3-3 結果

 M.Aに入ってからこれまで、俺は初日の侵入者、襲撃訓練、そしてつい先日の潜入者への対応以外では常に力を隠してきた。

 それはつまり、月に一度の能力検査も例外ではない。

 あるいは、調整と言うべきだろうか。第一回、第二回の能力検査において、俺はそこそこの結果を刻む必要があった。

 だが、第三回に関しては事情が変わった。

 第一回、第二回が布石だとすれば、第三回は本命。思っていたよりも早かったが、だからこそ俺には下手な調整をする必要も、その余裕も無くなった。

 そして、来たる第三回能力検査。

 298点。192人中、190位。

 それが、第三回能力検査における雨宮悠の検査結果だった。

 つまるところ、俺は失敗した。というよりも、成功しようがなかった。

 ただ、それもあくまで予想の範疇。

 そうなった時に取る行動も、俺はすでに決めていた。



「……行くか」

 今日、第三回能力検査の結果が発表されて以降、俺は寮の部屋に戻らず、M.A職員居住区にある入浴施設で陽が傾くまでの時間を過ごしていた。

 ただ大きい風呂に浸かりたかったのもあるが、それよりも重要なのは施設の位置。俺の知る限り、予備生が自然に時間を潰せる場所の中で、この入浴施設が最もM.Aの周囲を取り囲む『壁』へと向かうのに適していたためだ。

 予備生が『壁』へ足を運ぶ理由は、大きく分けて二つしかない。単なる見学のためか、あるいはM.Aからの脱出のため。俺の目的は、もちろん後者だった。

 第三回能力検査で意図的に点数を落としたのは、下位に入ってM.A.Rからの追放、実地へと配備されるため。予想外に今回の実地配備人数がゼロであった事で、その目論見は潰える事となったが、それならばM.A.Rの制度に頼らず自ら外に出るだけだ。

 入浴施設を出た俺は、碧に貰った私服を身につけると、そのままあらかじめ決めてあったルートを辿り『壁』へ向かう。施設から『壁』までの最短距離は東南にまっすぐ進むルートだが、その途中にM.A訓練区画があり、私服とはいえM.A.R予備生の姿は目立つため除外。向かうのは南、分類的には工業区画に含まれる、発電所や工場などが多く人気の少ない区域を抜ける。

 あらかじめ散策した通り、閑散とした中を普通に歩いていく。仮に見つかったとしてもここまでは散歩の範疇、下手に周囲を気にするような素振りは逆効果だ。

 元よりM.Aの敷地は、面積としてはそれほど大きくない。まっすぐに進み続けると、ほどなくしてやがて『壁』の前まで辿り着く。ここまでは想定通り、問題はここから。

『壁』の向こうへと行く手段は二つ。『壁』に埋め込まれた認証機を使い入口を開くか、あるいは単純に上を乗り越えるか。

 前者は手持ちの情報ではまず不可能、だとすれば俺が取る行動は必然的に後者となる。『壁』自体の高さは俺の背丈ほど、乗り越えるのは難しくもないが、その上部には人感センサーが取り付けられている。センサーを掻い潜る手段がない以上、『壁』を越えた瞬間に感知されるのは必然で、そこからは完全にM.Aと対立する形になるだろう。

「待ってください、悠さん」

 だが、その前に俺を呼び止める声があった。

「……七香か。偶然、ではないんだろうな」

 声を追った先にあったのは、俺と似たような黒く布の多い私服を身に纏った七香の姿。

「ええ、M.Aの外に出ようとする悠さんを追って来ました」

「どうやって?」

「M.Aの監視カメラを使って、ですね」

「あー、なるほど」

 M.Aの内部には、いたるところにわかりづらく監視カメラが設置されている。多すぎて全てを掻い潜るのは不可能、怪しい行動を取らなければ撮られたところで問題ないと無視していたが、最初から俺個人を追うつもりなら話は別だ。

「ハッキングか? それとも、M.A側だってだけか?」

「どちらかと言えば後者です」

 M.Aの監視カメラの映像を使えるのは原則では職員のみ。映像を掠め取っている可能性は低いと思った通り、七香はM.A内部と通じているために監視映像から俺の位置を探り当てる事ができたらしい。

「とは言っても、悠さんの情報はM.Aには渡していませんので、ご心配なく。私とM.Aの関係はそれとは別件、あくまでM.A.R予備生全体の監視が私の役割です」

「どっちにしても、俺は監視対象に含まれてるけどな」

「そうですね。ただ、私は悠さんの味方なので。今回は役割よりも私情の方を優先するというだけの話です」

「私情、ね」

 つまるところ、七香が俺に詮索を入れていたのは、あくまで個人的な事情によるものでしかないという事らしい。

「それなら、何で俺を見張ってた? 何しにここに来たんだ?」

「もちろん、悠さんの手助けに」

「俺を助けるつもりなら、どうして嘘を吐いた?」

 七香は以前から俺を監視し、詮索を入れていた。それだけならまだしも、俺を騙そうと嘘を吐きすらした。第三回能力検査におけるM.Aからの追放者は、以前に七香が語った通りなら75人、だが実際は0だ。

「悠さんが私の知る宵月悠さんと同一人物かどうかをたしかめるためです。私がお力になりたいのは、あくまで昔、『宵月の民』で出会った悠さんなので」

「欺瞞だな。助けが要るならそう言う。そうじゃないのに嗅ぎ回られても邪魔なだけだ」

「……ええ、そうですね。私はただ、悠さんのお傍にいたかっただけなんでしょう」

 棘のある言葉を言い放ってみるも、七香は開き直る、というよりも俺の言った事など最初からわかっていたかのように返す。

「それでも、こうなった以上は、仲間がいて損する事はないでしょう。最早、素性と目的を隠す必要もないわけですし」

 続いた七香の言葉は、たしかに的を射ていた。

 俺は自身の過去を知る様子の、その上で友好的な態度を向けてくる七香にも素性を明かそうとはしなかった。その理由は、第一にM.Aに素性が漏れるリスクを嫌ったからだ。

 そのために、能力検査や訓練でも一貫して手を抜いた。おとなしく目立たず、ただM.Aの実地配備制度を使って目的地に辿り着くのが当初の俺の目的。その過程では、情報が漏れるリスクを取ってまで仲間を作る必要はなかった。

 だが今は、すでに七香に俺がM.Aを脱出しようとしている事を知られた。それが目下の俺の目的、この場での肝であり、そこを知られれば後の事情は些事に過ぎない。加えて言えば、計画が頓挫し力技でM.Aを脱出しようとしている今の俺には、戦力として使える仲間を作っておいて得する事もある。

 俺がそう判断する事をわかった上で、だからこそ七香はこの状況を作り出したのだろう。

「ですが、その前にもう一度聞きます。悠さんは、『宵月の民』の出身ですね?」

「……出身、かどうかはともかく、『宵月の民』にいた事はあるな」

 そして、七香は俺の事情についても、確信がないだけで大方は把握していた。

「でも、どうしてお前がそれを知ってる?」

 対変異者集団『宵月の民』。そこに俺がいた痕跡はほとんど残っていないはずだ。俺の存在を知っていたのは、それこそ『宵月の民』の一員くらいで、だが七香は違う。

「私は、『桐鴉』の出身です」

「『桐鴉』……交流か」

 対変異者集団『桐鴉』。日本で最大手の対変異者集団の一つであり、他の集団との交流を盛んに行い技術の向上を目指す傾向の強い集団だ。『宵月の民』とも交流があったかどうかを俺は把握していないが、あえて七香が宣言するという事はそういう事なのだろう。

「だとしても、他の『集団』にわざわざ俺の事を紹介したわけじゃないだろ」

「はい。今更だから言いますが、あの時の私は、表向きの交流の裏で『宵月の民』の機密を探る役目を課されていました」

「それで俺を見つけた、と。じゃあ、随分と有能だったんだな」

 七香のいうような事情であれば、たしかに俺を知っている理由として理屈は通る。ただ当然ながら、機密というのは探していれば必ずしも見つけられる、というものではない。

「いえ、違います。あの時、私は悠さんに助けられただけですから」

「……ん? 助けた?」

 もっとも、それ以前に七香と俺の認識は喰い違っていた。

「ええ。『宵月の民』の拠点の端、汚染地帯と化していた場所で、汚染体に襲われていた私は悠さんに助けられました」

「ふーん……そんな事があったのか」

「覚えていないんですか? でも、あれはたしかに――」

「疑ってはいない。俺が覚えてないだけで、そういう事はあり得る」

『宵月の民』の拠点、その中には化学兵器『X』の余波で生まれた汚染地帯があり、その中にはヒトでいう変異者、変異体と同じように『X』の影響で生体の変異した動物、つまり汚染体が数多く生息していた。

 そして、一時期の俺はそこで汚染体を殺す事を日課としていた。だからきっと、偶然にもその時の俺が七香を襲っていた汚染体を殺し、結果として七香を救う事となったというのが事の顛末なのだろう。

「で、それで俺に恩を返そうってか」

「簡単に言えば、そういう事になりますね」

「へぇ……」

「何か?」

「いや、随分と義理堅いなと思って」

 今更七香を疑ってみてもあまり意味はないが、過去の恩という動機は今ひとつ信頼できるものではない。所詮は過去の出来事、それを理由に今現在M.Aと対立するリスクを取るというのは理にかなった選択ではないだろう。

「……まぁ、私もこの場で全面的な信頼を得られるとは思っていません。ですから、あくまでそれ相応のものとして扱ってくれていいです」

 七香自身も俺の思考は把握しているようで、つまり今の俺から七香への扱いは信頼できない同行者、といったところに落ち着く。

「それで、恩返しって言っても何をするつもりなんだ?」

「悠さんの脱出のお手伝いと、出来れば私もそれに付いて行きたいと思っています」

「前者はともかく、後者を許すほど信頼はできないな。いざという時になって後ろから刺されるのは御免だ」

 七香の提案は予想通り、だが一度牽制の言葉を振っておく。

「なら、どうすれば信頼してもらえますか?」

「俺の役に立てばいい。って事で、何か脱出に役立つ情報とかない?」

「情報、ですか……『壁』の内側についての話なら、多少は」

「と言うと?」

「『壁』の内側は、全域が監視カメラに網羅された完全監視地帯になっています。つまり隠密行動は不可能、更に各所に均等に全部で八箇所の詰所が設置されており、三級以上の職員が総勢で32人、その内一級職員2人が侵入者、及び脱出者に対応出来るよう常に待機しています」

 七香の語ったのは、M.A.Rの予備生では知る由もない『壁』の内側の警備体制。

「降下艇の位置は?」

「残念ながらそこまでは……」

「なら、結局やる事は変わらないか」

『壁』の内側の事情がわかったところで、目的である地上への降下艇の位置がわからなければ取れる行動は変わらない。最速で『壁』の中を駆け回り、降下艇を見つけ次第それに乗り込み地上に降りるだけだ。

「これで少しは信頼してもらえましたか?」

「まさか。結局役には立ってないし」

「……少しは私の機嫌も取りませんか? 私が悠さんの事を嫌いになったら、恩返しなんてやめて裏切るかもしれませんよ」

「なら、土壇場で裏切られないように、今の内にどのくらいで嫌われるか試そう」

「そんな暇があるんですか?」

「ない。だから、俺を嫌うな」

「だから機嫌を取れって言ってるんですけど!?」

 どうにも無駄口が増えてしまうが、それはそれで正直楽しいのでいい事にする。雑な算段ではあるが、『壁』の内情がわかった今、結局のところは雑に突破するしかないわけで、細かい策など最早どうでもいい。

「そうだ、最後に一つだけ確認」

「はいはい、何でしょう?」

「今、ここから降りれば、『Y』に着く?」

「……はい、私の知る限りでは」

「それなら良かった。これで、七香を少し信頼できる」

 手段を決めたところで、そもそもの目的が間違っていれば意味がない。俺の目的は特定指定変異体集団『Y』に辿り着く事。このM.Aに来たのも、全てはそのためだ。

 俺の情報、そして七香の言葉が正しければ、今、M.A日本支部は『Y』の本拠地の上空にある。M.Aを脱出するのであれば今このタイミングを除いて他にはない。

「やっぱり、悠さんの目的は――」

 七香が何かを言いかけるも、その言葉を唐突に鳴り響いた警報音が掻き消した。

「警報……のんびりしすぎたか」

「いえ、そんなはずは。悠さんはまだ何もしてません、別件でしょう」

「知ってる」

「くっ……また、からかって」

「まぁ、別件だとしたら、むしろちょうどいいくらいだな」

 誤作動でない限り、警報はM.Aへの不利益な事態、それもわざわざ公に知らせるほど大規模なものが発生した事を意味する。注意と人手は最低でもいくらかそちらに割かれ、その分だけ俺の脱出は容易になるだろう。

「どうします? この機に乗じますか?」

「当然。だけど、一応何が起きたのか聞いてからにしよう」

 可能性は低いが、警報を引き起こした事態によっては、あるいは俺の取るべき行動が変わってくるかもしれない。侵入者、あるいは脱出者が出たという話なら、その位置に合わせて動く手もある。

「『職員、及び予備生各員に告ぐ。五等以下の職員、事務職員、そして予備生はM.A.R予備生寮区画外の避難場所に退避されたし。なお、予備生寮区画内の者は各自の判断で避難を行うように。繰り返す――』」

「相変わらず、要領を得ない報告だな」

 警報に続いた退避命令は、しかし具体的にどんな問題が発生したのかについては言及していない。主に予備生、その中に潜む可能性のある潜入者への情報統制が目的だろうが、それにしてもいささか不親切だろう。

「予備生寮区画……また潜入者でしょうか?」

「あの時の残党か、もしくはあれが布石で今回が本命か。可能性が高いのはどっちかだとは思うけど、断言はやめとこう」

 文字通り取れば、避難勧告は予備生寮区画だけでなくM.A内全域。だとすれば、今回の警報は火事などの部分的な災害ではなく、動き回る可能性のある潜入者・侵入者に対するものだと考えるのが道理だ。

 そして、潜入者と来れば思い浮かぶのは前回の蜂起。ただ、何にせよ判断するには情報が足りておらず、そもそも事の詳細についてはおそらく俺には関係ない。

「枯木さんを助けに行きますか?」

「まさか」

 事が起きたのはM.A.R予備生寮区画、寮で俺と同じ部屋に暮らした碧も当然その中にいるだろうし、無事助かってほしいとも思うが、脱出の好機を捨てて助けに行くかどうか天秤に掛けるほどの事ではない。そもそも、碧ならある程度は自分の身を守れるだろう。

「最後にもう一度確認しておくけど、俺と来るのか?」

「はい、悠さんが拒まないのであれば」

「無事は保証しないぞ。動けなくなっても置いていく」

 七香の語った通りなら『壁』の向こうでの交戦はまず避けられず、それどころか圧倒的な人数差で囲まれる状況になる可能性が高い。それでも俺は死ぬつもりも捕まるつもりも毛頭ないが、普通の腕自慢なら良くて生け捕りが精々だろう。

「構いません。足手纏いになるのは私としても不本意ですから」

 だが、七香は自信があるのか、それともどうしても俺に付いてきたいのか、俺の問いに即座に答えを返してきた。

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