第2話 一夜をともに

   一夜をともに


「ここは旅道都市、ヘジャって言います。旅道都市っていうのは関所みたいなもので、ここで人とモノの往来を管理、監視するだけでなく、魔獣を食い止めるための要塞、防波堤という役目ももっています」

 かつての飼い犬、そしてこの異世界でボクのご主人様となったアイが、そう語る。森の中で岩の巨人に襲われているところを助けられ、こうして彼女と街へやってきた。この異世界で、ケモノ耳、巻き尻尾をもち、魔法剣士でもある彼女。人間が虐げられる世界で、彼女のペットになることが街へ入る唯一の術であり、こうして一緒にいる。

「魔獣って、やっぱり危険なのか?」

「ふつうの動物に、魔の力がとり憑くと魔獣になります。魔獣は、生物的にはすでに死んでいる状態で、私たちを襲う本能だけで動くんです。だから魔獣と出会ったら、倒すか、逃げ切るしかありません」

「ゾンビみたいなもの?」

「そうですね。でも感染はしないので……。なぜ魔の力がとり憑くのか? その辺りは分かっていないことも多くて……」

 私たち……というのは人化したアイたちも襲うということ。この異世界では、元の世界では動物だったものが人化して暮らしており、ケモノ耳、シッポを生やした人の姿をした者が多くいる。街に入ったので余計にそういう姿が目につくけれど、魔獣はそんな彼女たちにとっても敵、と認知されているようだ。

「あら、烈炙のアイじゃない」

 歩いて近づいてきたのは、黒い大きなハットに、マントで身をつつんだ少女だった。目は大きく、くりっとしており、背が低くて可愛らしい印象だ。ケモノ耳はツバ広のハットでみえないが、お尻から生えているシッポは細くて長く、ピンと立っているところからみると、どうやらネコの人化らしい。

「流迅のタマ……」

「タマって言わないで! ホント、他人のことには興味のない女ね。ところで、アンタが人を飼うなんて驚きだけど、ダメじゃない。ちゃんとリードをつけておかないと……」

「大丈夫。私がしっかりと管理するから」

 アイは、ボクと二人だとふつうの少女という感じだが、第三者のときは凛とした、剣士としての鋭さをもって対峙する。

「そんなこと言って。人なんてすぐ逃げるし、悪さして責任をとらされるのは、アンタなんだからね! まぁいいわ。あなたも城主に呼ばれてきたんでしょ。昼には対策本部で会議が開かれるそうだから、その前に会っておくことをおススメするわ」

 タマとよばれた少女は、それだけを告げると、歩き去る。

「リードをつけないと、ダメなんだ……」

「あわわ……。大丈夫です。私の傍にいてくれれば……。先に、宿に行きましょうか」

 アイはそういって、こちらの手を引いて、古びた三階建ての建物に入っていく。

 受付にいるのは恰幅のよいおばさんだ。人化はやはりそれぞれで大きく異なるらしく、大きな口とそこから覗く二本の大きな歯をみると、明らかにカバの人化だった。

「ちょっと! 人まで部屋に泊める気? 外につないでおいて欲しいんだけど……」

「私と一緒のときしか、部屋からでないようにする」

 尚も不平たらたらではあったが、相手が名のある剣士でもあり、宿の女主人も渋々と鍵を渡してくれた。

「ごめん。やっぱりボクがいると迷惑をかけるみたいだ」

「迷惑なんて、そんな……。気にしないで下さい。私がしたくてしているんですから」

 部屋は三階の角、やはりアイのことは特別視している様子がうかがえる。部屋はワンルームで、大きなベッドが一つと、小さなテーブルがついただけの、簡素なつくりだ。

「でも獣人は、人化もかなり違いがあるんだね。門の衛兵や、宿にいた人は、ほとんど動物って感じだし……」

「あわわ……。獣人って言っちゃダメです。ここでは人の地位が低いので、獣人っていうと、低い方に合わせることになるので……。私たちのことは人化動物(アニマロイド)、もしくは猩族と呼び、人族と別けています」

「猩々の『猩』? なるほど、サルのような架空の動物のことを猩々というから、サルに近い姿をした、という意味か……」

 改めてアイをみる。赤い甲冑のようなものを身につけているが、人として出るところはむしろ豊かで、その逆で、鍛え上げられた体はよく締まっており、スタイルのよさが目をひく。柴犬だったころもキツネ顔系で、すらりとした美しい肉体をしていたが、こうして人の姿になると、それが余計に際立っていた。

「そ、そんなじろじろ見ないで下さい」

「あぁ、ごめん。アイはここに来て、どれぐらい経つんだ?」

「三年近くになります」

 アイが亡くなってから、現実世界では五年以上が経っている。どうやら時間経過が元の世界とはちがうらしい。そういえば、ボクの姿も高校生のころにもどっているようだ。

「オニさんはここに居て下さい。本当は、町を案内したいところなんですけど、私もやることがあって……」

「大丈夫さ。ちょっとボクも寝ておきたいから……」

 アイはベッドメイクをして「私以外の誰が来ても、絶対に開けちゃダメですからね」と、念には念を入れるように、口酸っぱく忠告してから、部屋を出て行った。これは後で知ったことだけれど、ベッドはあくまで猩族がつかうもので、人族がつかうことは赦されていない。だから誰かに見つかることを恐れたのだ。

 色々と考えないといけないことも多かったが、ベッドに入ると、ほとんど意識を失うように眠ってしまった。


「オニさん……、オニさん……」

 まどろみの中で、そうした声が聞こえてきて目を開けると、アイが心配そうに覗きこむ姿があった。「ごめんなさい、お休みになっているところを……。でも、お風呂に入っておいた方がいいかと思って……」

 もう辺りは暗くなっており、恐らく魔法なのだろう。ランプの仄かな明かりで、部屋の中は照らされていた。

「本当は大浴場があって、24時間入り放題なんですけど、人族は入れてなくて……。地下にあるお風呂は、時間制限があるんです」

「ペット用……だから?」

 アイも頷く。だいぶ慣れてきたが、人間が虐げられる世界って、かなり窮屈だ。むしろ、産業用動物、飼育用動物にしたって、人間の都合でルールで色々と押しつけられているのはかなり窮屈なこと、なのだろう。

 アイに連れられ、地下へと下りる。そこは冷たく、暗く、入り口のドアも壊れかけていて、中に入ると三畳ぐらいの広さの、脱衣所らしき場所があった。

「さ……、先に入っていて下さい」

「え? 一緒に入るの?」

「ここはペットと一緒に入らないといけない決まりなんです」

 ペットが暴れたりしないため? 言葉が通じるのだから、そうそう粗相をするペットがいるとは思えないけれど……。

 どのみち、彼女は甲冑を身につけているので、着替えるのに時間もかかる。なるべく彼女の方を見ないようにして服を脱ぐと、お風呂場に入った。

 そこは岩を削っただけで、所々の岩の割れ目からお湯が滴り落ちる、そんな場所だった。湯船というものはなく、滴り落ちる湯をすくって利用する。当然そこに鏡なんてないし、魔法で灯された明かりも暗く、木製の椅子と、桶があるのが唯一の救いだ。お湯のでる岩の前にすわって、布でそれを浸して体をふく。

 ドアの開く気配がする。どうやらアイが入ってきたらしい。ケモノ耳、巻きシッポがどう生えているかも気になるけれど、彼女だって女の子。見てはいけないと後ろを向いたまま、声もかけられずにいると、彼女は反対の壁に向かってすわったようだ。

「これ、石鹸です」アイが床を滑らせて、白い塊を送ってきた。「髪の毛も洗えますよ」

 短いそんな会話から、話をしやすくなった。

「アイは水が苦手だったよな」

「え? あぁ、ちがうんです。お風呂に入ると、みんなすぐ怒るので、それでお風呂が嫌いになったんです。でも今はちがいますよ。ちゃんとお風呂に入ります」

「そういうことか……。確かに、ぶるぶるッとされると、怒る人もいそうだな」

「そうなんですよね。反射ででるだけだから、止められないのに……」

「基本的に、動物は雨に濡れてもいいように、毛や皮膚には多くの脂をコーティングしておいて、水を弾くようにしているからね。シャンプーは強引にそれを剥がすから、普段濡れないところが濡れて、気持ち悪いんだろ」

「そうです、そうです。怒らなかったの、オニさんだけです」

 犬側の事情が分かっていれば、怒る気にはならない。ただ意思疎通ができない以上、それに気づける人が少ない、というのが問題だ。

「大浴場の方は、やっぱり湯船があるんだ?」

「そうですね。泳げるぐらいの広さです。ただ混浴で、洗い場のみ衝立があって別々って感じですけど……」

 ちらちらと、アイがこちらを気にしているのに気づく。さすがに覗き見趣味はないし、お世話になっているアイを裏切るつもりもない。ただ、一度もふり向いてくれないボクに、アイがため息をついていることには気づけていなかった。


 お風呂を上がって、脱衣所の外で待っていると、甲冑を外したアイがでてきた。浴衣のようなものを着ており、妙に艶っぽくみえる。きれいな黄金に近い赤毛は、魔法で灯されたランプでつやつやと輝き、お風呂上りの火照った顔は、それこそ水もしたたるよう……と形容されるほどのものだ。

「お食事をとりましょう。でも食堂には行けないので、お部屋にもっていきましょうね」

 宿の女主人も心得ていたようで、お盆に二人分の食事をおいてくれる。部屋にあがって、小さなテーブルをはさんで向かい合った。

 食事は硬いパンとチーズ。それに肉系のスープがつく。塩味の足りない、優しい味ではあるが、むしろほとんどの動物にとって塩は自然にとれるか、草食動物が塩を舐めたとしても必要以上にとることはないので、この辺りは猩族の好みに合わせたものだろう。人間が塩分を採りすぎているのであり、この辺りは慣れるしかない。

「そういえば、オニさんって?」

 アイがずっとそう呼んでくるので、気になっていた。

「え? オニさんって呼ばれていましたよね?」

 なるほど、妹がいたので、母親からは「お兄ちゃん」で、妹からは「兄さん」と呼ばれていた。二つの音が混じって「オニさん」なのだろう。何かちがうものがでてきそうだが、今さら変える必要も感じなかった。

「アイは魔法剣士として、有名なのか?」

「そうですねぇ……。この世界では、国家に従属する剣士もいますが、私のようにフリーの剣士もいて、フリーの剣士は、依頼をうけて都市防衛にたずさわったりします。名前が売れてくると指名される場合もあって、私はこの町から依頼をうけて、ここに来ました」

「烈炙……というのは?」

「飾り名です。よほどの名門家系でないと、苗字もないので、飾り名をつけて互いを呼び分けるんです。昼間に会った『流迅のタマ』さんもそうですが、得意とする魔法だったり、自分の特徴だったりを飾り名にします」

 烈炙という飾り名だと、炎に関係するのだろうか……?

「そろそろ……寝ましょうか」

「あ、じゃあボクはこっちの床に……」

「何言っているんですか⁉ 一緒に寝ましょう!」

 思わぬ強い反発に、ボクも思わずうなずいてしまう。高級な部屋らしく、ベッドはダブル以上のサイズがあり、二人でも寝られないことはない……ということで、二人で布団に入った。

「オニさん。そっち……行っていいですか?」

「え? あぁ、いいよ」

 アイはいそいそと体を寄せてくる。それこそ、ボクの飼い犬だったころは、何かあるとボクの足やお尻に体をくっつけてきて、そこで丸くなった。群れをつくるオオカミは、敵が接近してきたり、雷や豪雨などが起こったりして不安になると、みんなで体をくっつけて、不安な気持ちを少しでも和らげる、という。なので犬も同じ、不安な気持ちを和らげるために、群れの仲間とみとめた相手に体をくっつけてくるのだ。

 そういうとき、軽く体を撫でてあげた。その方が安心するらしく、すぐに眠ってくれたからだ。サラサラの長い髪になったけれど、触感はあのころのまま、一本一本がしっかりとした芯の強さをもっており、それを手櫛のようにゆっくりと撫でてあげる。気持ちよさげに、アイは体をぴくんと波打たせた。

「私……もうオニさんとは会えないと思っていました。でも嬉しい……この世界で、また一緒になれて……」

 うるんだ瞳で見上げてきて、ボクも思わずドギマギする。

「オニさんといると、とっても安心……。私、幸せ…………」

 静かな寝息が聞こえてきた。その体にそっと布団をかけてあげて、ボクも目をつぶった。


 ハッと目を覚ます。その隣で寝ているオニさんをみて、思わず毛が逆立った。

 何をしているの、私ぃ~ッ⁉ 昨晩は、オニさんと大切な一夜を過ごすんだって、慌てて帰ってきて、ムードを盛り上げるため、一緒にお風呂も入って、食事もとって、こうして一緒のお布団に入ったのに……。何でぐっすり寝ちゃっているの~⁈

 昔からオニさんに体をくっつけていると、とっても温かくて、心が安らいで、よく眠れたんだった~ッ‼

 よく寝てどうするの! せっかく人の体になって、オニさんとお話もできるようになって、ずっとムリだと諦めていた、オニさんと結ばれる機会ができたんじゃない。そう、犬として生きていたころは、結ばれたいけどムリだった。こうして異種族間だけど、こっそりとなら付き合ってもいいってなったんじゃない。

 もしかして、オニさんが私の寝ている隙に……。慌てて体を点検するけれど、そんな可能性がないことも知っていた。オニさんはマジメな人だから、きっと私のことを思って、一緒のベッドにいても、手を出しでくることはないだろう。私が寝ているのなら、尚更だ。その生真面目さが憎いけれど、私もそういうことは自分が起きているときがいいので、その点は納得するとしよう。

 でも問題は、オニさんのマジメさが、お世話になっている私への遠慮、という形ででてくることだった。

 あぁ、ペットなんて言わない方がよかったかな……。でも、そうなると連れ添い? ここでは異種族間の婚姻はみとめられていない。こっそりと付き合っている子がいるのは知っているけれど、あくまで形式上は恋人であってはいけないのだ。

 そうした事実を知られる前に、既成事実をつくってしまおう……と思っていたのに、何を寝ているのよ、私。しかもぐっすりと、朝まで……。

 オニさんがゆっくりと目を開ける。

「おはよう、オニさん❤」

 そういって、首にとびついて、寝起きのオニさんの顔にすりすりする。今はこういう関係でいいや。でも、いつかオニさんと結ばれてみせる!

 ぶんぶんとシッポをふりながら、アイはそんなことを考えていた。



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