1-5 同居人

「やぁ、遅かったね」

 自室の扉を開いての第一声は、それだった。

「碧? なんで?」

 出迎えの言葉を吐いたのは、黒い部屋着で身を包んだ銀髪の少女だった。

「なぜだと思う? 人に問うよりも先に考えてみるといい」

「わかんない」

「せめてもう少し努力を見せてくれないかな!?」

 碧は声を張り上げるが、相手が答えを知っているのに考える必要は感じない。

「M.A.R予備生は、男女二人一組で同室での共同生活が原則付けられている。今朝も説明されただろう、もう忘れたのかい?」

 ここM.A.Rでは、予備生は二人一組の寮生活が原則だ。特に義務付けられているというわけではなく、金さえ払えばM.Aの住宅街などに住居を借りて住む事も可能だが、無償の寮を利用する際には人数の都合が付く限り男女一組で一部屋に割り当てられる。M.A.Rがその目的をあえて公言する事はないが、それでも不純異性交友の推進が目的である事は暗黙の了解だ。

 ただでさえ、かつての化学兵器『X』により世界人口は急激に減少した。繁殖促進は世界的な潮流であり、希少性の高い変異者を産む事ができればその価値は更に大きい。

 変異体質の遺伝にはまだ法則性は見つかっておらず、変異者同士の子供が必ずしも変異者となるわけではない。また逆に一般人の子供として変異者が産まれる事もあるが、それでも統計的には変異者同士の間の子は変異者として産まれる確率は他よりも高いらしい。

「ああ、覚えてるよ。それで、俺の同室は南周子とかいう名前だ」

「……なんだ、そこまで確認していたのか。スケベ」

 端末で部屋割りを確認していただけだというのに、碧の視線は冷たい。

「はいはい、スケベするのに邪魔だから帰ってくれ」

「残念だけど、南とやらはいないよ。キミのスケべさに恐れをなして逃げてしまった」

「つまり、お前が何か吹き込んだって事か?」

「人聞きの悪い事を言わないでくれ。なぜボクがキミの悪評を吹聴する必要がある?」

「それ以外に、南周子が逃げる理由もお前がここにいる理由も思いつかないからな」

 部屋割りは能力検査の結果を参照して決められるため、昨日は仮に分けられた部屋で名も知らぬ少女とほぼ無言の一夜を過ごしていた。よって、名前こそ確認はしたものの、俺はまだ南周子とやらの顔を見た事もないし、おそらく逆もまた然りだろう。性格、外見のどちらから言っても、今のところ俺が避けられる要素はないはずだ。

「前者については、ボクも理由は知らない。ただ、後者の理由は明確だろう」

「なら、もったいぶらずに話そう。俺はちょっと疲れた。考えるのがめんどくさい」

 したり顔の碧の横を抜けて、手前にあるベッドに倒れ込む。

 碧の会話は一々回りくどい。個人的にはそれも嫌いではないが、一日歩き回って疲れた頭にはあまり優しくなかった。

「だらしないな、キミは……なら、そちらがキミのベッド、こっちがボクのだ」

「ん? それって……」

「やっと気付いたかい? そう、南なんとかの代わりのキミの同居人、それがボクだ」

 碧の差し出して見せた電子端末の画面、更新された部屋割りには、たしかにここの部屋番号207の欄に俺と碧の名が並んでいた。

「あっ、そう」

「あっ、そう……って、もう少し何かリアクションは無いのかい?」

「驚くのと喜ぶの、もしくは嫌がるのと怯えるのだったらどれがいい?」

「……生憎、注文通りの芝居で悦に入るほど、ボクは単純な頭はしていないよ」

 俺の提案を蹴ると、碧は自分のベッドに浅く腰を下ろした。

「まぁ……でも、良かったよ」

「世辞ならいらないよ。ボクとキミは昨日会ったばかりだ、まだ同室を喜ぶにも嘆くにも互いの理解が足りていないだろう」

 素直な感想は、碧の斜に構えた思考に跳ね除けられる。

「なら、碧は嬉しくも嫌でもないのか?」

「……いや、どちらかと言えば良かった、かな。少なくとも、キミとは傍にいても気まずさのようなものは感じない。こうして普通に言葉を交わす事もできるしね」

「だから、俺も似たようなもんだよ」

「なるほど……そう言われれば、そうかもしれないね」

 異性だろうが同性だろうが、共同生活を営む以前の問題でそもそも相性の悪い相手と二人きりというのは精神的にキツい。だが、今のところ、碧との間にはそのような負担は感じなかった。とりあえずはそれだけで十分恵まれているというべきだろう。

 しばらくベッドに寝転がったまま過ごすも、このまま眠るわけにはいかないと身体を起こす。そこで、ふと視界に入った碧が気になった。

「なんだい、人の身体をジロジロと見て」

 目を細めて俺を睨むも、碧は特に身体を隠す素振りは見せない。

「ああ、いや、見てたのは服だ」

「服? もしかして、ボクのファッションに興味があるのかい?」

「ない」

「……ない。なら、何のつもりでボクの服を?」

 心なしか落ち込んだ様子の碧だが、そもそも俺はファッション自体に興味がない。

「服、貸してくれない? 買ってくるの忘れた」

 施設探索に一日を費やす中で、俺は部屋着の入手を完全に忘れていた。昨日もそうしたように制服のまま寝てもいいのだが、借りられるならその方がいい。

「買ってくるのを忘れたって……そもそも、衣服を持ち込んでいないのかい?」

「それも忘れた」

「いや、いや……」

 碧は呆れたように首を振るも、事実なのだから仕方がない。

「普通に考えて、男は女の服を借りるものではないよ」

「でも碧の今着てる服って、結構大きめじゃん。そのくらいのサイズなら、どうにか入らない事もないかと思って」

「……一応言っておくけれど、貸すのは新品だよ?」

 どこか複雑そうな表情を浮かべながらも、碧は戸棚を開けるとその中から白一色のふわふわとした部屋着を投げて寄越した。

「下着は?」

「……本気で言っているなら、キミとの付き合い方を考え直させてもらおうかな」

 そこで初めて碧が俺に侮蔑の目を向けるも、それはまったくの見当違いだ。

「俺はお前のためを思って言ってるのに」

「なら、今すぐボクへの認識を改めてくれ。ボクにはキミに自分の下着を穿かせて楽しむような趣味はない」

 碧の妙な発想には、おそらく触れない方がいいだろう。

「違う違う、俺が下着を付けずに直でこれを着た方がいいのか、それともお前の下着を付けた方がいいのか、って話だ。お前にとってどっちがマシか、俺にはわからないからな」

「……ああ、なるほど、残念ながら理解してしまったようだ」

 頭を抱えながらも、碧は俺の意図を把握したらしい。

「なら、ボクの答えはこうだ。下着は貸さない、その服はキミにくれてやる」

「流石に俺も、女物の服とかずっと着てるつもりはないんだけど」

「いらないなら後で捨てるなり何なりすればいいだろう。とにかく、話は終わりだ」

 一方的に話を打ち切ると、碧はベッドの上でそっぽを向いて転がった。

「それと、これから風呂使うけどいい?」

「許可を取らなくても、好きに使ってくれ。もっとも、まだ沸かしていないけどね」

「なら、シャワーでいいか」

 昼間に大浴場を使ったとはいえ、その後にも大分歩き回ったためせめて身体を流すくらいはしておきたい。部屋に備え付けの風呂も、大浴場ほどではないが十分に設備は整っている。


 風呂上がりに着た碧の服は、やはりというべきか微妙にサイズが小さく喰い込んだ。

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