1-9 自室
「キミには、ファッションのセンスというものが欠落している」
初日の訓練日程を終えた後、洋服店を経由して私服に着替え帰って来た俺に、碧は開口一番そう言い放った。
「碧、違う」
「違わない。たしかに最近のファッションには奇抜で理解しがたいものも数多く存在するかもしれないが、キミのそれは明らかにそういう類ですらない」
「だから、そうじゃなくて」
碧の言わんとする事もわからないではないが、俺とは話が噛み合っていない。
「おかえり、だ」
「は?」
「俺が帰って来たらまず、おかえり、と言ってくれ。逆もまた然りだ」
理解できていない様子の碧に、より細かに要求を伝える。
「キミが礼儀を重んじるタイプだったとは思わなかった。ただ、挨拶なんてものはあくまで慣習で、義務じゃない。それを他人に強要するのはキミのエゴなんじゃないかな?」
「そうだよ」
「認めるのかい? 随分と素直じゃないか」
「俺が碧におかえりと言われたいだけだからな。礼儀とかはどうでもいい」
碧は小難しい話をしたがるが、この場合はただ俺が碧に要求をしているだけだ。挨拶の社会的意義なんてものは、こちらも心底どうでもいい。
「……まぁ、キミがそこまで言うなら、ボクとしても頑なに拒む理由はないけれど」
議論ではなく懇願をした事で、碧も意地を張らずに受け入れてくれた。
「よし! じゃあ来い! ほらほら、早く早く!」
「ああ、もう、急かさないでくれ! やり辛いな!」
催促は鬱陶しそうに撥ね付けられたため、黙って見守る事にする。
「……お、おかえり」
「ご飯にする?」
「は?」
首を傾げる碧に、無言のジェスチャーで更に催促。
「ご飯にする? ……って」
台詞を吐いた後、またも黙り込む碧を更に煽るも、今度は半目で睨まれてしまう。
「なぜ、ボクが古き良き妻のテンプレートを再現しなければならないのかな?」
「それはもちろん、古き『良き』だから」
「……たった今気付いたけれど、キミは基本的に何も考えずに話しているね?」
「失礼な。これ以上無いほど頭を使って話してるぞ」
「そう言われるとそうかもしれない。たしかに、キミは無駄に頭を使いすぎている」
碧の言葉を否定はできないが、そもそも級友との雑談などそれ自体がほとんど無駄なものであるはずだ。つまり、俺に自らの姿勢を改めるつもりは全くない。
「まぁ、とりあえずただいま、碧」
「……うん、おかえり」
あらためて挨拶を返すと、碧は小さく頷きもう一度出迎えの挨拶を口にした。
「じゃあ、早速だけど俺は風呂に」
「残念だけど、まだ沸かしていないよ。それに、キミが着替える前に話をしたい」
「話? ああ、ファッションがどうとか?」
俺としても連日の入浴をシャワーで済ませるのもどうかと思っていたため、給湯器の設定だけ済ませてから碧に向き直る。
「そう、その服だ。その服はどういうつもりだい?」
「どうもこうも……いつも制服ってのも窮屈かと思って」
M.A.R訓練生には防刃、防衝撃耐性、自動修繕等の機能の付いた専用の制服が用意されているが、訓練日程の終わった後、いわゆる放課後には着用義務はない。
あれはあれで機能としては優れているのだろうが、普段から着るには重くて窮屈だ。そのため、俺は今日の訓練日程が終わった後、寝間着を買うついでに私服を購入し、それを身に着けて施設中を散策していた。
「なるほど、たしかにそれなら窮屈ではないだろうね」
「だろ?」
俺が見せびらかすように両腕を広げると、それを見た碧は頭を抑えて首を振った。
「だが、ダメだ。上下灰色のスウェットは、この世界では衣服として認められていない」
「……スウェット?」
「キミの着ているそれの事だよ」
碧がおそらく俺の服の種類らしきものを教えてくれたが、重要なのはその先だ。
「なんでダメなの?」
「なんでも、だ」
普通に洋服店に売っていた、正確には無償で置いてあったのだから認可が下りていないはずはないが、碧は問答無用で否定を突き付けてくる。
「じゃあ、色を変えよう。上を黒にする」
「部屋着としてなら構わないけれど、それで外に出るのは却下だ」
「なら、緑は? 赤とか茶色、紺と青もあるぞ」
「全部却下! というか、どれだけスウェットばかり買って来たんだ!?」
鞄から洋服店の袋を取り出し、中身を披露するも、無情にも全て却下されてしまう。
「えー……これが一番楽なのに」
「楽すぎるから言っているんだよ。これではあまりに格好が悪い。と言うよりむしろ、みっともない、と言った方が正確なくらいだ」
「別にいいよ。見た目だけで人を判断するような底の浅い人間の評価なんて、どうでも」
「う……っ、い、いや、その意見には賛同したいところだけど、残念ながらキミのは度が過ぎる。外見から内面が透けて見える程度には極端だ」
碧の好きそうな言葉を並べて抵抗を試みるも、押し切られてはくれなかった。
「大体、俺の服装なんて碧が気にしなくても」
「そうはいかない。正直、その状態のキミの隣を歩くのはボクとしても恥ずかしい」
「……そんなに?」
「そんなに、だ」
この服が楽なのは事実だが、俺がファッションに疎いのもまた事実だ。そもそも、思い返してみればたしかに、今日は何となく周囲の視線を強く感じていた気もする。
「でも、服とかわかんないし」
「それなら、明日にでもボクと買いに行こう。もちろん、その時は制服で」
「お、おう」
詰め寄るように圧を掛けてくる碧に圧され、自然と首を縦に振る。
「じゃあ、俺は風呂に入るからこれで」
「そうだね。とりあえずボクの言いたい事はおおよそ終わった」
ちょうど良く給湯器のアラームが鳴り、俺は逃げるように風呂場に向かう。
と、その前に。
「ちなみに、寝間着としてなら今の格好でも?」
「……まぁ、仕方ない。それは許可しよう」
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