1-12 妄想
「…………」
襲撃者の女に担がれ消えていき、そして戻ってきて以降、碧は不機嫌だった。
「…………」
だから、いつになく静かな碧に対して、俺も殊更に声をかける事はなかった。
対人関係はあまり得手ではない自覚はあるものの、少なくとも不機嫌な人間に構う事がロクな結果に繋がらない事は経験則から知っている。
「……キミは、知っていたんだろう?」
ゆえに、口を開いたのは碧。しかし、その内容は俺の予想していたものとは違った。
「知ってた? 何を?」
「先程の襲撃、それが訓練である事を、だよ」
碧の俺への買い被りはいつもの事だが、今回のそれにもやはり無理があった。
「まさか。俺を何だと思ってるんだ」
「たしかに、予備生の中でキミにだけ突発の襲撃訓練をあらかじめ知らされていたと考えるのは無理があるだろうね。ただ、途中で相手の様子から気付く事は可能だ」
「いやいや。もし仮に何か違和感があったとしても、前情報も無しに訓練だと確信するのは無理だろ」
「なら、前情報があったという事だろう。突発の襲撃訓練とは言っても、この施設の中では継続的に行われてきた事だ。何期か上の予備生や教職、もしくは他の情報源から襲撃訓練について耳にしていたとしてもおかしくはない」
「まだここに来てから数日で、か? 可能性としてはあり得なくはないだろうけど……そもそも、なんでお前は俺があれを訓練だと知ってたと思いたいんだ?」
碧の想像力が豊かそうな事は薄々勘付いていたが、それでも今回用意された妄想は、完全に否定する要因こそないものの、可能性として薄すぎる。これならまだ、俺が優れた変異者であるという説の方が説得力があるくらいだ。
「キミは、あの直前に視線が気になると口にしただろう」
「それは普通に人目の話だ。タイミングがちょうどだったのは認めるけど、そこまでわかって口にしてたなら、今更誤魔化そうとするわけがない」
続いた碧の推測も、完全な偶然でしかなかった。正直、それに関してはタイミングが良すぎた、あるいは悪すぎたと自分でも感じるが、その上で論理的に考えれば俺の発言は続いた襲撃と無関係だとわかるはずだ。
「だって……」
答えに困窮したか、碧は唸るように声量を落とす。
「だって……キミは、訓練だとわかっていたからボクを助けなかったんだろう!?」
しかし、その直後、声は反転して叫びに変わった。
碧自身もそれに驚いたように、慌てて口を噤む。
「……あー、なるほど」
そこで、俺にも碧の言いたい事は大体わかった。
「要するに碧は、実は変異者としての力を隠し持ってる雨宮悠に、前みたいに襲われたところを颯爽と助けてもらいたかったわけか」
「っ……あぁ、そうだよ。でも、キミはボクを助けてはくれなかった。それは、キミがあれを訓練だと知っていて、止めない方がいいと思ったからだろう?」
率直に告げた推測に、碧はどこか自棄気味な声で返してくる。あるいは、俺の推測に加えて碧は単純に俺が助けに入らなかった事に対しても失望しており、その現実から目を背けるために無理な理屈を作り出したのかもしれない。
「俺を妄想の材料に使うのはまだいい。ただ、それに依存するのはやめろ」
もっとも、碧が何をどう思おうと、事実は変わらない。そして、俺はそれを取り繕って碧にとって都合の良い嘘を用意してやるつもりはなかった。
「俺はただあの場所で、お前の襲撃訓練に巻き込まれただけだ。前もって何かを知っていたわけでもなければ、それが理由でお前を助けなかったわけでもない」
「……なら、どうして?」
「あんまり自分で言いたくはないけど、怯えてただけだよ。お前で勝てない相手に俺が勝てるわけがない。割り込んでも無駄だと思ったから、ただ見てた」
余計な見栄を張るつもりはないが、それはそれとして、俺も当然だが格好悪いと思われたいわけではない。だから、それは本当に言いたくはない事だった。
だが、碧が俺を過大評価した挙句、空想上の俺に頼り切ってしまうようでは問題だ。襲撃者役の女も口にしたように、碧にはいまだ危機感が足りない。
今回の襲撃こそ訓練だったものの、ここがM.Aの本拠地である以上、いずれ本当に襲撃を受ける可能性もある。その時になって碧が俺の力を盲信して、それが理由で力を出しきれずに斃されるような羽目になるのは、出来れば避けたいところだった。
「俺に――いや、誰かに助けてもらおうなんて思うな。お前はM.A.R十二期生主席の変異者だ。自分の身は自分で守るのが一番確実だろう」
「……そうだね。事情がどうあれ、キミに頼ろうとしたのは間違いだった」
俺の言葉を全て信じたわけではないようだが、それでも碧は一番言いたかった事は理解してくれていた。今のところは、それで満足しておくべきだろう。
「ボクはキミに守られるのではなく、キミに追いつく事でその力を引きずり出す事にするよ」
「……うん、まぁ、目的はともかく、その調子でがんばってくれ」
ただ、出来る事なら、少しくらいは俺への妄想も収まってほしかった。
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