2-11 実戦

「違う、戦うしかない」

「……っ」

 血に染まった少女の姿を見て、前に出たのは菱垣。それとほぼ同時に俺達に気付いた少女が、一歩で間合いの三分の一ほどを詰めてくる。

「抵抗しないで。できれば血は流したくない」

 二歩目を踏みながら、少女は警告を口にする。

「何を――っ」

 少女に対抗するように、菱垣も自分から前進。二人の速度により間合いが一気に消え、交錯。少女の右の脇腹から朱色が噴き出す。

「くっ……」

 苦悶の表情を浮かべながら、少女は俺と碧の元に辿り着く前に方向転換。壁際に逃げると、菱垣と俺、碧の全員を睨める位置で体勢を立て直す。

 今のところ、見えた少女の変異部位は左脚。片脚だけのアンバランスな変異を接近の速度に繋げる技術を身につけてはいるものの、それだけでは両脚の変異を可能とする菱垣の速度には及ばない。

 更に交錯の瞬間、菱垣は少女の右側へと回る事により、変異部位である左脚による攻防を封じていた。そして菱垣の速度を乗せた右の蹴り、変異により刃と化したそれは防御に回った特殊警棒を切り裂き、結果として少女への一撃を生んだ。

 なるほど、たしかに菱垣昂輝は強力な変異者だ。変異者の最大の武器、変異部位が両脚の先から根本までと広域に及ぶ菱垣には、潜入者を自ら止めようと言い出すのも頷けるだけの性能はある。

 だが、戦闘というものは、単純な性能だけでは勝敗は決まらない。

「――うっ……くっ」

「菱垣くん!」

 交錯から反転、再び潜入者の少女へと跳ぼうとした菱垣は、その背後、倒れた予備生の中から起き上がった少年の硬化した右手に腹部を貫かれ、呆気なく崩れ落ちた。

 いわゆる伏兵、少女は倒れた被害者の中に仲間を紛れ込ませていたのだ。珍しい手ではないが、警戒していなければ必殺ともなり得る。

「もう一度言うわ。抵抗しなければ、血を流さずに済む」

 あえて特殊警棒で意識を奪うのではなく腹部を貫いたのは、最短距離で動きを止めるためという面もあるだろうが、それ以上に脅しでもあったのだろう。右手を血に染めた少年を隣に立たせた少女には、先程よりも威圧感が増して見えた。

「下がってろ、碧」

 もう一度、俺も先程と同じ言葉を碧に投げかける。

 碧の顔色は、一目で見てわかるほどに悪い。M.A.Rの訓練ですら戦闘経験の薄さが見える碧にとって、血と臓物の零れる実戦は刺激が強すぎる。

「おとなしくしていれば、意識を奪うだけにしてあげる」

 少女は少年から特殊警棒を受け取ると、両手に警棒を構え、こちらに再び接近。

 特殊警棒は放電により身体の自由を奪うための武器、だが当てどころによっては意識を奪う事も可能だ。殺傷力という面では高くないものの、敵前で意識を手放すというだけでかなり危険だと言える。

 だから、俺も菱垣と同じく迎撃を選ぶ。

 少女の三歩目、そこで互いの間合いに入る。その前に、俺も一歩を前進。少女が着地する前に、その動きを乱す。

 相手は慌てる事なく、空中で上半身を捻り右の特殊警棒を突き出してくる。対して俺は左脚を引き、身体を横向きにして回避。手首を返してなおもこちらへ向かってくる警棒には右手を振り、刃に変異させた手刀で手首を切り落とす――寸前で左の警棒の防御が割り込んでくる。

 手首の切断は断念、代わりに手を刃から元の形へと戻し、力づくで警棒を少女の手元からもぎとる。同時に少女の左の蹴りが腰元に放たれるも、それが届く前に警棒を放り投げた右手で防御。

 変異部位同士の激突は互いに無傷、だが少女は膝から棘を生やし腹を狙ってきていた。右手だけでは防御の手数に足りないため、掴んだ左脚を放り投げる事で少女の身体自体を遠ざけ刺突から逃れる。その身体に左手で拾った特殊警棒を突き出すも、少女の右脚の着地が間に合い、床を蹴って回避されてしまう。

「……落ち着いた動き。どこかの『集団』の出身?」

 少女は回避の動きのまま距離を取ると、探るように問いを口にした。

『集団』と一言で言う場合、大抵それは対変異者集団、あるいは変異者集団のどちらかを指した言葉だ。

 どちらも名前通り、主に変異者を狩る集団と、変異者により構成された集団。二つは正反対に位置するものだが、この場合は単純に実戦経験を尋ねているのと同じ意味だろう。

「人にものを尋ねる時は、自分から言うもんだ」

「そうね、私は『Y』の所属よ」

 意外にも、答えは素直に返された。

「……『Y』か。やっぱり」

 答え自体は予想の範疇、というよりもまさに本命の予想。

 現在、M.Aは世界で最大の武力集団だ。その思想、統治に反対する個人や集団は少なくはないが、真っ向からM.Aと対立を選べるほどの存在はごく限られている。

 ここがM.Aの日本支部である以上、それに堂々と牙を剥けるような存在は、日本で最大の反社会的変異体集団『Y』、かつて世界を滅ぼしかけた化学兵器『X』に連なる名を名乗り、自分達を進化系の人類であると主張する集団くらいだろう。

「それで、目的は?」

「次はあなたが問いに答える番でしょう?」

「まぁ、そうなるか」

 少女が悠長に会話などしているのは、俺を味方に取り込むための算段だろう。

「でも、答えない。お前が一方的に目的を話せ」

 対する俺には、会話を続ける必要はない。だから、一方的に強く出ることができる。

「……連絡端末を捨てて、両手を縛って。そうすれば、話してあげる」

 問いに答えない俺に、少女の口にしたのは妥協――というには、少しばかり度の過ぎた交換条件だった。

「端末はともかく、どうやって自分の腕を縛るんだ?」

「私が縛るか、もしくは後ろの子に縛らせればいいでしょう」

 少女の指さしたのは、俺の後ろに控えていた碧。

「流石にそれは――」

 釣られて視線を碧へと向けた刹那、少女は動いた。

 初歩的な視線誘導、それにより生まれた隙を、少女は最速の突進で突く。更に、その速度は先程の接近よりも数段速い。

 少女は、変異させた『両脚』により短い歩調で床を蹴り続ける。普通、両脚を変異させられる変異者がわざわざ片脚だけでの移動をする事はない。少女はここまであえて普通ではない行動を取る事により、俺達に自身の変異部位を誤認させていたのだ。

 とは言え、そこまではまだ対応できる範囲。視線を戻し、軽く構えを取る。すでに少女は間合いの一歩手前、だが初手はまだ放たれていない。右と左、どちらの蹴りだろうと、あるいは特殊警棒による一撃だろうと、防御は間に合う。

「……ちっ」

 動いたのは脚、少女は一直線の突進から方向を変え、俺の左側へと大きく逸れた。同時に腰元に触れた左手が、短剣を二本指の間に挟んで戻ってくる。

 一本目の投擲、その狙いは俺ではなく碧だった。俺はそこに身体を割り込ませ、左手の特殊警棒で叩き落とす。続けて二本目、と思われたが、腕を振るだけで短剣は少女の手に握られたまま。

 代わりに動いたのは伏兵、それも二人。一人目、菱垣の胴を貫いた少年が少女に続く形で俺へと直進し、同時に右方、これも床に倒れ伏せていた予備生服の女が跳ね起きると、碧を目掛けて走り込んでくる。

 更に左方にはいまだに少女が短剣を構えており、俺に迎撃できるのは精々その内の二方まで。どうやったところで、左右どちらかは碧への動線が開いてしまう。

 だが、焦るべきではない。現状、敵方から見た脅威は俺。碧はそれに守られるだけの存在に見えているはずで、積極的に落としにいく必要性は薄い。それでも碧を狙うのは、彼女を庇おうとした俺の隙を突くためだ。

「碧、左を任せた」

 だから、碧には自分の身は自分で守らせる。

 M.A.R第十二期生で1位の変異能力の持ち主、両腕の変異を可能とする碧であれば、腕を盾にするだけで左の少女から数秒は稼げるはず。

 そして、俺はその間に他を片付ければいい。

 こちらの余裕を削ぐためか、正面と右の潜入者は各々が最速で距離を詰めてくる。タイミングが同時なら多少は難易度が上がったが、正面の方が到達がやや速い。

 だから、受けを選べる。

 正面の少年の初撃は右腕の刺突、肉体変異で硬化し槍と化したそれは、気絶狙いでも牽制でもなく俺を殺しに来ていた。

 対して受けるのは、俺の左に握られた特殊警棒。斜めから触れ、刺突の軌道を逸らした警棒は、そのまま少年の首へと向かう。少年の左の警棒も防御に向かうも、その手首ごと俺の右の手刀が切断。警棒の打撃、そして放電が首へと通り、一瞬で意識を奪う。

 そこまでの流れを見て、右からの襲撃者は碧から俺へと矛先を変えていた。

 右側面から襲撃者の放ったのは、共に変異させた両手での同時突き。対して俺は左腕を伸ばした形であり、自由に動かせるのは右腕一本。文字通り手数で押そうとしたのだろうが、肝心の突きが遅い。

 俺の取ったのは回避、後ろへの摺り足で右と左、両の突きを前方に素通りさせる。後を追って敵手の左腕が外へと振られるも、その肩口に俺の手刀が届く方が早い。

 予想通り、敵手の肩までは硬化しておらず、刃の手刀が腕を根本から落とす。更に返す手刀で首元を貫いて、そこで終わり。

 俺の方は、思ったよりも簡単に二人を仕留める事ができた。伏兵はあくまで奇襲用という事だろうか、戦力としての彼らは最初の少女にはとても及ばない。

「くっ……」

 そして、俺が二人を仕留める間、その少女も両腕を盾に変えて身を守る碧を片付ける事はできていなかった。

 つまりは、時間切れ。横から回ろうとした俺を横目で捉えると、少女は挟み撃ちの構図を嫌ったか、大きく跳んで碧から離れる。とは言え、所詮は密閉空間。俺が二歩ほど右にずれたところで、少女は空間の角に追い込まれる形となった。

「……そんな、まさか」

 追い詰められたはずの局面で、しかし少女の目に浮かぶのは焦りよりも驚きの色。

「碧を舐めてたか? それとも、自分に自信がありすぎた?」

 言葉と共に一歩、距離を詰めて少女の脱出経路を更に狭める。

「その子じゃないわ。あなたの事よ」

 それに気付いたのか否か、少女は動かず言葉を続けた。

「あー、こっちか」

 普通に考えれば、一人を相手に数秒を凌いだ碧よりも、その数秒で二人を片付けた俺の方が強く、驚愕に値する。

 もっとも、それは少女の強さが普通の範疇だった場合の話。そうでなければ、あるいはこの状況から負ける可能性もあったが、少女の驚きの対象が俺である時点で、こちらの負けはほぼ無くなった。

「あの程度を二人殺したくらいで驚いてるなら、おとなしく降参した方がいい」

 だから、純粋な善意で警告を口にしてやる。

「違う。私が言っているのは、そこじゃないわ」

 しかし、少女の返答は予想とは違うものだった。

「……あなたのその動き、その技をまた見る事になるとは思わなかった」

「俺の、動き?」

 古い知り合い、ではないだろう。俺の過去の知人はほとんどが死んでいる。それでも七香のように俺を一方的に知っている者もいるが、おそらくこの場合は――

「私が見覚えがあるのは、あなたの動き。それは、『宵月の民』の技でしょう?」

 少女が知っていたのは、俺のかつて身を置いていた集団と、そこに伝わる技。

 俺の動きを見て、少女はその中に対変異者集団『宵月の民』の技を見出していた。

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