四章 孵化

4-1 セン

 俺がセンと――その時は名も知らなかった白髪の少女と出会ったのは、世界が壊れる瞬間の事だった。

 対変異者集団『宵月の民』。

『宵月の民』の形成するコミュニティ、周囲の全員が『宵月』姓で構成されていたその狭い寄合が当時の俺の世界の全てで、だから『宵月の民』が滅びた二年前のあの日、俺の世界は一度壊れた。

 幸いに、というべきかどうかも自分ではわからないが、俺はその過程をほとんど見る事はなかった。『宵月の民』の上層部が俺を隠匿すべき機密として扱うのではなく、兵器として使用すべき局面だと判断するよりも早く、すでに大勢は決していたから。

 だから、俺が見たのは、すでに半壊した『宵月の民』の拠点、そこにあった建造物の残骸と、その中に紛れた無数の死体。

 終わった、と思った。

 終わった、としか思わなかった。

 だから、その時の俺が『Y』の変異者を殺す事にした理由は、単純に生物としての防衛機能が働いたからなのだろう。殺されそうになったから殺した、というだけの話で、更に言うなら、俺の表層意識は別に死にたくないとすら思っていなかった。

 そうして何人か、十何人か、おそらく何十人にまでは達さないだろうが、そのくらいを殺したところで、俺は親鳥を見つけた。

 もちろん比喩だ。鳥は生まれて始めて見たものを親と思い込むという。大体そんな類の感動を、その時の俺は受けた。

 殺せなかった。

 殺せる気がしなかった。

 それは俺にとって初めての記憶、初めての感覚で。

 だが、その感覚の正体をたしかめるよりも先に、親鳥、白髪の少女、つまりセンは踵を返して崩壊した『宵月の民』の拠点を去っていった。

 それが、俺がセンを追う事にした理由。

 事実から決定まで、感情という間が抜けているような気もするが、その抜けが何なのかは今になるまでずっとわからなかった。



「……なるほど、それが私とお前の関係か」

 特定変異体集団『Y』、その拠点だという何の変哲もない町、その内の一軒家の中で、まるで友人同士のようにソファーに腰掛け、俺はセンに昔話をする事となっていた。

「だが、それではわからない。どうしてお前は私を追った?」

 センの口にするのは当然の問い。

「多分、無視されたのが我慢できなかったんだろうな」

 その問いに対して、今の俺は答えを出す事ができていた。

「あの時、お前は俺を殺さず帰った。それが、無視されてるみたいで嫌だったんだ」

 感情的な、くだらない答え。

 だが、再びセンと出会った事で、その反応を見た事で、それが俺の理由だという事がわかってしまった。

「殺してほしかったとでも?」

「いや、死ぬ気はなかった。ただ、結果として殺されるならそれでもいい」

「意味のわからない事を……恋でもしているつもりか?」

「だから言っただろ。一目惚れみたいなもんだって」

 センに無視されたのが、俺の執着の理由。

 だが、相手がセンでなければ、同じように追う事を決めたかどうかはわからない。そういった意味では、もっと単純に、俺はセンに一目惚れをしただけなのかもしれない。

「はっ……なら、私を抱くか?」

「いいの?」

「どうでもいい。ただ、機が悪いな」

 冗談とも何とも取れないやり取りの最中、センが窓の外に目をやる。

 窓の外、『Y』の拠点では、今まさにM.Aと『Y』の兵による全面抗争が繰り広げられていた。更に踏み込んで言えば、『Y』の拠点への侵略、かつての『宵月の民』と同じような崩壊の光景がそこにはあった。

「止めなくていいのか?」

「それもどうでもいい。ここが滅びるのは、予定通りだ」

「誰の予定?」

「『Y』の上層部だ」

「破滅願望でも?」

 予定通りと言えば言葉はいいが、自分達の拠点が滅びる予定など立てるのは、前提からして破綻している。

「いや。M.Aに潜入させていた内通者からの情報を受けて、すでに本隊は撤退した。ここに残っているのは、逆にM.Aや他の集団から潜り込んでいた内通者、捨てても問題ないと判断された価値のない者、そしてどさくさに紛れてM.Aの機密を探るための人員だけだ」

 つまり、内通者の処理をM.Aに任せつつ、M.Aの内情を探るというのが現在の『Y』の方針らしい。

 たしかに、普通なら自分達の拠点に攻め込まれている最中、それを捨てて情報を探りに来るとは思わない。実際には失う人員はほとんど内通者だけとは言え、拠点の町自体を失うのには変わりなく、コストにリターンが勝るとは思えない。

 それだけ、『Y』もM.Aとの全面抗争は避けたいのか、それとも『Y』が避けざるを得ない機会を狙ってM.Aが降下、侵攻を開始したのか。その辺りの事に多少の興味はあるが、それは今考えても仕方のない事だろう。

「じゃあ、センは?」

「私は内通者ではない。M.Aの機密を探ってもいない。後はわかるだろう?」

 自嘲にしては潔すぎる笑みを浮かべたセンの言葉は、おそらく嘘。

 憶測だが、センは自らこの『Y』の拠点に残ったのだ。その理由は、今ここにいる事も示すように、拠点を守るためではない。

 自分を殺しうる闘争。それだけが自分の望むものだとセンは口にした。それが起こる可能性の高い場所に残る事を選んだ、というだけの事なのだろう。

「さて、そろそろ出るか。情報も出揃った」

 センはこの場で、変異体の配置情報が送られてくるまでの時を待っていた。つまり、それらを各個撃破していく、というのがセンの基本方針だ。

「その情報は信じられるのか?」

「拠点の監視機器からの情報だ。機器にまで細工をされていればあるいは、といったところだが、私はそれはないと踏んでいる」

 おそらく、確信はない。センはただ、騙されていたらその時に考えればいい、くらいの気持ちで動いている。

「似てるな」

「何が、誰とだ?」

「考え方が、俺と」

「はっ。だとすれば、私がお前の親だからだろうな」

 軽い冗談を一言、そしてセンは俺の手を掴んで窓を飛び出した。

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