2-5 裏付け
「ああ。たしかにキミが負けたら、ボクは部屋を移ると彼に約束したよ」
放課後、寮の部屋で菱垣の言葉の真偽を問う俺に、碧は軽い声でそう答えた。
「なんで?」
「キミが勝つと確信しているから、では不足かな?」
碧の語る理由は常の俺への過大評価を元としたもので、しかしそれは嘘だろう。
碧は俺が力を隠していると疑っているが、そこに明確な根拠はない。そもそも俺が本当に力を出し惜しみしていたとしても、隠していた全力が菱垣のそれに勝るとは限らない。
つまり、碧には俺が勝つ確信などないはずだ。だから、負けるリスクがないからという理由で賭けを受けたわけではなく、そこには他の目的、あるいは理由がある。
「俺が勝ったら、何かもらえたりでもするのか?」
俺と菱垣の決闘は、いわば碧との同室の権利を争う賭けだ。
とは言え、実際のところは、菱垣側は負けたところで今と何も変わらず、こちら側だけがリスクを負う不平等な賭け。平等を期すには向こうにも負けた時の条件が提示されるべきであり、あるいはその条件が碧が決闘を呑んだ理由というのもあり得る。
「彼自身は何でも一つ言うことを聞く、と言っていたね。もっとも、ボクには彼にしてもらいたい事はない。その権利は、実際に戦い勝利を収める事になるキミに譲るよ」
だが、碧の言葉はその条件に対しての無関心を示していた。
何でも言うことを聞く、なんて条件は真実であれば中々に使えるものだが、碧はそこに大した価値は感じていないらしい。あくまで口約束、菱垣が実際に命令に従うなどとは信じていないのかもしれないが。
「じゃあ、踏み倒すつもりか」
そう、所詮は口約束。それは、部屋交換の件に関しても同じ事だ。
最初から負けても約束を踏み倒すつもりなのであれば、自分が戦うわけでもない決闘など気楽に受けられる。受けた理由もおそらく、俺の本気で戦うところを見たい、というようなものだろう。
「……まさか。ボクにはそんな無恥な真似はできないよ」
碧の返答は否定、それも当然だろう。
負けても大丈夫などと言ってしまっては、俺が菱垣に勝とうとする理由がなくなる。俺に本気で戦わせたいというのが目的なら、ここでは否定を口にする他ない。
「そのつもりがなくても、そうしてもらえると助かるな。俺は多分、菱垣には勝てない」
そして、碧が何を口にしようと、俺の答えも決まっている。
十二期生で5位の総合能力を持つ変異者に雨宮悠が勝てる可能性は相当低い。絶対とは言わないものの、普通に考えて負けるだろう。
「……すでにM.A.Rに条件書類を出してある。今更白紙というのは不可能だよ」
「条件書類? 何それ」
「模擬決闘による意思決定、その条件書類だ。このM.A.Rでは、諍いが起きた時にそれを穏便に解決するため、機関の立ち会いによる模擬決闘制度を設けている。今回のキミと彼の決闘も、それに則って行われるという事だよ」
碧の差し出した電子端末、そこに表示されたM.A.R基本規則には、たしかに模擬決闘という制度の存在が記されていた。若者を集めた武力組織という性質上、議論から発展しての暴力沙汰を避けるために作られた制度、と言ったところか。
「それはまぁ……早まったな」
単なる口約束とは違い、規則に則った第三者付きの決闘となれば、たしかに結果が出てから踏み倒すのは難しいだろう。俺を逃さないための策か、あるいは菱垣から持ちかけられたのかはわからないが、本当に規則を使うのであれば、碧にとっても逃げ道を塞がれた形だ。
「キミが勝てばいい話だ。簡単だろう?」
「最初から俺がやる事は簡単だよ。ただ、その結果は保証しないってだけで」
規則の有無で多少事情は変わってくるが、本筋では俺のやる事は変わらない。ただ、その結果がもたらす意味が変わるだけだ。
「その疑似決闘ってのは、誰でも申し込めるのか?」
「ボクの知る限りはね」
「決闘をする本人以外でも?」
今回、決闘をするのは俺と菱垣、だが、碧の話が正しければ、俺が話を聞かされてすらいない内に疑似決闘が成立してしまっている事になる。普通に考えればおかしな話だ。
「……正確に言えば、申し込んだ条件は、キミと彼の決闘の勝敗を対象にした、ボクと彼との賭けだ。キミには、当然決闘を辞退する選択肢もある。ただ、その場合はボクの負けになるというだけの話だよ」
なるほど、要するに、勝負は碧と菱垣の賭けであり、ただ菱垣の賭けた対象が自分自身であるというだけの話らしい。それだけなら、一応の筋は通っていると言えなくもないが。
「なら、どうしてM.A.Rがそれで部屋交換の許可を出す?」
「どうして、と言うと?」
「二人部屋の片割れが変わるなら、普通はもう片方の許可が要るだろ」
問題は、賭けられているのが部屋の交換だという事。一人部屋ならともかく、同居人のいる状態での部屋交換は第三者、この場合は俺を巻き込むのは必然であり、その第三者の許可を得ずに話を進めるのは不合理だ。個人の勝手な賭けならともかく、他者を巻き込む賭けにM.A.Rが許可を出すとは思えない。
「それは……」
俺の問いに、碧は口籠る素振りを見せる。
「……それは、今語るべき事ではないだろうね」
そして、口にしたのは明らかな誤魔化しだった。
「なら、いつ語るんだ?」
「悪いけれど、ボクはこれから少し用事がある。話はまた後で、という事にしよう」
「あっ、ちょっと……」
続いて取った行動は、これもまた明らかな逃げ。とは言え、同室で暮らす以上、結局はいつまでも逃げられるわけはないのだが。あるいは、部屋交換の時まで逃げ切れればいいという考えならば話は別だが。
「……まぁ、いいか」
部屋交換の件は俺も当事者だが、実のところそれに関して俺に出来る事はあまりない。碧の部屋が変わるにせよ、変わらないにせよ、そこまでの過程は俺以外の動きによる部分が大半となるだろう。
それに、そもそも部屋の交換など、結局はあまり意味のない話だ。
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