2-10 決闘の後で

 蹴りの衝撃で倒れ込んだ身体を起こしながら警報機器を弄り、やかましい音を止める。

 結果は予想通り、過程は多少想像とは違ったが、それでもこんなものだろう。

「思ったよりは手強かった。ただ、相手が悪かったね」

「まったくだ」

 慰めのような言葉をかけてくる菱垣には、全面的に同意する。せめて菱垣が同期生で屈指の変異者でなければ、俺にもまだできる事はあった。

「随分と、平然としているね」

「前も言ったけど、最初から勝てるとは思ってなかったからな。宝くじが外れて泣き喚くやつがそういないのと同じだよ」

「……まぁ、いいか。たしかに、喚かれるよりは都合はいいし」

 菱垣はいまだに俺の態度に違和感があるようだが、もう結果は出た。策などを疑う必要はない、と切り替える事にしたらしい。

「悪い、碧。負けた」

「……ああ、見ていたよ」

 もう一人の当事者、碧へと決した勝敗を告げる。もっとも、目の前で繰り広げられた疑似決闘の結果を碧が知らないわけもないが。

「ボクの目には、キミはもう少し善戦できたように見えたけれどね」

「だとしても、できなかったのが事実だ」

「しなかった、ではなく?」

「少なくとも、俺は碧と部屋を別れたくはなかったな」

「……その言葉は信じよう。何にしても、この問題の元凶はボクだ。キミに責任はない」

 碧はまだ俺が力を隠しているという可能性を捨てきれていないようだが、その可能性はつまり俺がわざと負けて碧との同室を譲り渡した事を意味する。どちらにしろ碧にとっては望ましくない事態だろうが、それでも碧は俺を責める事はなかった。

「では、次だ。菱垣昂輝、キミはやはりボクが倒す事になるようだね」

 その理由は、何よりも続いた碧の言葉が説明していた。

「だから……最初からそうしようと言ったのに」

 菱垣は軽く動揺を見せるも、その動揺は碧の言葉の内容に対するものではないのだろう。提案自体はごく当然のように受け入れていた。

「……あー、そうだったのか」

 そこで、俺にもこの状況の一端が把握できた。

 最初から碧は俺一人に事の顛末を預けたわけではなく、俺が負けた場合は自分が菱垣と戦う約束を付けていたのだろう。菱垣がそれを俺に伝えなかったのもおそらく条件の内、碧は俺の実力を試しながら保険を掛けておいたのだ。

「騙していて悪かったね、悠。あるいは、キミはそれも読んでいたのかもしれないけれど」

「やめてくれ。まだそこを疑うなら、俺を試した意味がないだろ」

「……まぁ、たしかに。ひとまず、ボクはキミを買い被るのを止めるよ」

 どうやら碧は、俺に実力がないと理解してもなお、部屋替えを拒むために疑似決闘を行うつもりらしい。その事は、少し嬉しかった。

「さて、それじゃあ、ここでキミの役目は終わりだ。菱垣昂輝」

 もっとも、まだ全てが碧の思い通りになると決まったわけではない。

「……いや、これからだ。枯木碧、君を倒して僕の……僕の部屋に来てもらう」

 どこかたどたどしいながらも、菱垣は碧へと勝利宣言を突きつける。

 実際のところ、俺の見立てでは碧はそれほど強くない。実際に戦うところを見たのは襲撃訓練での一度のみ、だがあの場を見た限りでは碧は荒事に慣れていなさすぎる。菱垣もそれほど戦闘経験が豊富というわけではないだろうが、精神的な姿勢に関して言えば、碧よりも菱垣の方が整っているように感じられた。

「ボクを欲してくれるのは嬉しいけれど、残念ながらキミはボクを理解しているとは言い難いね。理解していれば、冗談でもボクに勝とうなどと口にはできないはずだ」

 碧の口調にはいつもの妄想と自己陶酔が混じり、今一つ真意が読み取れない。あるいはそれが余裕である証拠かもしれないが、それこそ碧が菱垣の実力を把握せず的外れな余裕を抱いているだけの可能性も十分にある。

「話なら後でいくらでもできる。早く始めよう」

「そうかい? もう話をする機会もなくなるだろうと配慮していたんだけれど」

 菱垣も碧も、自身の勝利を前提に言葉を紡ぐ。

「……では、少し待っていてくれ。訓練服に着替えてくる必要があるからね」

「……待ってるよ」

 今にも疑似決闘が始まりそうな雰囲気ではあったが、現実問題として碧の服装は制服のままだった。専用の訓練服に着替えるには、多少の時間を必要とする。

「……………………」

 必然的に取り残されたのは俺、菱垣、ついでに立会人と観衆。観衆は碧対菱垣の上位変異者同士の疑似決闘の知らせに、むしろ俺と菱垣の疑似決闘前よりも興奮した様子だが、一介の立会人であるM.A職員にとっては単なる退屈な待機時間、そして菱垣は俺へとなんとも言えない視線を向けていた。

「何?」

「……いや、ただ君の考えが読めないと思って」

「人の考えなんて読めなくて普通だろ」

「それにしても、だよ。言い方を変えれば、君はどこか変だ」

「どこが?」

「枯木碧の言葉への反応、僕に負けた時の反応。それに、そもそもの決闘での戦い方にもどこか違和感が……いや、それは考え過ぎかもしれないけど、君には違和感がある」

 菱垣はどこか碧のような事を口にする。

 つまり、碧の俺に向ける目が特別というわけではなく、俺はある程度『そう見える』のだろう。

「そう言われても困るな。俺はただ、普通にしてるだけだ」

「それは……そう言われれば、そうなのかもしれないけど」

 ただし、『そう見え』たところで、何が変わるわけでもない。少なくとも、今のところはあくまで、菱垣や碧が俺に奇異の目を向ける以外の結果には繋がらない。

「――っ!」

 会話が途切れ、煮え切らない視線を俺へと向けていた菱垣の首が後ろを向く。

 菱垣が反応したのは、唸るような警報音。訓練服の放つそれよりも遥かに大きな音は、訓練場に設置されたスピーカー、そしてその外からも重なり鳴り響いていた。

「『職員、及び予備生各員に告ぐ。五等以下の職員、事務職員、そして予備生はM.A.R教育区画外の避難場所に退避されたし。なお、教育区画内にいる者は各自の判断で避難を行うように。繰り返す――』」

 警報音の後に続いたのは退避命令、何かしらの問題が発生した事までは推測できるが、その内容については連絡に含まれてはいなかった。

「……まったく、面倒な」

 溜息を零したのは立会人役の職員。その視線は手元の電子端末へと向けられていた。

「何があったんですか?」

「色々だな」

「色々って……具体的には?」

「説明は面倒だ。それより、避難が先だ」

 菱垣が職員へと問いを投げかけるも、まともな答えは返って来ない。

「この場にいる予備生は集まれ、これから俺が避難を主導する」

 電子端末の拡声器機能を使い、立会人は訓練場内の予備生へと呼びかけを行う。訓練場には監視員役の職員も複数人控えてはいるが、ひとまず避難指揮はこの職員が取るらしい。

 もっとも、気になるのは、俺達のいるこの訓練場そのものが緊急避難場所の一つに指定された場所だという事だ。更に内側、監視室や用具室などに避難するのか、あるいは表向きには隠された別の避難場所へと向かうのか。

 気になりはするものの、俺はその答えを追う選択肢を選ばない事にした。

 動き出した人の流れに逆らい、それでいて溶け込むように曲線の軌道で職員から距離を取っていく。

「どこに行くつもり?」

 もっとも、流石にその動きは隣にいた菱垣には見咎められてしまう。

「俺に構わず、避難した方がいいんじゃないか?」

「そのまま返すよ。君はどうして一人で避難場所を離れる?」

「それは……」

 特に言い訳など用意してはいなかったが、そもそもこの状況で怪しまれず菱垣を説得できるような言葉など無いだろう。必然的にこの場で取れる行動は、無理やり誤魔化すか無視して去るか、もしくは諦めて戻るかの三択となる。

 だが、そのいずれかを選ぶよりも先に、更に状況が変わった。

「――ひっ……!」

 響いたのは短い悲鳴、それを口にしたのが誰かを判別するには、訓練場内には倒れた予備生の姿が多すぎた。

「離れろ!」

 職員が指示を叫ぶ間にも、次々と予備生は床へと倒れ込み続けていく。それを引き起こしていたのは同じ予備生、正確には予備生用制服に身を包んだ少年。少年は両手に握った特殊警棒を首元に打ち付け、放電する事で周りの予備生の身体の自由を奪っていた。

 指示を口にしながら、同時に職員は動いていた。床を蹴り、特殊警棒の少年へと一直線に接近。硬化させた右手で胸元へと刺突を放つ。

 対する少年は両手の警棒を重ねてそれを受ける。その隙に職員の左手、腰から抜いた短剣が横から腹を狙うも、少年は防御する素振りを見せず、逆に棘を生やした右脚の蹴りで脇腹を狙う。

 結果、短剣は正面から接触。それに遅れた蹴りは、身体を退いた職員の腹を掠めて抜けていく。それでも、血を流し倒れたのは職員の方だった。

 腹に短剣を受けた少年は、しかし腹部を硬化させる事により、一切の回避をせずに無傷で短剣を弾き返していた。反対に蹴りを避けようとした職員は、大きく変形し刃を形作った少年の足に蹴りの軌道を見誤り、そのまま腹部を大きく切り裂かれる結果に。

「に、逃げっ――」

 職員が倒れた事により、予備生達の間の混乱が更に拡大、烏合の衆となった彼らを少年は無駄のない動きで気絶させていく。職員という区分けならば、まだ訓練場の監視役である職員達が残ってはいるが、彼らは戦闘に自信がないのか、避難を誘導するのみで少年を止めに行こうとはしない。

 実際のところ、それは悪い判断ではないだろう。少なくとも今のところ、少年は予備生の意識を奪いはしても殺しまではしていない。一方で、それを止めようとした職員には容赦なく腹を裂いている。勝てる算段がないのであれば、手を出さない方が被害は少なく済むだろう。

「まさか、雨宮くんはこれをわかって……?」

「それはまさかだな。それより、俺達も逃げた方がいい」

 予備生は倒れ、あるいは避難してこの場から姿を消していく。前者になりたくなければ逃げるのが吉、無駄話をしている暇はない。

「――悠っ! これは!?」

 だが、訓練場から外に出るよりも先に、着替えを中断して戻ってきた碧に見つかり、声を掛けられてしまう。

「警報は聞いただろ。多分、それ関係だ」

「侵入者という事かい?」

「というより、潜入者の方がありそうだと思うけど」

 このM.A日本支部は、巨大な飛行艇の上に作られた浮遊都市だ。外からの侵入はあり得ない、とは言わないまでも、接近を察知されず中にまで入り込むのは非常に難易度が高い。

 それなら、支部が地上に降りたタイミングで潜入していた潜入者が今になって動き出した、と考える方が確率は高そうだ。事実、目の前で凶行を繰り広げる少年は、その制服姿からも予備生として潜入していたと思われる。

「なぜ、誰もあれを止めない?」

「止めにいった職員が一人やられてる。それ以上の戦力が援護に来るまでは避難に徹するって事じゃないか?」

「……なるほど」

「でも、僕達が協力すれば止められるんじゃないかな。大体動きは見えてきた、三人がかりなら倒せない相手じゃない」

 俺の説明に口を挟んだのは菱垣。好戦的なのか、それとも正義感が強いのだろうか。

「止めるのは勝手だけど、俺はやらないぞ。大して戦力になるとも思えないし、何より逃げた方が確実だ」

「なら、枯木さんは?」

「……ボクも、やめた方がいいと思う。今のところ、あれは積極的に予備生を殺そうとはしていない。向かってきたならともかく、自分から止めにいくのは……」

 英雄願望を口にするかとも予想していたが、意外にも碧はこの状況で冷静だった。

「なら、仕方ない。単騎では流石に厳しいし、おとなしく逃げよう」

 菱垣もそれ以上喰い下がるほどの正義感があるわけではないらしく、結果的に俺達三人は逃げる事を選択する。

「こっちだ! その路地を奥まで進め!」

 訓練場の外に出ると、避難誘導役の職員が手振りを交え指示を叫んでくる。

「そっちは教育区画では?」

 だが、示された先は、先程退避命令の出た教育区画側の方角へ続く遊歩道だった。

「その手前に一部の職員にしか公表されていない緊急避難場所がある! 詳しくは向こうの職員が話す! 早く!」

 この辺りでは、先程出てきた第三訓練場以外を除けばもう一つ隣接した第四訓練場以外の避難場所はないはずだが、公表されていないだけと言われればそこまでだ。この職員も潜入者と組んで俺達を騙そうとしている可能性はあるが、だとしてもここで職員を無視して別の避難場所に向かう手はあまり望ましくない。

「……彼に従って大丈夫だと思うかい?」

 同じ疑念を抱いたのか、碧は路地を進みながらも小声で問いかけてくる。

「どうだろうな。少なくとも、従っておくのが楽ではあると思うけど」

「そんな適当な……」

「まぁ、考えてわかるものでもないし」

 とにかく、俺達には情報が足りていない。どう動けばどんな結果に繋がるのか、わからない内は突飛な行動は取らない方がいいと思うが、その判断が正しい保証すら無い。

「――こっちだ!」

 ある程度進んだところで、今度は別の職員に声をかけられる。手で示された先はあまり見覚えのない建物、記憶が正しければ訓練用の備品を置いておくための小さな備品棟だった。

「裏口から入れ。端末を認証機に翳せば、扉が開く」

 職員の言葉をそのまま受け取れば、この備品棟が緊急避難場所だという事になる。一見して外敵からの防衛力は高くなさそうに見えるが、だからこそ目をつけられる事の少ないであろう場所として避難場所に選んだという事だろうか。

「……なるほど」

 裏口の電子扉を開くと、まず目に飛び込んできたのは階段だった。穴のように開いた下への階段は、如実にその先への避難を示している。

「地下? でも、ここは……飛行艇の中に繋がっているという事かな?」

「多分、そうだね。もしくは、地中にあたる『層』があるのかもしれない」

 階段の先は、碧と菱垣、そのどちらかの推測の通りだろう。

 M.Aが飛行艇の上の都市である以上、いわゆる地下は存在しない。下に進めば飛行艇の中に入るか、もしくはその手前に更に空間が作られているかの二択だ。

 階段は長く、最低限の照明こそあるものの薄暗い。慎重に一歩ずつ降りていくと、下に着くまでにはそれなりの時間がかかった。

「これは……」

 そして辿り着いた階段の終点、そこは大きな真四角の殺風景な空間だった。避難場所としての役割だけのために作られたような空間は、飛行艇の中なのかどうかすら判然としない。

「……下がれ、碧」

 そして何より最悪なのは、その空間が唯一の価値である避難場所としての役割すらも果たせていないという事だった。

 まばらに倒れ伏せる予備生の姿は、つい先程の訓練場のそれと酷似している。違う点があるとすれば、流れた血の量がやや多い事、そして一人立つ予備生の服を纏った潜入者が少女であるという事くらいだった。

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