4-3 味方

「……何のつもりだ?」

 横目で頭の横の刃を眺め、センは不可解そうな声を零す。

 センはほぼ全身が変異部位、つまり胴を貫いたところで、変形し内蔵を逃してしまえば死なない。仮に内蔵を破壊されたとしても、それを再生する事すら可能かもしれない。だがそれ以前に、実際にはセンは自ら胴を穴を開いた形に変形させ、穴を通した碧の槍をその内部に抑えつけるという芸当を見せていた。

 それでも、俺の予想通り、どうやら頭部だけは生身、壊れれば死ぬ部位だったらしい。だからこそ、俺の突き付けた短剣を無視できずにいる。

「センが言ったんだろ、殺してみろって」

「だが、お前は私を殺していない。だから、何のつもりだと聞いている」

 今こうして会話が出来ている事も示す通り、俺はセンを殺していない。

「戯れにしては犠牲が大きすぎる。目的がないわけはないだろう」

 そして、混戦の隙を突いたとは言え、俺も何も労せずセンの元に辿り着けたわけではなかった。空いていたセンの左脚、そして脇腹から襲ってきた杭を防御し受け流しながら進んだ道中で、左肩の小さくない穴と全身の掠り傷を負う羽目となっていた。

「ボクを……助けるため?」

 呆然と、口を開いたのは碧。その首元には、センの背から伸びた細い三本目の翼が刃となり突き付けられていた。

「……まぁ、それはそうなんだけど」

 俺が今動いたのは、碧がセンに殺される事がわかったから。それを止めるため、というのが当座の目的で、その目的はなんとか達成されていた。

「ならば、どうしてさっき私に付いてきた?」

 しかしそうなると、当然ながらセンの問いが返ってくる。

「お前の目的は何なんだ、雨宮」

「……ああ、もう、めんどくさい」

「何だと?」

「目的なんかない。俺はただ、その時にやりたいようにやってるだけだ」

 自分の内面を探ったところ、どうやら多分、そういう事らしい。

 俺の当初の目的、M.A.Rに入った目的はセンに会う事だった。

 そして、そこで目的は終わったのだ。

 その後の事は決めていなかったし、センに会ったからといって勝手に決まりもしなかった。だから今は、ただやりたいようにやっているだけ。

 センの関心を惹きたいと思った。センに付いていきたいと思った。そして、碧が死ぬのを避けたいと思った。それらはただ独立した欲求で、一貫した理由があるわけではない。自分でも自分の感情がわからないが、感情というのはそういうものなのだろう。

「子供か、お前は」

「もちろん。俺はかわいい小鳥だよ」

 呆れたようにセンが吐き捨てた言葉は、まったくもって真理を突いていた。

『宵月の民』が滅びて二年、俺が自由と人並みの感情を得てから、まだそれだけの時間しか経っていない。センに会うという目的を失い、完全に自由に行動を選ぶしかなくなってからはまだ数時間だ。自分の感情も行動も把握できなくて、むしろ当然だろう。

「……まぁ、いい。それで、ここからお前はどうしたい?」

 突如動き、センを殺す寸前まで辿り着いた俺の行動に、M.A職員達は戸惑い、次の行動を選べずにいた。

 とは言え、実際には状況はあまり変わっていない。場の人数は変わらず、センとM.Aの対立が解けたわけでもない。唯一大きな違いは、俺がセンの生殺与奪を握っているという事くらいだが――

「殺せ!」

「命令するなよ」

 我に返ったように叫んだM.A職員に逆らい、短剣をセンの頭部から引く。

「殺さないのか?」

「俺はセンにも碧にも死んでほしくない。だから仲良くしてくれ」

「馬鹿馬鹿しい。もう脅しは通らない」

「知ってる。単なる希望だよ」

 短剣を突き付けている間はセンにある程度言う事を聞かせられたかもしれないが、一度離してしまえば、もうセンを脅せない。変異部位を全て身体に収縮させ戻した今のセンは、この距離であっても俺に殺される事はないだろう。

「ただ、碧を殺すのはやめてほしい」

「従う理由はないな」

「生かされておいてそれとは、随分と恩知らずだね」

 無防備に、碧がこちらへと一歩を踏み出す。

「恩などない。雨宮は私を殺しかけて、自らそれを止めただけだ」

 的外れな碧の言葉、それをセンは言葉で咎めた。

「なるほど、ボクとは違うというわけだ」

 そのまま歩を進めた碧は、俺の隣に並んだところで止まった。

「恩返しに来た、って?」

「そんなところだね。ここから先、ボクはキミに従おう」

「やめといた方がいいと思うけど」

 俺が碧を救った、というのは事実だが、それはもはや過去の話。現在から先の判断はあくまで現状を見て決めるべきだ。

「多分、まだ間に合う。お前はM.Aにいた方がいい」

 碧は強力な変異体、だがその力の使い方や身の振り方については年相応に疎い。その点で言えば、同じような動機で動いていた七香の方が余程成熟していた。碧は組織に使われる事で最も力を発揮できるタイプの人種であり、本人にとってもそれが楽で安全な道のはずだ。

「どうせキミに救われた命だ。キミのために使う事に躊躇はないよ」

「またお前はそういう事を……」

 とは言え、碧自身の性格はこんなもので。夢見がちな少女を理屈で説得するのは、相応に骨が折れる。

「冗談や酔狂じゃない。ボクは……変異体として生まれたボクが、誰かに守られ、救われるなんて思っていなかった。だから、キミを使って妄想に耽りもした」

 そしてひとりでに語り出したそれは、やはり妄想の類について。

 ただ、碧は最初から俺への感情を妄想だと自覚していた。

 それは俺の予想外で、だとすれば、碧はこれまで理性的に妄想を制御し楽しんでいただけという事になる。

「だけど、キミは今、妄想ではなく現実にボクの命を救った。それが何より嬉しく感じてたとしても、仕方がないだろう?」

 碧との初対面、侵入者を処理した時と、その後の事を思い出す。

 結局のところ、あの時の俺は碧を救ったわけではなかった。ただ先に動いただけ、俺が何もせずとも、碧は自分一人であの場を切り抜ける事ができた。

 だから、あの時の俺はあくまで形として碧を救っただけで。それだけの事で、碧は俺を妄想の材料にして執着する事となったのだ。

 きっと、碧はずっと、『救われる』という事に対する渇望を抱いていた。それは本人の気質に加えて、自らが変異体であるという境遇のためなのだろう。俺は碧の過去について詳細に知っているわけではないが、基本的に変異体というのは人に恐れられ疎まれるもの、良くても人を救うもので、人に救われるものからは程遠い。

 しかし今、俺は碧をケチの付けようもなく完璧に救ってしまった。となれば、碧にこれ以上なく執着されてしまったとしても、それはたしかに仕方のない事なのだろう。

「まったく……」

 溜息を吐きながら、それでも俺の口元には笑みが浮かんでいた。

 俺は碧の身を案じていたはずで、ならば碧はM.A側に残ってくれた方がいい、と判断したはず。だが、碧が俺の隣に並んでいる事に喜びを感じている自分もいる。

「それで、センはどうする?」

 とは言え、碧が俺に付くと決めたとしても、まだ戦況は確定しない。

 確定しているのはセンとM.Aの対立構造、その中での俺の立ち位置は曖昧だ。個人的にはセンに付きたいが、セン自身が今の俺をどう見ているのかがわからない上、先程は俺から刃を突き付けもした。そもそもセンが碧と戦いたがっていた事もあり、碧が俺に付いた事でどういった反応を示すのかは正直読めない。

「……ひとまずは、雑魚を払う。後の事は、その後で考えるとしよう」

 大きく、溜息。

 そしてセンの下した結論は、M.A職員から排除するという事だった。

「手伝おうか?」

「どうでもいい。どちらにしろ、作業に過ぎない」

 センは碧を抜いたこの場のM.Aの手勢、変異体一人を含むそれでは自分を殺せないと判断していた。ならば、ここにあるのはセンの求める闘争ではなく作業、俺が多少それを手伝ったからといって邪魔にはならない。

「じゃあ、私は引くよ。またね、雨宮くん、枯木さん」

「柊さん!?」

「だって勝てないでしょ、これ。あれ一体でも厳しいのに、向こうに変異体一人持ってかれたら無理だって」

 状況を察したM.A職員の内の一人、柊が踵を返すと、周囲の職員達も敗色濃厚な事実に勘付いていたのか、後ずさりで距離を取り撤退の姿勢を取り始めていた。

「悠さん!」

 そこにまた一人、俺達を囲うM.A職員の輪の外から、俺側の変異者が駆けつけてくる。

「七香か、何があった?」

 だが、その形相を目にした瞬間、単純に味方が増えた事への感想を抱いているような場合ではない事を悟った。

「M.A職員と予備生の連隊が来ます。おそらく、目的地はここで――」

 背後からの右腕の突きを、反転した七香の両腕が止める。同時に俺は襲撃者の首へと右手を突き出し、見覚えのある顔を胴と切り離す。

「……柊?」

 七香を狙った襲撃者は、先程撤退したはずの柊だった。退くふりをして不意打ちを狙っていたのか、それとも本隊と合流して方針を転換したのか、そのどちらかという事になるのだろうが、そのどちらにしても違和感がある。

「くっ……ふざけた展開だ」

 そして、異変は背後でも起こっていた。

 聞こえるのは足が地面を擦る音、そして硬質の物質同士がぶつかり合う音。一方の物体は硬化し盾となったセンの腕、もう一方はそれを切り裂く刃、碧の背から生えた翼だった。

「碧! やめろ、俺に付くんじゃなかったのか!?」

 制止の言葉は、センを案じてのものではなかった。

 碧の翼はセンの腕の盾を中程まで切り裂いてはいたが、突破しきれてはいなかった。不意打ちで仕留めきれなければ、そこからは地力の差が出る。

 センの反撃は盾にしたのとは逆の腕、突き出したそれが爆発的に肥大化し、至近距離の碧を呑み込んでいく。呑まれた碧の身体はそのまま押し流されていき――その途中でセンの変異部位の波を切り裂くと、翼を大きく振って宙へと逃れた。

「はっ、思ったよりも強いな。雨宮、前言撤回だ。やはり私はあれと戦う」

「……勘弁してくれ、何かの間違いだ」

 碧と敵対体勢を取ったセンを止めたいが、今の俺にはその材料も気力もなかった。

 センがどうする以前に、碧の方から殺しにきているなら、それに抗うのは必然だ。まず止めるべきは碧、だが碧がこの局面で俺達に牙を剥いた理由がわからない。思考の読めない相手を説得する手段など、思い浮かぶわけもない。

 そして、俺達にはまだ他にも問題が残されていた。

 奇襲をかけるでもなくゆっくりと、取り囲むように迫ってくるのはM.A職員とM.A.R予備生の入り混じった二十人ほどの部隊。数だけを見れば大した問題ではないが、七香の様子と、それがこの場に差し向けられた意味を考えると楽観視する気にはなれない。

「間違いがあるとすれば、それは君の方でしょ。M.A.Rの予備生が『Y』の変異体と戦うのは当たり前なんだから」

 口を開いたのは、部隊の中に一人だけ場違いな白衣を着ている、片眼鏡をかけた女。どちらかと言えば美形の類に入るのだろうか、しかし、片眼鏡なんて珍しい小道具を身につけていながら、その女の外見から受ける印象は驚くほど何もなかった。

「お前は? って、聞いてほしそうだな」

「良くわかったね、雨宮にしては」

「せっかくバカにしてくれたところ申し訳ないんだけど、今聞いたように俺はお前を知らないんだよ」

「当たり前でしょ。私もあなたの事はそんなに知らないよ」

「……へー」

 一度のやり取りだけで、白衣の女が面倒な事だけはわかった。

 タイプは違うが、面倒な相手の処理は慣れている。つまりは、流すしかない。

「あー、引かせちゃったか。まぁ、いいけどね。どっちにしろ話すし」

 だが、女は流されても気にせず話を続ける図太さを持ち合わせていた。

「私は雨宮真琴。あなたの親……ではないけど、似たようなものだよ」

 あるいは、無理矢理にでも話してしまえば俺の興味を引けると確信していただけなのかもしれないが。

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