとびだしていった。
「ちょっと、アイッ⁉」
タマも慌ててその後を追いかける。
槍を肩にかつぎ、その先にボクを吊るしたまま、鼻歌まじりで橋を渡ってきたジャックは、走り寄ってきたアイの姿をみつけ「おぉ、久しぶり……」
しかしその大きな瞳を見開き、感情のない蝋人形のように無表情のまま睨みつけてくるアイに気づき、ジャックもたじろぐどころか、ニヤリと笑う。
「何だか知らないけど、アイと本気でやれるなんて、願ってもない!」
槍先にひっかけていたボクを、ぽんと放り投げると、その槍先をアイへと向けた。アイもすらりと剣を抜く。
急速に高まっていく緊張と、ひりつくほどの殺気と、達人同士が向き合ったとき、まるでその呼吸を合わせたように、同時に突っ込んでいく。一瞬にして幾重にも剣先がぶつかり、散らす火花がまるでラメを散らしたように、二人のことをキラキラと輝かす。
槍をしならせ、変幻自在の攻撃をしかけるジャック。細身の剣でそれをはじくアイ。自らが傷つくことも厭わず、徐々に遠かった間合いを詰めていくアイに、溜まらずジャックも押されはじめた。アイが生半可な覚悟ではないことを知って、ジャックも遊び半分だった自分を反省して「も、もう止めよう!」と槍を退こうとした。しかし、その槍先を跳ね飛ばしたアイは、ジャックめがけて突っこんでいく。
「行けーッ!」
その言葉とともに横からとんできたのは、猿轡を解かれ、簀巻きからも解放された、ボクだった。狙い違わずアイのところまで飛んでいったのだが、いきなりボクの姿がみえ、驚いたアイに抱きとめられた。
「オニさん、大丈夫ですか?」
「大丈夫、大丈夫。ボクはこの人に救われたんだよ。だから、戦っちゃダメだ」
「助けられた……?」
「部屋に侵入してきた者たちに連れだされ、川に落とされそうになっていたところを助けてもらったんだ……一応」
「そうだったんですか…………。よかった……。よかった……」
アイは声をふるわせながら、ボクのことをぎゅっと抱きしめてくる。心配し、アイが本気で怒っていることに気づき、簀巻きを解いてくれたタマに、ボクは「何とかできないか?」と相談したのだ。すると、彼女の魔法によってちょうどよいタイミングでボクを放つ、というのでそれに従った。もしアイが受け止めてくれなかったら、そのまま吹っ飛んでいきかねなかったほどの、ぎりぎりの介入だった。
でも、震えながら抱きしめてくれるアイは、そのシッポがぶるんぶるん振っていることからも、どうやら落ち着いてくれたようだ。これで一安心……と思ったが、そういうわけにもいかなかった。
「両者、そこまでだ!」
そのとき嘶きのような、耳朶をふるわすほどの声が響く。慌ててそちらを見ると、鬣も立派な、ぴんとたったケモノ耳をした、背の高い男性が立っている。そして、ボクらは多くの兵士たちに囲まれ、絶体絶命の状況になっていた。
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