1-11 街角の遭遇
「……何、この拘束具」
互いに10分と少し、俺はともかく碧の方は予想よりもかなり早く服を選び終えており、言われるままに身に付けてみたそれは明らかに窮屈なものだった。
下は足に纏わり付くような黒い細身のズボンで、歩く度に膝が引っ掛かって動き辛い事この上ない。上も基本的には黒を基調にしており、サイズ的にはそれほどきつくもないが、なぜか各所に括り付けられた細い鎖が動く度に揺れ、時には引っ張られるのが鬱陶しい。上着だけはやたらと余裕のある、というより素人目には布の余っているようにしか思えない外套染みた形になっているが、当然ながらそれが他の着心地を改善してくれるわけでもない。
「いいじゃないか、格好良くなっているよ」
「だとしても、流石にきつすぎる。特に下、このままだと鬱血する」
「それは、たしかに。どうやら、少々サイズを見誤っていたらしい」
俺の膨れ上がった下半身、という表現は誤解を生みかねないが、脚に纏わりつく布が伸び切っているのを見て碧は小さく頷いた。余計な装飾はともかく、サイズに関してはファッション的な問題ではなく純粋に小さいだけだとわかり、少し安心する。
「……しかし、こうして見るとキミは相当鍛えているね。脚もそうだけど、全身の筋量が並の範囲を外れている」
「そうか? まぁ、だとしても大して意味は無いだろ。変異者の動力は筋肉よりも変異細胞が大半だ。せこせこ筋トレしたところで、それで強くなるわけじゃない」
「それは極論だろう。現に、このM.A.Rでも基礎体力訓練は実施されている」
「まぁ、それはそうなんだけど」
碧と俺とでは、微妙に論点が異なっている。
変異者が筋量を増やす事に意味がないわけではないが、だからといって筋量が多い変異者が強いわけではない。俺の主張は後者であり、碧の反論は前者だ。
「ただ、そうなるとキミの体型にこの形のボトムスは合わないな。だとすると、上も一から取り替えた方がいいかもしれない」
「じゃあ、脱いでいい?」
「ああ、もちろん。その間にボクは別の候補を持ってくるよ」
いい加減に脚が気持ち悪くなってきていたので、碧がすんなりと脱衣の許可を出してくれたのは幸いだった。捩じ込んだズボンから掘り出すように脚を抜き、鎖まみれの上もついでに脱いでしまう。
「ほら、次だ。着替えるといい」
「早っ」
そうこうしている間に、戻ってきた碧が試着室に服を滑り込ませてくる。何度も着替えるのは正直なところ面倒だったが、文句を言う気にはならなかったため素直に従う。
「これはこれで……動き辛いな」
先程より簡単に身に着けられたその衣服は、全体的に布地の多いものだった。着心地としては俺の買ったスウェットより若干窮屈ではあるが、気になるほどではない。ただ、余りに余った布は上半身から足首に届くほどで、動くのには邪魔にしかならないだろう。
「かっこいい……」
「碧?」
「それにしよう。お金が無いなら、ボクが出す」
俺の意見を一顧だにせず、というより耳にすら入っていないかのように早口で言い切る碧の目は、暗い店内の中でも不思議と輝いて見えた。
「そんなにこの服がいいか?」
俺の美的感覚など自分で当てにはしていないが、着心地を除いても今身に着けている服は少しばかり奇妙に感じられる。外套のように広がった上着は、しかし裏が透けるほどの薄さで防寒機能は皆無。ズボンに関しては本体の概形から完全に外れた、明らかに余分な後付でしかない余り布が各所に襞を作っている。良し悪しは差し置いても、俺のこれまで見た事のない類の服装である事は間違いなく、つまり普通ではないはずだ。
「ああ。正直、流石にやり過ぎかと思って第一候補からは外したけれど、期待以上だ。きっと、君自身がどこか現実離れした雰囲気を纏っているからだろうね」
「それって褒めてる?」
「もちろん! さぁ、そうと決まれば早速買ってしまおう」
どこか引っ掛かるところはあるものの、浮足立った碧の様子は演技には見えない。着心地もまぁ妥協できる程度ではあり、手持ちのない俺としては金を出してくれるなら貰っておいて困るものでもないだろう。
「あー、待った」
とは言え、物事には順序というものがある。よって、半ば引きずる勢いで俺の腕を掴みレジまで連れて行こうとする碧を止める。
「なんだい?」
「一応、せっかく選んだんだから、碧も俺が選んだ服を着てくれ」
「あ……たしかに、それはそうだね。ボクとした事が、つい冷静さを失ってしまっていた」
碧の肩を竦める素振りで、ようやく俺の腕が解放される。予想していた事だが、碧の握力、腕力は常人のそれを遥かに上回るもので、掴まれていた腕は少し痛かった。
「それで、キミはボクにどんな服を用意してくれたのかな?」
「期待せずに待っててくれ」
「それはまた、難しい注文だね」
悪戯な笑みを浮かべた碧が、あらかじめ俺が選んだ服を放り込んでおいた試着室へと入っていくのを見送る。
「――さて、一応は身に着けてはみたけれど」
やがて着替えを終えて試着室から現れた碧は、俺の選んだ簡素な純白の衣を身に着けていた。たしか、服に付いたタグにはワンピースと書いてあった。
「これ、似合うかい? ボク個人としては、もっと暗色系で装飾が散りばめられているようなものの方が好みではあるんだけれど」
「だから、俺に選ばせても無駄だって言ったのに」
「いや、文句を言っているわけではないんだ。ただ、その、キミから見てどうなのかな、と思っただけで」
着慣れないのか恥ずかしいのか、碧は落ち着かないとでもいうように細かい動きを繰り返し、鏡と自分の姿、そして俺へと視線をさまよわせていた。
「いいんじゃないか? 似合うとか似合わないとかは正直わからないけど、今の碧は、そのあれだ……美少女っぽい」
俺が白の衣を選んだのは、どこかで見たそれと似たものを身に着けていた少女の絵と、そこに付随していた美少女という単語が妙に記憶に残っていたからだった。その絵の少女は黒髪の長髪で、顔立ちの系統も碧とは似つかないものではあったが、それでも今の碧には美少女という言葉が似合うように感じられる。
「そ、そうか。なら、いいのかな?」
依然として恥ずかしそうにしながらも、碧は俺の言葉に何やら納得したように頷いた。
「たしかに、着慣れないタイプの服ではあるけれど、センスは悪くない。それに、慣れないという点ではキミも同じだ。今回は、キミの選択に従ってみるとしよう」
「別に無理しなくてもいいんだぞ。結局、お前は自分の金で服を買うだけだし」
文句を言うな、とは言ったが、だからといってその服を買え、というつもりはない。碧の金で買ってもらう俺とは違い、俺に払う金がない以上、碧のそれはただの買い物だ。普通に考えて自分の欲しいものを選ぶべきだろう。
「今のボクはこれがいいんだよ。キミの言葉がお世辞だったというなら、考え直すかもしれないけれど」
「いや、世辞を言った覚えはないけど」
「なら、決まりだね。せっかくだから、このまま着て行くとしよう」
碧が店員を呼び出し、手際良く会計を済ませたところで、そのまま店の外に出る。
「……なぁ、碧」
「なにかな? どこか寄りたい場所でも?」
訓練後の疲れは癒えたのか、軽い声で問い返す碧へと潜めた声で告げる。
「いや、なんか見られてる気がするんだけど」
「視線? M.Aの施設内に外敵が潜んでいるとは思えないけれど……もしかして、キミはM.Aに潜入した間諜で、それに気付かれ追手を差し向けられたとか?」
「そういう恥ずかしい奴じゃなくって」
「は、恥ずかしい!?」
声を裏返らせた碧は気にせず、話を続ける。
「この服って、本当に変じゃない? っていうか、目立ってない?」
「なるほど、そういう事か。目立つか目立たないかで言えば、目立つだろうね。その服装のキミは控えめに言っても格好良すぎる。それこそ、そこらの美形俳優などよりも上だろう。注目を集めるのはある意味必然だよ」
「お、おう」
明らかに過剰なほど褒め殺してくる碧に、思わず気圧されて頷きを返す。
「でも、見た目が良くて注目されるっていうなら、むしろ碧の方が目立つんじゃないか?」
「いや、それは違うと思うな。ボクも外見に自信がないわけではないけれど、ただ歩いているだけでこれほど視線を集めたのはこれが初めてだ」
「それを言うなら、俺もそうだし。その服が碧にめちゃくちゃ似合ってたとかかも」
「それも可能性としては否定できないけれど、やはり主役はキミだと――悠!」
不毛な譲り合いの最中、突如として碧の声色が緊張に塗り替わった。
同時に視界の端、右から迫り来る人影を俺の目が捉える。一見して特徴のない服装の女の姿は、しかし口元から鼻までを黒いマスクで覆い隠していた。
「――っ、ぐっ」
襲撃者との接触は、二人の内右側に立っていた俺が先だった。
人影は予想より遥かに速く、人間に可能な限度を超えた速度で俺の間合いに踏み込んで来ると、着地の勢いのまま沈むように膝から身体を落とした。直後、斜め下からの跳ね上がるような打撃が右腕に着弾、俺の身体はその威力で棒切れのように宙を飛ぶ。
「このっ――」
俺の行方を追おうとした襲撃者の視線は、碧の接近によりそちらへと向かう。追撃がないなら好都合、俺はそのまま飛ばされ、進行方向の壁に片足を付いて衝撃を殺す。
一方、同時に攻め込んだ碧の攻撃手段は腕。白のワンピースの袖口から伸びたそれは、肉体変異により暗褐色の刃と化していた。
何ら工夫のない右腕の刺突は、だがそれ故に速く、最短距離で対面の女を襲う。襲撃者は身体を捻り右の腕でそれを止めるも、続いた碧の左の刃には防御を諦め後退していく。
「キミは誰だい? どうやってここに――」
生まれた距離に碧は言葉を紡ぎかけるも、それは明らかに悠長に過ぎた。開いた距離が埋まるのは一瞬、襲撃者の右脚の跳躍は一足で身体を碧の手前、それどころか碧の横を通り過ぎるとその背後にまで運んでいた。
交差際に放たれた右の蹴りは碧の両手が防御、同時の腕の突きは体勢が崩れた事により碧の頭の横を掠めていったが、一息吐くよりも先に襲撃者は着地から跳躍姿勢を整える。二度目の突進に碧の取った行動は回避、だが蹴りの攻撃範囲の外に出る事は叶わず、咄嗟に防御に向けた左腕ごと身体が飛ばされる。
背中から落ちると思われた碧の身体は、地面へ伸ばされた右腕から着地。変異した腕は強靭、不自然な形で突いた腕は折れるどころか一本で勢いの大半を殺し、続いた左腕で地面を弾くと身体がバク転の要領で回転し、直立の姿勢へと戻っていく。
曲芸じみた着地からの復帰は、しかし華麗でこそあれ遅かった。碧の足が地面に触れたのは、すでに襲撃者が三度目の突進のため跳躍を始めた後。猶予のない碧に出来る防御行動はと言えば、両腕を身体の前に掲げ盾にする事くらいだった。
文字通り盾の形に変異した碧の腕に、襲撃者の右腕が着弾。ただし、その勢いは防御を貫くにはあまりに弱い。それもそのはず、腕は攻撃ではなく姿勢制御のための軸、本命は碧の側面から襲う足刀だった。
寸前で気付いた碧は、盾にした腕を更に変異させ棘を生成。だが、襲撃者は碧の腕を押した反動で身体を飛ばして棘を避ける。崩れた体勢の中でも、しかし足刀は碧の首に届き、伸びた足先が首に巻き付き締め上げていた。
数秒の絞首、そして碧の身体は力を失い倒れていく。足を引き両足で立った襲撃者の女の視線は、碧を離れ俺へと向けられた。
「どうする? 来る?」
挑発の言葉は、予想よりも高く柔らかい声だった。
「なんだ、訓練だったのか」
そこで、俺は襲撃の意図を理解した。
「良くわかったね。なんで?」
「本当に襲撃なら、ここで声をかけては来ない。大方、これは碧への襲撃訓練で、俺はたまたま傍にいたから巻き込まれただけ、ってところじゃないか?」
「へぇ……本当に良くわかったね。大体はそれで合ってるよ」
口元は布で隠れて読み取れないが、襲撃者の目元は笑みの形に曲がっていた。
「本当はあんまり説明しない方がいいんだろうけど……まぁ、そこまでわかってるなら同じ事かな。M.A.Rでは予備生に対して、不定期に抜き打ちの襲撃訓練をやっててね。あたしはその襲撃役って事」
襲撃者、本人曰くその役の女の語った内容に聞き覚えはないものの、だからこそ抜き打ちの襲撃訓練という事だろう。実際の襲撃に限りなく近い条件で予備生を襲い、その対応を見るのが目的の訓練といったところか。
「襲撃訓練に関しては一周したら詳しく説明されると思うから、今のところ私からはこのくらいで。君もその内受けるわけだし、あんまり話しすぎてもね」
女は、襲撃訓練は不定期に行われると言った。つまり一度ではなく何度も似たような事が行われるのだろうが、それを理解する前と理解してから、初回と二回目以降の訓練では事情が違う。すでに手遅れの感もあるが、女は少しでも俺から初回の襲撃の価値を奪わないようにしているのだろう。
「それと、枯木さんは気絶させちゃったから、いくつか伝言を頼んでもいいかな?」
「伝言? アドバイスか何か?」
「まぁ、そんなところ。って言うか、敬語使わない? 一応、あたしの方が立場が……いや、今はあんまり自分について話しちゃいけないんだっけ……」
「伝言なら受けてもいいけど、碧はそっちで運んでくれない? 寮まで遠いし」
「あっ……うん、それはそうするけど。……まぁ、敬語は別にいっか」
申し出を遮って返答と要求を伝えると、女は曖昧に頷いた。正直、今更口調を変えるのは気が乗らなかったので、敬語など使わずに済むならその方がいい。
「じゃあ、伝言というか注意点だけど、枯木さんは戦闘に慣れてなさすぎるっていうのがまず一つ。まぁ、これに関してはM.A.Rの講義で追々教えられるだろうから今は仕方ないんだけどね」
M.A.R予備生の多くは、元兵士でもなければ元暗殺部隊の一員でもない、変異者である事以外はごく普通の生活を送ってきた少年少女だ。能力検査において同期生で最高のスコアを叩き出した碧もおそらくその例に漏れず、変異能力と人並み以上の身体能力を除けば、戦闘における動き方はたしかにそこらの素人と大差なく見えた。
「それと、重要なのがもう一つ。枯木さんには、今一つ危機感というか現実感が無いからそれを直すように言っといて。死にたくなければ口を開く暇があったら戦うか、もしくは逃げるようにって」
それも、碧の目に見える欠点の一つだった。
碧は襲撃を受けてからずっと、常にどこか余裕があった。そう言えば言葉はいいが、結果として倒されている以上その余裕は慢心、あるいは単なる現実感の欠如に過ぎない。つまり殺される可能性を想定できておらず、ある意味ではそれはむしろ、恐怖や怯えに動けなくなるよりも質が悪い。
女の忠告はまったくもって的を射ている。そして、その改善法としてこの襲撃訓練は有意義な方法の一つだろう。
「質問があるんだけど、聞いてもいいか?」
だが、同時に気にかかる事もあった。
「聞くだけならね。答えられるかどうかはわかんないけど」
「予告無しの襲撃訓練では、襲撃者側は手加減できるけど、逆はそうはいかない。予備生が襲撃者を殺すのを避ける方法は用意されてるのか?」
単純な話、この訓練では予備生側には襲撃を訓練かどうか見分ける手段がない。それが肝の訓練ではあるのだろうが、襲撃者側が劣勢に回った場合、被害を免れる方法がないとすればそれは欠陥だろう。
「あぁ、それか。たしかに、予備生に手を止めさせるための方法はないね」
だが、女はその欠陥をあっさりと認めた。
「一応、襲撃者側は戦力でかなり優位に立つように設定されるから、仮に無事に予備生を無力化出来ないとしても、撤退くらいはできるのが大体だし、それも無理そうなら救援を呼ぶようになってるけど、もちろん間に合わない可能性もある。だから襲撃者役が深手を負ったり、最悪だと死んだ例もあるらしいよ」
女の語った訓練事情は、物騒で血生臭いものだった。
もっとも、それもそのはず。このM.A、そしてM.A.Rは武力団体、争いのための組織だ。全体の武力を高めるためなら、少数の犠牲はコストであり得る。
「それと、もう一つ」
「あれ、まだあるの?」
驚きだろうか、目を少し見開いた女に構わず続ける。
「襲撃訓練に慣れすぎて、本当に襲撃があった場合、予備生が訓練だと思い込んで油断する危険性は?」
「うん、それもあるね。ただ、上は少しの油断くらいなら、恐怖で満足に動けなくなるリスクと天秤にかければ許容範囲って判断してるみたい」
「なるほど」
全てが万事プラスに働くなんて事はそうそうあるものではない。リスクを認識した上で訓練の実施を決めているのであれば、それ以上は俺が気にする事ではないだろう。
「……って、これも話しすぎちゃったかな。君と話してるとまた余計な事言っちゃいそうだし、そろそろあたしは行くね」
マスクが無ければ舌を出していただろうと目元だけで確信できるような悪戯な笑みを浮かべると、女は軽々と碧を右肩に担ぎ上げる。
「あっ、そうだ。一応、君の名前を聞いておこうかな?」
「自分は名乗らないのに、俺には名乗れって?」
「あはは、たしかに。じゃあ、今の無しで。また機会があれば、その時にでも名前を交換できるといいね」
問いを撤回した女が碧を連れて去っていくのを、俺はただ立ったまま見送った。
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