1-10 ファッション
M.A.Rにおける訓練二日目は、軽い訓練内容紹介がほとんどだった初日とは打って変わって一気に過酷なものとなっていた。
基礎体力訓練では訓練時間の間中ずっと走り続ける持久走を、対人戦闘訓練では変異能力不使用での組手をひたすら繰り返し、変異能力訓練では絶え間なく肉体の形状を変化させ続ける。それぞれの内容こそシンプルだが、それゆえに予備生達は無駄なく消耗し続ける事を余儀なくされていた。
「……よし、じゃあ行こうか」
それは十二期生主席である碧も例外ではないのか、俺へと呼びかける声の張りの無さには隠し切れない疲れが見て取れた。
「へぇ、元気だな」
疲れているなら予定など捨てて帰って寝るのが一番だと思うが、碧はどうしても俺の服を買いに行きたいらしい。見事な気力だと感心すると同時に、それほど俺の服が酷かったのかと再確認して少しだけ落ち込む。
「キミこそ、随分と元気じゃないか。まったく疲れているようには見えないな」
「喜べ、碧」
俺を指差した碧の指摘は、今回に関してだけは的を射ていた。
「は?」
「俺が疲れてないのは、さっきまで手を抜いてたからだ」
今日の訓練内容はたしかに過酷なものではあったが、それでも行うのはあくまで予備生達自身だ。つまり、ぶっちゃけその気になればいくらでも手は抜ける。まだ慣れていない事もあってか、ほとんどの予備生は指示通り全力で訓練に取り組んでいたが、別にそうでない者に対して罰があるわけではない。少なくとも、今日のところは手を抜いていた俺への教育的指導が加えられる事はなかった。
「……それで?」
「それで、って、俺が手を抜いてると嬉しいんじゃないの?」
「何を言い出すかと思えば……ボクはただ、キミが力を隠しているんじゃないかと疑っているだけだ。キミの訓練態度が真面目か不真面目かはどうでもいい事だよ」
「ふーん」
残念ながら碧を喜ばせる事はできなかったようだが、そのために手を抜いていたわけではないのでそれほど落ち込みはしない。
「もっとも、手を抜いていた理由が力を隠すためだと自白するなら話は別だけどね」
「それで喜んでくれるなら、そういう事でもいいけど」
「キミは、そんなにボクを喜ばせたいのかい?」
「うん」
「……適当な肯定ほど無価値なものはない。また一つ学ばせてもらったよ」
下らない会話を交わしながら、碧の向かう先は学生都市区画。ファッション以前に服屋の種類から知らない俺は、その後を従順に付いていくしかない。
「さて、到着だ。とりあえず、ここで服を買おう」
やがて辿り着いたのは、大型の商業施設からは少し離れた場所にある洋服屋だった。
「なんか暗くない?」
何やら見知らぬ言語の店名が掲げられたその洋服屋は、中に入るまでもなく明らかに他の店と比べて明るさが足りていなかった。かと言って休業日というわけでもないようで、碧が入口の扉を開くと、中には微かな光に照らされた店員の姿があった。
「雰囲気のために照明を抑えめにしてあるんだろう。試着室の辺りはもう少し明るくなっているはずだから、色を確認したいなら一度持っていってみるのもいい」
「めんどくさいな……」
「ファッションというものは、手間と我慢の産物だからね」
どこか楽しげな表情を浮かべ、碧はおそらく意味を間違えた格言らしき言葉を口にする。
「まぁ、実際に服を選ぶのは碧だしな。俺は意識を断ってるから、その間に選んでくれ」
「何を馬鹿な事を言っているんだい。選ぶのはキミの服だ、キミも一緒に選ぶに決まっているだろう」
「だって、俺が選んでも文句つけてくるし」
「なら、キミはボクが選んだ服を文句を言わずに着るのかい?」
「文句を言いながら露骨に不満を顔に出して渋々着るよ」
「それでは誰も得をしないから、一緒に選ぼうと言っているんだ」
「なるほど。流石は碧、頭がいいな」
「……馬鹿にされているようにしか聞こえないのはなぜだろうか」
碧は俺に恨みがましい視線を向けてくるが、今回に限っては碧を馬鹿にしたつもりもからかったつもりもない。単純に、二人で服を選ぶという発想が無かっただけだ。
「どっちにしても、俺には服はわからないからな。基本的には碧が選んでくれ」
「わからないと言っても、好みくらいはあるだろう。色だとか形だとか、こんな服が格好良いだとか」
「でも、着てる分には自分ではあんまり見えないし」
「……なるほど、キミは他人から見える自分というものに無頓着なんだろうね」
言われてみればそうなのだろうか、少なくとも俺はファッションに興味はない。
「なら、まずはボクがキミの服を選ぼう。キミはその間、ボクの服でも選んでいてくれ」
「俺に選ばせてどうする、自分で選んだ方がマシだろ」
「自分の服に興味がないなら、ボクの服を選んでくれてもいいだろう。それに、自分が着る場合とは違って、ボクが着る服ならキミからはいつも全体が見える事になる」
「まぁ、それもそうか」
ファッションには興味はないが、流石に俺も美的感性が完全に死んでいるというわけではないはずだ。ただ碧に着せたい服を選ぶだけなら、できない事もない。
「じゃあ、しばらく自由行動という事で」
碧の提案を皮切りに、俺達はそれぞれ別れて服を探す事にした。
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