2-8 天秤
「悠さん、決闘するって話、あれ本当ですか?」
「そうみたいだな」
まさに決闘当日、そう聞いてきたのは、いつものように向かい合って昼食を取る七香だった。今日に関しては店で鉢合わせたわけではなく、普通に誘われそれに乗っただけだが。
「そうみたい……って、なんで他人事なんですか」
「他人事だからだよ。俺の知らないところで勝手に決まってたの。しかも、勝手に広められまでしてるみたいだし」
あくまで内輪の、ごく小規模な決闘。その話が違う予備隊の七香の元まで届いているというのは早すぎる。おそらくは、約束を踏み倒される確率を減らすため、菱垣が意図的に話を広めたといったところだろう。
「どこまで聞いてる?」
「悠さんと菱垣さん? が痴情のもつれで枯木さんを奪い合って決闘するとか何とか」
「へぇ……」
若干の脚色というか尾ひれは付いているようだが、まぁ噂などそんなものだろう。
「実際のところ、それで合ってるんですか?」
「痴情がもつれたかどうかは何とも。後、奪い合うのは部屋だ」
「部屋? ……あぁ、枯木さんとの同室ですか」
「そういう事」
そこが話の肝、条件が伝わっていなければ噂を聞いた者は約束の証人にはならないと思うが、菱垣も噂を正確に操るのは難しいという事だろう。
「意外ですね、悠さんは決闘なんて受けそうにないですけど」
「だから、俺は受けてないんだよ。勝手に決まってた」
「なら、放置すればどうですか?」
「そうすると負け扱いになるらしい」
「それでは嫌だと?」
「まぁ、碧とは一応それなりに上手くやってるつもりだし」
二人部屋での同居生活など、俺にとっては碧との経験が初めてだ。他の同居人と過ごす事になった場合、どんな状況になるかはあまり想像できない。
「なら、勝つんですか?」
「勝てれば勝つよ」
「勝算は?」
「俺は菱垣についてそれほど知らないし、正確にはわからないけど、多分低いと思う」
「つまり、多分負けるけど、勝てるかもしれないし一応試してみよう、って事ですか」
「うん」
七香の口にした内容は、ほとんどそのまま俺の思考だった。
「特に策を練ったりしているわけでも?」
「ないな」
「なら、その程度の思い入れというわけですね」
「言い方は悪いけど、そんなところかな」
本気で決闘に勝つ、あるい部屋交換を避けるためなら手段はいくつかあるだろうが、俺はそこまで力を入れるつもりはなかった。
「それに、碧が始めた事だ。乗ってやった方が碧のためだろうし」
「枯木さんが……なるほど、愛想を尽かされたと?」
「そうかもな。もしくは、愛想を尽かすかどうかを決めるためなのかもしれない」
碧が最初に好感を覚えたのは碧の中の『強い雨宮悠』だ。疑似決闘で俺が強いかどうか試すと同時に、菱垣に負ければその場で俺を捨てる算段であってもおかしくはない。
「もしそうだとしたら、ひどい話ですね」
「陰口?」
「仮定の話です。ただ、枯木さんが悠さんの想像通りの意図を持っているのだとしたら、陰口を言うのもやぶさかではありません」
淡々とした口調ながら、七香の雰囲気には多少の怒りが感じられた。
「想像って言っても、可能性の一つだよ。それがわかるのは、結果が出てからだ」
「悠さんが勝ってしまえば、全てうやむやになるのでは?」
「それならそれでいいだろ」
「……まぁ、悠さんがそう言うなら」
現状、俺に出来る事、というよりする事はない。部外者である七香には尚更だ。
「ちなみに、もし悠さんが負けた場合……というより、そうでなくてもその気になれば、私の家に来てもいいですよ」
「七香の家……あの一軒家か」
寮の部屋でなくM.A住居区画に家を借りている七香の部屋に住むのであれば、たしかにM.A.R側の部屋割りを無視する事ができるだろう。
「いいのか? せっかくの一人暮らしに男を入れて」
「他の予備生も男女二人部屋ですし、悠さんなら問題ありません。もし襲われても、私が返り討ちにしますし」
「それってつまり、俺が襲われたら抵抗できないって事だよね」
「まぁ、そうですね。なので、それも考慮して来てください」
「じゃあ、俺がそれとなくサインを出すから、それを確認してから襲ってくれ」
「それってもう、ただのプレイじゃないですか?」
かくして、七香との会話は、部屋交換の保険を生む結果に終わった。
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