1-3 呼び止め

 国際変異者管理機関『M.A』、及びその付属養成機関『M.A.R』日本支部の本拠地は一言で表現すれば小さな街だ。

 もっとも、小さいとは言っても、構成人数辺りの面積、及び施設の充実度で言えば不足どころか過剰と言っていい。飲食店から商業施設、娯楽施設に各種専門店まで、一通りの施設が敷地内には揃っており、相当特殊な、あるいは希少なものや体験でない限りは敷地内で入手、及び実行する事ができる。

 また、M.A.R所属予備生に限っては、飲食店、及び娯楽施設のそれぞれ特定の半数ほどが無償利用可能となっており、その他にも日用品や娯楽品も一定基準までは無償で入手する事ができる。予備生の収入源が限られている事から必要な措置なのだろうが、受ける側としてはありがたい限りだ。

「はぁ~~」

 という事で、俺は昼過ぎからの巨大浴場を堪能した後、ふやけた身体で施設散策を続けていた。意外に他の利用者がいなかった事もあり、つい浸かりすぎた感は否めない。

 湯に浸かったら、次は食事だ。電子端末を開き、施設内地図を呼び出す。飲食店の位置を検索、更に無償利用可能な店を絞り込む。予想通り、M.A.Rの養成施設周辺、俗に学生都市と呼ばれる区域の店の多くには、無償利用可能を示す青い羽が記されていた。

 予備生の無償利用を認めていない店とは、つまりは高級店だ。そして、それらは当然ながらM.A.R予備生の生活圏には少なく、M.A職員居住区に多く分布している。

 そこで問題は、俺の現在位置が若干ながら学生都市区から離れているという事だ。予備生には個別の部屋に備え付けの浴場がある代わりに、学生都市区には大浴場施設というものが存在していない。戻ればいいと言えばそうなのだが、まだこの辺りの散策が終わっていないため、できれば近辺で食事を済ませたい。

「……ん?」

 電子端末で近場の飲食店を探していると、背後で誰かが立ち止まった。

「あ……っ」

 振り返ると、そこには手を肩の上ほどの位置に上げた姿で固まった少女がいた。背丈は同年代の女性の平均ほどである碧よりも頭一つほど小さいが、見覚えのある制服を身に着けている事からM.A.Rの予備生だろう。

「いえーい」

「い、いえーい?」

 少女の手の平を軽く叩いて合言葉を口にすると、あちらも合言葉を返してくる。

「……で、何?」

「何、って、えっ? いや、あなたこそ、今の何ですか? いえーいって」

「えっ? だって、そっちが手を上げるから」

「えっ?」

「えっ?」

 俺が首を傾げると、少女も同じ方向に首を傾げる。

「ま……まぁ、無かった事にしましょう。仕切り直しです」

 このままでは埒が明かないと判断したのか、少女は疑問をまるごと脇に追いやった。

「――宵月さん、ですよね?」

「何が?」

「あなたの名前が、です」

「そうなの?」

「私が聞いてるんです!」

 一瞬だけ苛立ったように叫ぶも、すぐに少女は冷静さを取り戻した。

「とぼけようとしても無駄ですよ、宵月さん」

「――おい」

「おっと、失礼。ですが、これで――」

「人に名前を尋ねる時は、自分から名乗るものらしいけど」

「……っ、はい、はい、わかりました! 私は白波七香(しらなみななか)、多分あなたと同じM.A.R十二期生です!」

 何か声を張り上げながら、小柄な少女はご丁寧に自己紹介をしてくれる。

「それで、あなたは――」

「白波七香……ああ、十二期生初回能力検査では4位、総合点629点の白波か」

「よ、良く覚えていますね……余計な事は。いえ、それより――」

「それより、金持ってる?」

 俺はどうせなら立ち話より座って話をしたいタイプだ。その上、腹が減っていた。

「は?」

「俺、腹減ってる。俺、金ない。七香、金ある?」

「……わかりました。奢ります、奢ればいいんでしょう?」

「話が早くて助かるよ、じゃあ行こうか」

 とりあえず、これで食事の都合は付けた。後の事は、その後で考えるとしよう。

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