4-4 雨宮
俺は、雨宮悠だ。
最初にそう告げられたのは、『宵月の民』の人間、俺の教育係のような役目を担っていた女からだった。
『宵月の民』は、『宵月』姓の人間のみで構成される対変異者集団、一般的に見れば歪な在り方をした集団だが、その中ではそれが常識だった。つまり、俺こと雨宮悠は、その常識に反していた。
そして、『宵月の民』が滅びた事により、俺がその常識に反しながら『宵月の民』にいた理由をたしかめる手段は失われた、はずだった。
だが、どうやら雨宮姓を名乗った女、雨宮真琴は俺の出生を知っているらしい。
「……で?」
もっとも、今はまったくもってそんな事を気にしている場合ではない。
「で、って? 悠が聞きたい事を聞いてくれればいいよ」
「だから、お前の要求を聞いてるんだろ。俺達に何をしてほしいんだ?」
白衣の女は明確にM.A側の人間、だが俺達をただ排除するのではなく、わざわざ会話を持ちかけてきた。だとすれば、そこには交渉の意図があるはずだ。
「あー、そっちの方が気になるの? つまんないなぁ」
「物騒な連中を引かせてくれれば、面白い話をしてもいい」
「わかったわかった、じゃあそっちを手っ取り早く終わらせよっか」
当然ながら真琴は兵を引かせてくれるわけもなく、退屈そうに俺の問いに乗る。
「って言っても、目的は見ての通りだよ。投降か殲滅か、前者の方がいいから、私はこうやって悠と話してるわけ」
「普通だな」
「だから、つまらないって言ったのに」
真琴の要求は普通に投降、それだけなら自らを『雨宮』と名乗り俺との関係性をほのめかせる必要はないはずだが、そこは真琴曰くの『つまらない話』以外の別件だという事なのだろう。
「投降すれば悠も仲間の子も、それに『Y』の変異体も生かしてあげる。だけど抵抗するようなら――なんてわざわざ言うのもバカバカしいか」
投降を迫る側と迫られる側、そのやり取りは定形すぎてわざわざ口にする必要もない。信頼できるのか、なんて聞いてみても無駄でしかないだろう。
ただ、俺達には単純な投降を迫る側と迫られる側にはない事情がいくつかあった。
「まったくだ。そもそも、私をこいつらと同じに括るな」
「なら、君は一人でも抗うって事?」
「当たり前だ。雑兵を揃えた程度で図に乗るな」
「……やっぱり、そうなるかー。めんどくさいなぁ」
一つは、センが俺の仲間ではない事。仮に俺が投降すると言ったところで、センがそれに従うかどうかは全く別の問題だ。
「まぁいいや、全員一緒じゃなくてもいいよ。その辺はそっちで勝手に決めて」
「なら、決める前に一つ聞かせろ」
「いいけど、何? 投降した後の扱いでも聞きたいの?」
「お前は碧に何をした?」
そしてもう一つの事情は、碧についてだ。
最初は碧が単純にM.A側に付こうと思い直しただけかとも思ったが、やはりそれにしては様子がおかしすぎる。
「碧? あぁ、枯木碧の事? 別に何もしてないよ、ただM.A.Rの予備生として、M.Aの指示に従ってるだけでしょ」
「そうなのか、碧?」
「…………」
真琴の言葉を無視して碧に問うも、返事は一切返って来ない。
それは、明らかな不自然だった。M.A側の人間として俺達を投降させたいのであれば、碧は真琴の言葉に同調するべきだ。何より、今の碧は言葉を発さないだけでなく、その目にすら何の感情も浮かんでいない。
「無駄はやめよう、真琴。これで誤魔化せるわけがない」
「あー……まぁ、そうだね。私は、というよりM.Aは枯木碧に何かをした。そこまでは認めるしかないけど、それ以上は言わないよ。知りたいなら、投降すれば教えてあげる」
呆気なく誤魔化す事を諦めた真琴は、しかし具体的な事は何も口にしなかった。
とは言え、それは予想通り。確認が出来ただけでも、意味はある。
「さて、と……どうするか」
今のところ出せる情報は大体出揃った。それを材料に、動き方を決める必要がある。
まず決めるのは、目的。
これは、意外にも簡単に決まった。俺とセン、碧と七香の四人全員の生存だ。
とは言え、それを実現するのは簡単ではない。全員で投降できれば話は早いのだが、センは俺の指示など受け付けない。それに、仮に投降できたとしても、その後の処遇が保証されているわけではなく、主導権を手放した成り行き任せの選択となる。
だから、現実的には抗うしかないだろう。とは言え、ここで戦闘をする場合、碧への対処が問題となってくる。おそらくM.A側に操られている碧を、どうにかして解放し自我を取り戻させる。そうしなければ誰かが碧に殺されるか、逆に碧がセンに殺される。
正直、状況は悪い。欲張らずに優先順位を決めて切り捨てるものを選ぶべきなのかもしれないが、どうもそんなつもりにもならなかった。それはきっと、俺が子供だからなのだろう。
「七香、武器まだある?」
「短剣が三本だけ」
「じゃあ、自分の身だけ守ってくれ」
真琴に聞こえないよう、ささやくような声で七香と意思疎通を行う。
七香の基本戦術は投剣。だが、もうそのための剣がない。正直、今の七香は戦力として見るよりも投降や逃走で戦場から離れてくれた方がやりやすいくらいだが、前者は人質にされるだけで、後者も囲まれている以上、戦うのと似たり寄ったりだ。
「セン、できれば雑魚から払ってくれ」
「……まぁ、そうするしかないだろうな」
続いたセンとの意思疎通も成功、とりあえず幸先はいい。
セン自身は碧との戦いを望んでいるのだろうが、センの変異能力、身体部位の異様な肥大化は多人数を殺すのにより適している。戦術的な観点から見て、センも俺の提案に乗ってくれる事にしたらしい。
「では、死ね」
皮切りはセンの一撃、合図も打ち合わせも無しのそれは、真琴を目掛けて両腕を肥大化させただけの単純なものだった。中心は真琴、とは言え爆発的な肥大化はその周囲の職員、予備生をも巻き込み呑み込んでいく。
「――やっぱりか」
血と肉、そして変色し硬化した変異部位が飛び散る横で、朱に染まった白衣を身に纏った女が笑っていた。つまり、真琴はセンの物量攻撃を一度は捌くだけの力があるという事になる。そうなると、まず真琴を殺し、それにより碧の自我が戻るかどうかを確認するという手は難しくなった。
そして、センの腕が戻るよりも先に、セン、七香、俺の元へと周囲の職員と予備生が詰めてくる。センの動向を見守る余裕は消え、自分の動きに意識を割かざるを得ない。
統率されすぎた動きで、四方からほぼ同時に三人の職員と一人の予備生が迫る。四人全てを同時に捌ききれる手数はないため、前進して衝突するタイミングをずらす。
前方、二人の変異させたのは共に右腕。左右から挟み込むように、なおかつ肩と腹へと上下の位置をずらして振るわれた手刀は、単純ながら避けにくい連携となっていた。
だから、右は避けず、手刀の当たる部位を硬化させて受ける。左から肩口に向かってくる手刀は左の短剣で上に流し、腰を屈めて回避。防御の短剣を流す動きで左の男の首を裂き、右の短剣は右の職員の腕を落とそうとして失敗。M.A職員の制服の下は、斬りつけた二の腕までが硬化しており、刃は通らなかった。
すれ違うように前に出た俺へと、反転した職員と元々追ってきていた二人、合計で三人が背後から迫り来る。最も近いのは先程交錯した職員、右腕の突きは横に流し、開いた胴と首へとそれぞれ刃を突き立てて今度は確実に殺す。
続いた二人の放つのは、またも左右からの上下にずらした挟撃。気味の悪いほど先程と同じ形のそれは、先程とまったく同じ手順で処理できてしまう。向かって右の一人が残るのも先程と同じ。最後に残ったのは、四人の中で唯一のM.A.R予備生。単騎でも躊躇なく距離を詰め、突きを放ってくるが、返しの刃で胸を裂いて処理する。
ひとまず、問題はない。右手以外の硬化まで使わされはしたが、それでもこの場の残りの兵が全て今の四人と同じ程度なら、死なずに殺し続ける事はできる。
ただし、M.A職員達の動きには違和感があった。統率されすぎている、というよりどこか機械的に動いているように感じる。あるいは、ここにいるM.Aの兵は、真琴以外は碧と同じように操作されているのかもしれない。
俺の目的はあくまで碧で、他の職員や予備生が操作されていようと興味はないし解放する必要もないが、その存在は判断材料として役には立つ。
そして、ここまでに出揃った情報から、俺はすでに一つの仮定を立てていた。
だから、碧へと距離を詰める。
M.Aにより操作されているのはM.A職員と、碧を含むM.A.R予備生。だが一度はM.A.R予備生の立場にあり、今も書類上はそうであろう俺、そして七香は今も操作される事なく、それどころか現在進行系でM.Aとの対立行動を続けている。
ならば、M.Aが操作できる基準は何か。それを俺は『制服』だと仮定した。
真琴がこの場に連れてきたのは、真琴自身を除いて全員がM.A職員かM.A.R予備生。それが一目でわかったのは、彼らが一様にそれぞれの制服を身に着けていたからだ。
そして、他でもない碧も、M.A.Rの制服を身に着けている。
一方で、俺と七香はM.Aを脱出しようとした際の服装、私服のままだ。だからM.Aの操作の対象から逃れる事ができた、というのが俺の仮定。
それを実証するために、俺は碧の制服を剥ぐ事になる。本人に傷を付けずに服だけを剥ぐというのは難易度が高い上、どこまで剥げばいいのかもわからないが、可能性があるなら試してみる価値はある。
職員や予備生の接近と同時に、碧は一歩退いた立ち位置を取っていた。おそらく俺から引き離すためだろうが、しかしその位置が逆に碧を孤立させており、一対一で向かい合う事はむしろ容易。すぐに左右から次の兵が襲ってくるだろうが、それでも少なくとも一手は進める事ができる。
「…………」
寄っていく俺に、碧の反応は皆無。
動かない表情と身体の後ろから、左右に挟み込む軌道で俺の胸と腰を目掛けて翼が振るわれる。
大枠としては、先程の職員達の攻撃方法と同じ。だが、職員達が二人掛かりで行っていた事を碧は一人で行い、なおかつその速度も射程も遥かに上回っていた。
互いの距離が残りすぎているため、一手を逸らして即座に反撃には移れない。ゆえに両手は防御、胸への翼を上に逸らし、腰への翼は受け止め、殺しきれない衝撃を使って跳ぶ。
「強、っ……」
だが、碧の翼の威力は予想以上だった。左からの翼は俺の短剣と接触すると、僅かな均衡の後に短剣の刃を切断。ほとんど軌道を逸らせなかった翼は屈んで頭の上を通すも、直後に硬化させた右手に衝撃。腰へと向かい来る右からの翼を受け止めようとして、だが碧の翼は俺の手を両断すべく喰い込んでくる。
「寄れない、か」
結果、右手の防御も引いて右翼を跳躍で躱すしかないが、着地を狩るべく一度は過ぎていった左翼が戻ってくるため、跳ぶ方向は後ろしかない。必然、一度距離を取って立て直す羽目になる。
碧の翼、その最も脅威なのは威力、そして強度だった。碧の翼が形作る刃は、肥大化などさせずただ硬化した右手の強度を切り裂くだけの硬度を持っている。
受け止めるためには、単なる硬化だけではなく、肥大化とは反対に変異細胞を一箇所に凝縮する事で硬度を上げる必要があるだろう。
ただ、俺は変異部位を凝縮するような訓練をした事はない。仮にできたとしても、元々小さい変異部位を掻き集めれば、硬化できる部位はごく小さなものとなってしまう。
俺にとって幸運だったのは、身に付いた『宵月の民』の技が受けるのではなく逸らすための技術だった事。左の翼を短剣で受け止めようとしていれば、その短剣ごと俺の身体は両断されていたかもしれない。
もっとも、直撃を逸らす技術を計算に入れた上でなお、碧へと確実に距離を詰める手段は思い浮かばなかった。
先程の攻防で、今の俺の手元にある短剣では碧の翼の衝撃を逸らしきれず破壊される事がわかった。俺の防御技術がもっと高ければ逸らせるかもしれないが、今この時に技術が向上する事など望めるはずもない。
思考の隙に迫ってきた左右、そして背後からのM.A職員の同時攻撃は防御と回避で逃れ、まず背後の一人の胸を貫き頭数を減らす。二人相手の勝ち筋は確定しているため、後はただそれを辿ればいい。
碧へと詰めて解放する手段はまだ見えないが、俺の方もこのまま続けていれば死ぬ気はしない。碧が積極的に俺を殺しには来ないのもその一因ではあるが、向こうから攻めてくれればこちらにも好機は生まれる。むしろ、攻めてくれた方が都合がいいくらいだ。
「……悠、さん」
なぜなら、この状況では『俺が死なない』だけでは不足だから。
「わかった、俺の影にいろ。とりあえず、他から減らす」
俺の名を呼んだ七香、その腹部からは少なくない血が流れ、加えて右脚を引きずった姿からは、一目でこれ以上の戦闘の続行が困難である事がわかった。
元より、七香にはこの場で生き続けられるだけの対面戦闘能力はない。俺の戦い方は人を守るのには向いていないが、それでも七香を死なせないためには守る必要がある。
「違、います……私より、向こうを……」
「向こうって――」
七香の視線の先は俺の背後、碧に背を向ける事を躊躇しながら振り向くと、そこには夥しい量の血と肉、それと同等以上の変異部位の切れ端が積み重なっていた。
「……セン?」
その上で切り結ぶ人影は二つ、朱色に染まった白衣の女、真琴と、ボロ布のような衣服を纏った少女、セン。
センは元々、変異部位の肥大化による質量攻撃が主な戦闘手段だ。
だが、その肥大化させた変異部位はすでに多くが切り離され、地に落ちている。つまり真琴はセンの変異部位を切り離す変異能力の持ち主、『センを殺せる相手』だった。肥大化させればその部位から切り落とされるため、センは質量攻撃ではなく硬化させた身体と体術での戦闘に切り替えたのだろう。
もっとも、それでもセンが容易に傷つけられるとは思えない。頭部以外の全身を変異させられるセンが肥大化を抑え近接戦闘に徹すれば、頭部以外への攻撃はほぼ無意味となる。そして、単純な戦闘技能と身体能力だけでも、俺の見たところセンはかなり優秀な類だ。
そのはずなのだが、劣勢なのは依然としてセンだった。
互いに振るうのは刃に変異した両腕、だが速度も技量も真琴が上。頭部だけを守ればいいはずのセンは、それでも防御が追いつかず、抜けてきた突きや手刀を肩周りを変形させて受けようとして、その変形する最中の部位から切り落とされる事を続けていた。
当然、センも受けるだけではなく腹部や膝、棘へと変異させた肉体で真琴を殺そうとするも、その変異も端から切り落とされる始末。
ただし、良く見れば、真琴は完全に全ての攻撃を処理できているわけではない。だが、その処理できず通ったはずの攻撃すらも、真琴の身体に傷をつけられているようには見えなかった。
「潔く諦めた方がいいと思うけどなー。続ければ死ぬよ、この子」
真琴の言葉は、目の前のセンではなく俺へと向けられていた。
その言葉通り、二人を戦わせ続けていれば、いずれセンは死ぬだろう。センが死ねば更に戦況が悪くなると見て、七香は俺にその状況を伝えようとしたのだ。
「その前に、お前を殺す」
俺はセンも失うわけにはいかない。だから、止める。
順番としては、まず七香を襲う残りのM.A職員とM.A.R予備生を殺す。その後にセンと戦う真琴を殺し、そして碧をM.Aの操作から解放する。
すでに職員と予備生は、俺とセンの手によって半分以上が死んだ。残りを殺すだけなら可能だが、それを七香を庇いながら、センが殺される前に行う必要がある。つまり、多少無理な形で攻めなければならない。
できるか? わからない。ただ、無理とは言い切れない。だから、やる。
「だーめ。その前に、他を殺さないと」
その決意は、簡単に折れた。
周囲から聞こえたのは、足音。その発生源は先程の職員、予備生を合わせたのとほとんど同じ数の、新たに増援として現れたM.A.R予備生だった。
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