4-5 選択と犠牲
「……お前の言う事を聞いておいた方がよかったかもな、碧」
大勢のM.A.R予備生に囲まれた現状、七香を庇いながら、センが殺される前に全てを殺すのは、現実的に不可能。
そのために何が足りないかと言えば、それは力だ。
俺は、自分にはこれ以上の力は必要ないと思っていた。だから、M.A.Rで全力で訓練を積むよりも、適当に手を抜いて力を隠す事を優先した。
実際、ある意味では俺の考えは正しかったのだ。
俺の硬化を貫くほどの強度の翼を持つ碧、センを殺し得る力を持った真琴、そして多数のM.A.R予備生。これだけの戦力に囲まれたところで、俺はまだ死ぬ気はしない。俺の収めた『宵月の民』の技は、自分が死なずに生き残るためだけならば最適の力だ。そしてセンを追うためにM.A.Rに入った時の俺は、自分が死なないだけの力があればそれで十分だと思っていた。
だから、誤算は俺の力ではなく、頭の中身の方。
センだけならまだしも、碧も七香も、その全員を死なせたくないなんて欲求が自分の中に生まれるとは予想すらできていなかった。それがわかっていたなら、俺は敵をより早く殺す力を、自分以外をも守る力を身に着けようとしていたかもしれない。
「わかった。諦めよう、真琴」
だが、そんな力はない。手に入れようと努力しなかった事を悔やんでも意味はない。今ある手札で、選べる選択肢を選ぶしかない。
「信用しないよ。特殊警棒で寝かせるから、抵抗しないで」
真琴の声に応じて、包囲を敷いた予備生の内の一人が特殊警棒を抜いて俺へと迫ってくる。それを喰らって気絶するのが降伏の意思を示す方法、という事らしい。
もちろん、そんな選択肢は選べない。俺が意識を失ったとして、真琴が俺の降伏を認めたとして、それで全員が生き残る保証はない。真琴を信頼する事はできない。
「七香、俺を守れ」
だから、選んだのは、七香を抱いて全力で走る事だった。
「――――」
七香は問い返すでも驚くでもなく、ただ無言で俺の目を見て頷く。説明をしている時間がない事を一瞬で理解した七香は、その上で俺に従う事を選んでくれていた。
「逃げた……いや、違う?」
向かう先は真琴とセンとは逆方向、碧への最短距離。
まだ、碧は増援の予備生達よりも俺達に近い位置にいる。だから、相手にするのは碧だけでいい。
「右」
碧の両の翼が、上下に位置をずらして左右から俺を挟撃しにくる。
向かって左、胸へと向かってきた翼の軌道を、刃に変異させた左手を這わせて逸らす。正面から受ければ切り裂かれる硬度とは言え、短剣よりは硬い俺の変異部位は、碧の翼が相手でも逸らすだけなら可能だった。
そして、右は七香の変異させた両腕が止める。止めるとは言え一瞬、俺の変異部位と同じく七香の腕も両断されかけるも、体積の違いの分だけ俺の時よりも時間を稼ぎ、完全に切り離される前に俺が後ろに突き飛ばす事で切断を逃れる。そのまま、七香は身体ごと翼の圏外に逃れた。
なおも迫る右の翼には、七香の稼いだ時間分で右手の硬化が間に合う。下に逸らしながら跳躍、その方向は前方。
ここまでが一手目、だが先程とは違いまだ前に進めている。その理由は、翼の軌道が大きく外れた事で碧の二手目が遅れ、俺の防御体制が整うため。
二手目は、翼の逸れた方向そのままに、右上と左下からの斜めの二発。タイミングも同時ではなく、まずは上、そして下と準備のできた側から切りつけてくる。
だから、難易度は下がった。同時に二箇所を受ける必要がないのであれば、それぞれの翼に対してまずは右手、次に左手と硬化させる部位を変えて対応すればいい。
そして、三手目。四手目が来る前に、俺の手は碧へと届く。だから、これを避けるのがひとまず俺の目標だった。
碧、あるいは彼女を操る何者かもそれを把握しているのか、流れのままに翼を振るうのではなく位置を調節し、一手目と同じ位置、同じタイミングで左右からの挟撃を放つ。
最初は、短剣を壊され右手を切り落とされ、後退を余儀なくされた。二度目は、七香の力を借りて捌いた。だが、今の七香の位置ではそれも不可能。
だから俺を殺せる、という読みは外れだ。左に一歩、変異させない右足で全力で跳び、左からの翼に右手を合わせる。逸らすのは上、そして接触の勢いで身体ごと腕を反転させ、右の翼へも右手で対処。そのまま勢いを下に逸らし、上下に逸れた翼の間を前へと跳ぶ。
最初の攻防と違うのは、俺に知識がある事。左右の挟撃をこの方法で抜けられる事はわかっていた。問題があるとすればその後の体勢が崩れすぎる事、つまり次の攻撃は躱せない。
「がっ……ハ、ッ」
だから、碧の二本の刃、両腕の変異したそれが胴を貫き、切り裂く事は避けられなかった。
碧の変異部位は背中から生える翼――それが目立つものの、M.A.Rでの碧は両腕を主な変異部位として扱っていた。特に変異規模が大きいのが翼というだけで、両腕もまた普通の変異者程度には使いこなせるのだろう。
やはり、全てを守ろうというのは虫が良すぎた。物事はそうそう上手くはいかない。
「――悠?」
だが、まぁ大体は上手くいっていた。
碧の両腕を喰らう事までは、ほとんどわかっていた。そして、それと同時に俺の伸ばした腕、その先の短剣が碧のM.A制服の内側に入った携帯端末を切り裂ける事も。
わからなかったのは、それで碧を解放できるかどうか。
最初は、M.A.R制服に目を付けた。だが、碧の身体に傷をつけずに一撃で服の大部分を剥ぎ取るのは不可能だ。だから、M.Aに支給された携帯端末が制服を通して碧の身体に指示を送っている可能性に賭ける事にした。
できれば、こんな手段を取りたくはなかった。確信などない賭け、だが、それでも俺の望む結果を得られる可能性はここにしか残っていなかった。
「悠……!? なんで、私が、そんな――」
そして、賭けの結果として、碧は自我を取り戻していた。
携帯端末が原因だったのか、あるいは死にかけた俺を見て自我を取り戻した――なんて事はないだろうが、結果としてここまでは運良く転んでいた。
「聞け、碧」
だが、ここからもまだ賭けだ。
「やだ、こんなの――おかしい、絶対! 何かの間違いで――」
碧の様子を見る限り、操作されている間の意識はなかったのだろう。目覚めてすぐに見た光景が自らの腕が俺を貫いている図では、半狂乱になるのもむしろ当然だ。
「碧! 手伝え!」
だとしても、碧には冷静になってもらう必要がある。碧が使い物にならないか、それとも十全に使えるか。それが、二つ目の賭けだ。
すでに操作されたM.A.R予備生が二人、見飽きた左右からの挟撃の構えを碧へと向けていた。俺は防御どころかまともに動けない、碧自身が対処するしかない。
「制服を全員殺せ! そうしないと、俺が死ぬ!」
限られた尺の中で、俺の選んだ言葉はそれで。
「あ、あ――」
そして、碧は焦点の定まらない目で、しかし不気味なほど正確にその指示を実行した。
空間を裂くのは翼、二対のそれらは瞬く間に腕を振り抜こうとした二人の予備生を上下に両断すると、そのまま一気に肥大化し、周囲の予備生、職員を防御のため硬化した変異部位ごと細切れにしていく。
翼が止まった時、残っていたのは碧と俺、そして七香と、戦いを止めた真琴、センだけだった。
「……何、それ。すさまじいね」
センを攻める手を止めた真琴の口から出たのは、純粋な驚愕。
「バカ……だな、碧は……こうやって使うんだ」
俺の口にしたのは、当然だが完全な虚勢。
まず碧を解放し、その力を借りて職員と予備生を排除、センの助太刀に入る。
それが俺の策だった事はたしかだが、それでも碧の振るった力は予想以上過ぎた。自我を取り戻した碧の力は最高でも操作されていた時と同等、戦闘技術と精神の拙さでそれ以下となり、センを救うのに間に合うかどうかは微妙なところだと読んでいたが、とてもそんな次元ではない。
「うん、たしかに悠もすごいよ。M.Aの操作の種を暴いて、その子を解放した。すごいのはすごいけど、それ意味ある?」
「むしろ……なんで意味が……ない、んだ?」
「死ぬからだよ。自分が死んだら、他がどうなっても意味ないでしょ」
「やめろよ……碧が暴れる」
真琴の言葉に、俺にしがみついていた碧の身体が小さく跳ねた。
「碧も……そろそろ、起きろ。それで……あいつを殺せ」
「……そんな事をして何になる? 悠はもう――」
「死なない死なない。ほら……塞がって、きてるだろ」
碧に暴れられるのは困るが、だからと言って無気力になられるのも困る。だから、腹部の治癒していく様を見せる。
「また……隠し事で悪いけど、俺は……全身を変異、させられる。だから……時間はかかるけど……治るんだよ」
「――本当に? 悠は、死なない?」
「そう、だから……しゃべらせるな。傷に、響く」
傷が塞がっていこうと、すぐに俺が動けるようになるわけではない。今、センを抑える戦力を持つ真琴に対抗するには、どうしても碧の力が要る。
「真琴を……あの女をセンと組んで殺せ。とりあえず……まずは、それだ」
「わかった。償いになるとは思わないけれど、今度こそキミに従おう」
俺から視線を振り切ると、碧は真琴を睨み、背から翼を生やした。
これで、また賭けは勝ち。
残りの賭けは、センが碧との共闘を呑むかどうか。共闘したとして真琴に勝てるか。そして真琴を倒す前に――
「わかったわかった。私は逃げるよ、それじゃ」
だが、碧の視線から逃れるように、言うが早いか真琴は一目散に去っていった。
逃げたと見せかけて不意打ちを狙う、またも味方を引き連れて戻ってくる、あるいは本当にただ逃げ去った。いくつも可能性はあるが、この場合こちらが取るべき選択は一つだ。
「逃げるぞ……碧、七香……それに、セン。異論は……許さない」
少なくとも、真琴との距離は開いた。今ならば、センと碧がそれぞれ翼を生やし、俺と七香を一人ずつ運んでくれれば逃げられる。
「……わかった。私がこいつを運ぼう」
真琴との戦闘で傷を負いすぎたためか、センもこの場は素直に従ってくれる。センを撤退させられるかどうかも一つの山だったため、労せずそこを越えられるのはありがたい。
ここまで来れば、後は賭けは一つだけだ。
「じゃあ、ボクが悠を運ぶ。行き先は?」
「M.Aの……息の……かかってない、それで……治療を――」
急激に、思考が崩れた。気を抜いたからか、それとも肉体の限界か。
「悠? ……おい、悠! キミは――」
薄れていく視界の中、できるだけ長く碧の声を聞いていたいと思って――そして消えた。
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