3-7 変異体

「悠、これは!? いや、まずは逃げるのが先か!?」

 俺の背後、おそらくは上階に続く階段から現れたのであろう碧は、当然かもしれないが現状を把握してはいなかった。

「碧、どうしてここにいる? 避難してないのか?」

 対して、俺の返すのも問い。

 正直、今は碧に構っている場合ではない。だが、碧の現れた経緯からM.Aの動き、予備生の状況を把握する事には意味があるかもしれない。

「そんなの、キミを探していたに決まっているだろう。M.Aの降下の時にも姿を見せなかったから、ボクはてっきりキミが……その、何かに巻き込まれているものだと思って」

「なるほど」

 碧の言葉を信じれば、碧がここに現れたのは俺を探そうという自らの意思、独断によるものであり、加えて俺達のM.A脱出未遂については公には知られていないらしい。疑ってカマをかけている暇はないため、ひとまずそれを信じる事にする。

「だとしても、お前は逃げろ。俺はあれに用事がある」

 もっとも、碧の行動は残念ながら無駄足だ。俺はたしかにM.Aの降下や『Y』との抗争に巻き込まれた側面もあるが、それ以上に今は自らの意思で動いている。

「無茶を言うな! あんな……あんな変異体、いくらキミでも無理だ!」

「別に殺せなくてもいい。話がしたいだけだ」

「では、やはり無駄だ」

 俺と碧の会話に、白髪の少女が割り込んでくる。

「たしか……雨宮、だったか。私はお前と会話などするつもりはない。私が求めているのはただ一つ、闘争だけだ」

 少女の口にしたのは戦闘狂のような言葉。その物腰、雰囲気からすると少し意外ではあったが、同時に納得もした。

 なにせ、白髪の少女には目的が見えない。陽動役かとも思ったが、それにしてはここで俺と時間を潰しすぎている。

 しかし、単純に闘争自体が目的なのだとすれば、M.Aに侵入し続けている時点でいずれは包囲され、自動的に戦闘が始まる。つまり、この状況を保つだけで、少女の目的は叶えられる可能性が高い。

「なら、それでもいいよ。付き合ってやる」

 とは言え、それなら相手は俺でもいいはずだ。

「だから無駄だと言っている。私を殺せない者と戦ったところで意味はない」

「……試してみるか?」

「それだ。その言葉を吐く時点で、お前は私を殺せない。能力以前の問題だ」

 なるほど、少女は俺の内心を見透かしていた。

 俺に少女を殺すつもりはない。少女がそれを望もうと、俺がそれを望まない。だから交渉は決裂し、少女は俺に興味を持たない。

 もっとも、仮に殺すつもりでかかったとしても、おそらく俺に少女は殺せないだろう。

 膨大な変異部位、その全てを抜けて少女の生身に辿り着くのは不可能に近い。それこそ能力の問題以前に、物理的、論理的にすら不可能かもしれない。俺の見た限りでは、少女は変異部位で全身を覆い尽くす事すらできるはずで、そうなればそこでほぼ攻め手は尽きる。

「だが、その後ろ。お前は面白い。変異体だろう、名前は何という?」

「人に名を聞く時は――」

「私は、センと名乗っている。自分で付けただけのものだが、他に名はない」

 碧の定形の問いを遮り、少女、センはあっさりと名を名乗る。

「……ボクは、碧。枯木碧だ」

 対する碧も、正直に自らの名を口にした。

「枯木……知らない名だな。どこぞの研究の被検体か?」

「…………」

 センの問いに、碧は答えない。

「まぁ、研究だろうと突然変異だろうと、過程はどうでもいい。私の興味があるのは、お前が私を殺せるどうかだけだ」

 半ば呟くような言葉と共に、センはこちらに一歩を踏み出すと、両腕を床に届くほどの大きさの刃に変えた。

 どうやら、センは碧に矛先を定めた。

 実際、その判断は間違いではないだろう。俺ではセンを殺せないが、碧ならば俺よりはまだ可能性がある。

 センは全身を覆い隠すほどに変異部位を肥大化させる事ができるが、それは無敵である事と同義ではない。

 変異能力の主な機能は二つ、変形と硬化。その二つ共に程度があり、特に硬化の程度は変異部位の大きさに反比例、正確には変異細胞の密度に比例すると言われている。

 つまり、肥大化すればするほど、変異部位は硬度と強度を失う。先程、センの変異部位が碧の翼により裁断されたのも、その強度の差によるものだろう。センが全身を変異部位で覆ったとしても、おそらく碧はそれを切り裂き、中の生身に傷を負わせる事ができる。

 もちろん、同じ事は俺でもできる。実際、先程のような規模にまで肥大化したセンの変異部位であれば、俺の右手でも切り裂く事はできた。

 ただ、俺の場合は裂いたところで意味がない。右手首から先、ごく僅かな体積を振るい変異部位を切り裂いたところで、巨大質量を分解しきるには至らない。一部に切れ目が出来るだけで、それで終わり。センを殺すどころか自分の身を守る助けにもならない。

 一定以上の体積と、肥大化した変異部位を切り裂くだけの硬度。その二つを両立できる変異能力がセンを殺す最低条件、つまりセンが興味を持つラインだ。

「逃げろ、死ぬぞ」

 だが、それでも、碧でもセンは殺せない。

 あくまで変異能力的に殺せる可能性がある、というだけ。その変異能力すら、おそらく比べればセンの方が碧よりも上。そして、何より戦闘経験に差がありすぎる。

 センからすれば自分を殺せる可能性がある存在というだけで価値があるのだろうが、実際に戦ってみれば瞬殺に近い結果に終わるだろう。

「悠は?」

「俺は逃げないし、死なない」

「なら、ボクも――」

「俺はお前を守れない。だから、お前は逃げないと死ぬ」

 そもそも、センは碧に興味があるが、碧の方にはセンに関わる理由はないはずだ。あるとすれば俺の存在だが、それも変異体と対峙するほどのものではない。

「……キミは、何をする? ここに残って、彼女と何をするというんだい?」

 答える必要はなかった。

 というよりも、答えてはならない。

 相手を殺せない事がわかっていながら殺し合いを演じ、その過程で相手が自分に興味を抱く可能性に賭ける。そんな馬鹿げた行動指針を口にすれば、碧は俺を止めるだろう。それではダメだ。俺は、碧をこの場から逃したいのだから。

「聞かれたくない話を。俺はセンに、告白するんだよ」

 結果、零れたのはそんな言葉だった。

「っ――」

 まぁ、失策だ。

 碧は俺の言葉を処理しきれず、思考が一瞬止まる。その処理が終わったとしても、すぐに逃げるわけではなく、更に問いを返そうとするだろう。そんな事をしている間に、センは俺達を、碧を自らの間合いに入れている。

 なら、碧は捨てるしかない。

 センが碧を狙った隙を突いて、俺がセンを殺す――その手前で止める。それで、センの興味を惹く。

 今のセンは碧の翼の硬度に対抗するためか、巨大質量ではなく密度を高めた両腕を床に届くほどの大きさの刃にして構えている。もちろん胴体、前面と背面からの変異を残している上、その気になれば腕も瞬間的に肥大化させる事が可能だろうが、少なくとも先程のように物量を壁にされるよりは殺しやすい。

 ゆっくりと、センはこちらに迫ってくる。その目は碧を見据えているが、同時に俺を視界に入れてもいる。この位置関係では不意打ちというほどの事は難しいが、その分俺の動きをセンに見せる事ができる。自分が殺される過程を見せてやれる。

「……あぁ、まったく」

 だが、初撃はセンの死角から襲って来た。

 センの背後で、円が生まれる。頭部から踵までを覆う円の盾、それに弾かれるのは硬質の音。見覚えのある少年、進藤の横に抜いた直剣が円に阻まれ、返しに伸ばされた杭を後退で回避。だが、センの背からは更に刃が生成、足元を掬うように振られたそれを躱す事はできず、進藤の両脛から下が分断される。

 同時に胴に迫っていたセンの刃は、進藤の直剣を切り裂いたところで、彼の変異した腕に阻まれ停止。更に杭で殺しにいくも、進藤の身体を拾った女が射程の外まで距離を取る。

「どう?」

「……どうもこうもない。最悪だ」

 後退した女、柊と進藤が互いに言葉を交わす。走り去ったセン、その後を追った俺の更に後に付いてきたのだろう。

「死ななかった分マシでしょ。脚はくっつけてもらえばいいし」

「そこじゃない、相手の話だ」

「あー……たしかに。これ、殺せるのかな?」

 俺の見た限り、進藤は相当上手くセンに不意打ちを入れた。ほとんど音もなく予備生寮に入り込み、俺がそれに気付いてから一秒と経たずセンの背後に辿り着いた。だが、水平に放った剣は鋭く首に迫るも、それをセンは一瞥もせず防ぐと、背を向けたままの迎撃で脚を奪ってすらみせた。

 俺相手の時は大雑把な質量攻撃が主だったが、センは危機察知能力も反応速度も、そして変異能力の使い方もそれなりに長けている。柊や進藤でもまず殺すのは無理だろう。

「逃げましょう。悠さん、枯木さん」

 柊と進藤とは反対側の寮の入口、俺と碧の側から現れたのは七香。

「わかるだろ、七香。俺の目的はあいつだ」

「ここはすでにM.Aに包囲されています。このままここにいれば、M.Aとの全面抗争になりかねません」

「いいよ、それで」

「悠さん!」

「俺の目的はセンに会う事だけだったんだ。他の事はどうでもいい」

 そもそも、俺は自分の命に価値を感じていない。ただ、目的が一つあっただけで、それ以外の事はどうでもいい。

「相変わらず気持ちの悪い事を言う。お前は私の、私はお前の何だというんだ?」

 柊と進藤は距離を取り、再びこちらに注意を向けたセンが俺の言葉を聞き咎める。

「強いて言うなら……親、かな」

「お前が、私の?」

「逆、逆」

「はっ、私に子供はいない。産んだ覚えがない」

「だから、強いて言うなら、って言っただろ。比喩だよ」

 比喩とは言ったが、その表現は自分では存外しっくりと来ていた。

「だから、それはどういう――」

 やっとセンの注意を惹けたか、と思った瞬間、轟音と共に予備生寮の端、先程まで柊と進藤がいた空間が崩れ落ちた。

「これは……っ?」

「爆発物、にしては規約の規模を越えてますね」

 驚く碧に、七香は冷静に返す。

 全世界共通の兵器開発を禁じる規約、それが完全に守られていると信じる『集団』の人間は少ない。『Y』の潜入者の例をあげるまでもなく、禁止された兵器の製造や開発は表に出ないだけでそこかしこで行われており、規約を敷いた張本人であるM.Aもその例外ではないどころか、最も率先して開発していても何もおかしくない。

「……そっちの方がマシだった」

 だが、実際には予備生寮を破壊したのは爆発物でも大砲でもなく、巨大な槌だった。再び振り上げられたであろう槌の軌道は見えず、ただ頭上で響いた音にそれが自分達の上から落ちてくる事を直感する。

「どうすれば――」

「センだ。助けてもらう」

 碧と七香の腕を掴み、センへと走る。抵抗は一瞬、二人は俺に従う事を決めたのか、素直に隣に並ぶ。

「……私に頼らずとも、どうにでもなるだろう」

 センの傍に寄ると、そこには瓦礫は降っていなかった。傘のように広がったのはセンの両腕、頭上に伸びたそれが瓦礫を弾き、そしてその上から振り下ろされた槌と激突。腕の一部が崩れるもセンの身体には遠く届かず、むしろ崩れた変異部位が槌に絡みつくと、その頭部分を切り離し明後日の方向へと放り投げた。

「これでは、見晴らしが悪い」

 肥大化したままのセンの両腕が上部から振り下ろされると、そのまま横薙ぎに一回転。箒で塵を散らすかのように、全壊した予備生寮の瓦礫を吹き飛ばしていく。ごく単純な周回運動、俺達も巻き込まれていてもおかしくなかったが、肥大化せず細いままの根元を潜る事で回避。とりあえず今に限って言えば、センには俺達を殺すつもりはなかったらしい。

「やはり、変異体か」

 開けた視界の中、センが捉えたのは槌の先端を失った棒、それを握るモノの姿だった。

「…………」

 それは、おおよそヒトの形を保ってはいなかった。

 棒を握る両腕、これが蛇のように棒の根元に巻き付いているのはいい。握力よりも確実な固定法として、武器に腕を絡ませるという選択肢はある。

 だが、脇腹に胸、そして頭部。槌を振るうのに一切関係のないはずの部位が肥大化し、気泡のような奇妙な形を作っている事は、おそらく本人の意思とは無関係だろう。

 あれも、変異体。

 いや、むしろ、世間一般的にはあのようなモノこそが変異体と呼ばれる存在だ。

 変異細胞が暴走し、常の外見からしてヒトではなくなった危険な存在。自分達の保有する職員をそれと区別するため、M.Aは『変異者』と『変異体』、二つの名称を作り、国際変異者管理機関を名乗る事にした。

 その上で、M.Aはそんな変異体までを飼っていた。

 もっとも、世界最大の武力集団を名乗り、変異体の暴走を止めるためには自らも変異体を保有する必要があるのは当然。今更驚く事でもない。そもそも、広義の意味では、今俺の隣にいる碧ですら変異体だ。

「どうなんですかね、これ。どっちが勝つと思います?」

 七香が見ていたのは別の方向、だがそちらにも変異体の姿があった。こちらは頭部こそ人型を保ってはいるが、両腕が異様に肥大化し、禍々しい形で固定されている。

 更に一人、碧のそれのような翼を腹部から生やした変異体を合わせて三人。更に他の職員が二十人ほど。そこまでが一目でわかる包囲の陣容だが、一見して変異体に見えずとも、碧やセンのように常態で完全な人型を保てる変異体が混ざっている可能性もある。

「センが勝つだろ。そうじゃないと困る」

 咄嗟の事とは言え、俺達はセンに庇われた形で、今もセンの傍らにいる。このまま戦闘が始まれば、M.A側は俺達を敵と判断するだろう。

 それに、一口に変異体と言ってもその実態は様々、変異者の域を越えた変異能力の持ち主もいれば、単に変異能力を制御しきれず人間社会から切り捨てられた存在もいる。

 この局面でM.Aが投入してきたという事は、ある程度以上の戦力であるのは間違いないのだろうが、それでも俺の知る中で最高の変異能力の持ち主、センに勝てるとは思えない。もっとも、一対一ではそうでも、数の差まで考えればどうなるかは微妙なところだが。

「やめだ。機が悪い」

 だが、勝敗以前の問題として、センはそう吐き捨てた。

「戦って死にたいんじゃないのか?」

「私はスリルのある戦いがしたいだけだ。そして戦術としての判断では、ここは引くべきだと判断した」

 そう口にすると、センはこちらに手を伸ばし、俺の右手を握った。

 それを俺が拒否しなかった事で、意思疎通は完了する。

「なら、行くぞ」

 飛翔。

 俺の意思でなく行われた跳躍は、体感としてはそのようなものだった。

「悠!」

「悠さん!」

 遅れて、碧と七香の声が遠く下から聞こえる。同時に、センの着地点へと回り込もうと指示を出すM.A職員の声も。

 だが、それは無意味だ。

 センは背から二対の翼を生やすと、空へと大きく羽ばたいた。一度、二度――繰り返される羽ばたきはセンと掴まれた俺の身体を宙に浮かせ続け、更に横方向への力をも得て瞬く間に包囲を、そしてM.Aの『壁』を越えていった。

 後ろを振り返ってみても、追手はなし。空を飛べる変異体がいないのか、それとも空中戦を嫌ったか。どちらにしろ、センの離脱は成功していた。

「私がここで手を離したら、お前はどうする?」

 頭上、俺を吊り下げた白髪の少女がそう言って口元を歪める。

「流石に死ぬかな。俺は飛べないし」

 つまらない答えだ。自分でもそう思うが、他に面白い冗談も思い浮かばない。

「なら、どうして付いてきた?」

「それは……」

 何とでも答えられる。理由はいくつも思い浮かび、だがどれも正解ではない気がする。

「お前が、親鳥だから」

「……はっ」

 俺の口にした中途半端な冗談に、センは少しだけおかしそうに笑った。

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