三章 墜落

3-1 事後

 M.A潜入者蜂起事件。

 M.A内部でそう名付けられた、潜入者による同時多発的な武力蜂起は、発生してから程なくして駆けつけた正規職員により沈静化された。

 だが、そこまではM.A側、そして潜入者側にとっても当然の結末。潜入者の凶行は教育区画を中心に合計七箇所で発生したものの、そのどれもが実行犯は多くて数人程度と少数によるもので、M.A日本支部を全て相手取るにはあまりに駒が足りなさすぎた。

 だから、肝心なのは武力蜂起を起こした目的。おそらく、というよりも間違いなく、凶行自体は目的ではなく陽動、本来の目的のために注意を引くためのものでしかなかった。

 その裏付けが、武力蜂起による被害の数。予備生や職員が多数意識を失いながら、死者は職員たった二人のみ。その気になればその数十倍を殺せたはずの潜入者があえてそうしなかったからには、あの凶行はM.Aの戦力を削ぐためのテロ行為ではなかったという事になる。

 だが、少なくとも予備生に公表されている限りでは、武力蜂起から二週間以上が経った今でもその目的は判明していなかった。もっとも、俺が簡単に聞き出せた潜入者の所属すら公表されていない事を見るに、M.A側が情報を抱え込んでいる可能性も高いが。

 ともかく、それ以降の情報がない以上、予備生の間ではあの事件は『すでに終わった事』になった。巻き込まれた予備生を中心にM.A内も決して安全ではないという危機感のようなものが広がりはしたようだが、それでも大方のところは以前と変わらない。

 もっとも、その『大方』に俺は含まれてはいないのだが。

「まだ起きてたのか」

「……悠」

 あの一件で流れた菱垣との部屋交換は、そのまま進展のないままで、今も碧との同室は続いていた。

 潜入者により胴を貫かれた菱垣は、だが今も生きてM.A.Rに残っている。治療までの時間はそれなりに開いたはずだが、貫かれた場所が良かったのか、あるいは変異者の強力な自己治癒力によるものか、すでに訓練にも参加できるほどに回復していた。

 だから、実のところ、部屋交換についての一件の顛末については、俺は完全には把握していなかった。菱垣が万全の状態に戻るまで碧との疑似決闘、部屋交換の成否を見送っているのか、菱垣が倒れ、碧が処理した潜入者の件で敗北を認めたのか、あるいは他に何か理由があるのか。いずれにせよ、俺の目に見えた進展がない事だけはたしかだ。

「キミも……いや、何でもない」

 夜間の外出から帰った俺に、碧は何かを言いかけて止める。

 潜入者、特定指定変異者集団『Y』との接触以降、俺は夜間に部屋から出る事が増えていた。ただ、今のところその事に対して碧からの言及はない。それどころか普段から、碧の態度は以前よりも俺に対して距離を置いたものとなっていた。

 原因があるとすれば、それはまさに『Y』による武力蜂起、その最中の事だろう。

 碧は自身の力、背中から生える翼を俺に見せた。

 それは変異者としての能力ではなく、変異体としての能力。

 一般に、変異者とは肉体変異能力を持った人間の事を指す。対して、変異体とは元から変異した肉体を持つモノの呼び名。肥大化した四肢、捻じ曲がった胴体など、外見的には異形と化す者も多いものの、保持する変異細胞の量は変異者よりも上で、M.Aにとっての最大の脅威であるとされる存在、それが変異体だ。

 碧の翼は、原型の二倍程度のサイズまでの変形までが限度とされる変異者の変異能力による産物ではなく、明らかにそれ以上、変異体として持って生まれた異形だった。

 だが、おそらくそれは、碧の態度とはあまり関係ない。

 碧の隠していた正体はそこまでで、碧が変異体であるという事実はすでにM.A側には知られていた、というよりも碧自身が明かし、その上で翼については不要な混乱を生まないために表に出さない事にしたらしい。

 そもそも、変異者と変異体の線引きなど本来は曖昧なものだ。見た目がヒトの形を保てるかどうか、あるいはM.Aの敵か味方か。恣意的に都合のいい解釈で使い分けるための言葉でしかなく、M.Aには自分達の味方に付こうという碧を跳ね除ける理由はない。それは俺も同じ事で、碧が変異者だろうと変異体だろうと大差はなく、仮にあったとしてもそれで変わるのは俺から碧への態度だ。

 だから、碧の俺への態度が変わったのはその逆、俺が碧の前で明かした正体のため。正確には、明かした事よりも、それまで隠していたという事が理由だろう。

 俺は菱垣に、部屋交換を賭けた疑似決闘でわざと負けている。碧自身も隠し事をしていた立場のため、表立って俺を責めようとはしないのだろうが、それが原因で碧が俺に愛想を尽かしたとしてもおかしくはない。実際、以前はあれほど詮索していた俺の事情についても、ほとんど全てが明らかになった今では、碧は不自然なほど話題にする事はなかった。

「まぁ、俺はシャワーでも浴びて寝るから」

「……うん、ボクもそろそろ寝るよ」

 多少の距離は開いたとは言え、それでも碧との生活に問題はない。それどころか、以前と比べなければ、今でも碧は俺に対して好意的だとすら言える。

 潜入者との交戦について、俺の頼みを聞いた碧は、全て自分が処理した事だとM.Aに報告してくれた。そのおかげで、現状でも俺は碧以外には力を隠し続けられている。

 それに何より、碧は菱垣の誘いに乗らず、今もこの部屋に残っている。だから、碧が俺に愛想を尽かしたというのは言い過ぎで、ただ単純に好感度が少し下がっただけ、というような表現が正しいところなのかもしれない。

 だとすれば、俺が強引に今の状況を解消する必要はない。

 どうせ、今の生活などもうすぐに終わるのだから。

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