1-2 幻想

 国際変異者管理機関、通称『M.A』。その養成機関である『M.A.R』日本支部第十二期生の初期日程は、初日に起こった襲撃事件にもほとんど遅れを生じさせる事なく、ほぼ予定通りに終了していた。

 そもそも、国内でも最大規模の武力組織であるM.A日本支部、そこに隣接するM.A.Rへの襲撃なんてものは考えるまでもなく愚策だ。事が起きた数十分後には4人小隊が5つ、総勢20人の侵入者の無力化が終了していたというのだから、事後確認の時間を含めてもまるで誤差でしかない。実際、避難場所として指定されていた第二運動場に俺と碧が辿り着いた時には、すでに予定時間に僅かに遅れて能力検査が開始されようとしていたくらいだ。

 職員が語ったところでは、そもそも今回の襲撃はあらかじめ予想されていたらしい。

 その要因として大きなものの一つとして、M.Aの支部が巨大飛行艇の上に造られた浮遊都市である事があげられる。

 国際変異者管理期間M.Aの支部は、普段は地上から切り離された上空に位置する事により敵対者の襲撃を防ぐと共に、世界各地の武力としての変異者が必要な地域への絶え間ない移動を続けている。この日本支部も、あくまで言語や習慣の問題から日本出身の変異者をまとめて管理しているだけで、今現在位置しているのはおそらく日本の上空ですらないはずだ。

 そんな中で入学日は、M.Aの地上への停留が一般に公表される数少ない日の一つだ。変異者の管理で強権を振るうM.Aには敵も多いため、入学日にはM.Aへの襲撃が隔年単位の頻度で発生しているという。

 もっとも、今回の例を見るまでもなくそのほとんどは失敗に終わる。戦闘訓練を受ける前の変異者であるM.A.R新規生を拐うという発想は悪くないが、とにかく相手が悪い。

 かつて、某国の化学兵器『X』が人類の3分の2を消失させた『悪夢の十二日』と呼ばれる事件以降、あらゆる近代兵器の研究、制作が禁止された現代において、M.Aは世界で最大の武力を保有する国際機関だ。その理由は、国際変異者管理期間の名の示す通り、管理する変異者の数に尽きる。

 そもそも、変異者とは多くの場合、身体の細胞の一部が『X』の影響により俗に言う変異細胞へと変化した者達、更にその中でも変異細胞が肉体機能にプラスに働いている者の事を指す、と言われている。

 変異による肉体が受ける恩恵は大きく分けて二つ。一つは身体能力の向上、そしてもう一つは身体の一部、あるいは全部に変形、硬化、その他諸々のおおよそヒトの身体にあり得ない挙動を行わせる『肉体変異』が可能になる事だ。

 重火器の存在が基本的に抹消されたこの世界において、特に肉体変異を可能とする変異者と一般の人間の間の戦力差は大きい。変異者の硬化した皮膚は刃をも弾き、同時にその硬度の物体は変形しながら相手を襲う凶器ともなる。

 全身を変異させられる者は極稀で、多くは四肢の内の一つを変異させるのが精々と、決して変異者も無敵ではないが、それでもM.Aの管理下にある変異者は、最低評価の七等でも訓練された兵士10人分以上の戦力とされている。それだけでも、M.A及びM.A.Rに人間20人程度の部隊で襲撃を試みる事の愚かさがわかるだろう。

 強いて言うのであれば、集団から外れていた新規生である俺と碧が四人小隊に遭遇したあの瞬間は、襲撃者にとって最善に近い機会だった。あるいは、今回の襲撃を指示した者は、あのようなわずかな幸運のために20人の部隊を派遣したのかもしれない。

 だが、あの場面ですら襲撃者達は失敗した。怯えて動けなくなったならまだしも、最低限の戦闘意識さえあれば、M.A.R入隊基準を満たすような変異者にとって人間4人程度は相手にならない。俺が特別強かったから勝てた、というわけですらないのだ。

 そこのところを、碧は勘違いしている。

「結局のところ、キミは93番で確定、か」

 M.A.R入隊に際して個々に配られた電子端末を手元で弄りながら、碧が呟く。

「なんだ、人の検査結果まで見れるのか」

 施設内での通信から外部との連絡、検索機能に仮想通貨の使用、自室の鍵の開閉まで一通りの機能を兼ね備えた電子端末の中で、碧の端末の画面が映していたのは第一回能力検査の結果だった。

 M.A.Rという機関の存在目的は、M.Aに所属する変異者を養成する事。より端的に言えば、変異者の身体を持った兵士の育成だ。よって、能力検査により測定されるのは主にその者の戦闘力。一応、知能検査や学力検査、性格測定なども行われはしたが、おそらく配点としては低いか、それ以下で参考にされる程度だろう。

「197人中93位……へぇ、こんなもんか」

 碧に画面を隠されたので、自分の端末を操作して十二期生能力順位表まで辿り着く。個人の検査結果はそれぞれの項目の配点まで細かに記されていたが、全体の表では総合点と順位が記されているのみで、自分以外の能力詳細を見る事はできない。

「キミの事だから、ちょうど真ん中を狙うのかと思っていたよ」

「人の結果なんて終わるまで知りようがないだろ、俺を何だと思ってるんだか」

「能ある鷹、だろう?」

 右の口角を微かに上げて、碧は俺を見上げた。

「それに、今のキミの口振りだとまるで、人の結果がわかっていれば順位の操作は可能だというようだった」

「わかった、細かい事を言ったのは謝る。だから無理に俺を持ち上げないでくれ」

「ボクが上げるまでもなく、キミは一人で飛べるだろう。何しろ、鷹なのだから」

 碧の口角が更に上がる。上手い事を言ったと悦に浸っていやがるのだろうが、別に上手くも何ともない。

「俺の事より、お前の方こそどうなんだ?」

 同期生全員の名前と順位、総合点が記された検査結果表には、当然ながら碧の名前も記載されている。197人分の名前が並んだ文字列から特定の名前を探すのは手間だが、こと枯木碧については話が別だった。

「能力総合1位、枯木碧。俺が鷹なら、お前はジェット機にでもなるのか?」

 このスカした少女が同期生の中で最高位の成績を収めた事は、順位表を見るまでもなくM.A.Rの成績上位者発表により知っていた。もっとも、改めて表を眺めてみると碧の能力総合点は767点と、俺の372点に二倍以上の差を付ける想像以上の好成績だ。

 変異者能力検査は上限のない青天井式の点数査定だが、M.A機関の最高評価、一等の階位を持つ変異者の平均点が700点とされている。実際には経験や技術、戦術理解などの観点からまだ実戦では及ばないにしても、碧はすでに数値的な能力だけなら最高位の変異者兵と同等以上の力を持っているという事になる。

 ちなみに、俺の372点は六等変異者の平均点が近い。もっとも、四から七等までの能力検査結果点数は概ね450~300の間に収まる程度のもので、数値上は三等から上ほどの目に見える違いはない団子状態のため、あまり参考にはならないが。

「いいや、ボクも鷹でありたいかな。キミとの違いは、爪を隠しているかどうかだけだ」

「だから買い被るな、っていうのに」

 数値で明確に示されているというのに、いまだに碧は俺に幻想を抱き続けている。

「それともあれなの、皮肉? 俺があの時ちょっと格好つけたのを馬鹿にしてる?」

 正直なところ、能力検査最上位者として碧の名前を聞いた時には、俺自身も自分の行動を恨んだ。よりにもよって同期で最高の力の持ち主を前に、襲撃者4人を倒した程度で騎士気取りで手を差し伸べた自分が、事情を知った今では恥ずかしくて仕方ない。

「まさか。いくらボクでも恩人に対してそこまでひねくれてはいないよ」

「俺はひねくれてるからな。お前にそのつもりがなくても、そう聞こえるわけだよ」

 少し棘を含めた言葉を言い捨てると、碧は納得いかない表情ながら口を閉ざした。

「それより、この後って暇?」

「この後? ああ、特に予定は入っていないよ」

「なら、適当にその辺りでも回らないか?」

 まだ俺達はこの場所に来て二日目、散策がてら施設を回っておきたい。そして、どうせ回るなら道連れがいた方がいいだろう。

「それは、デートの誘いかい?」

「デート? いや、単なる散歩だけど」

「……生憎だけど、遠慮しておくよ。ちょうど今、この本を返却する用事ができた」

「あぁ、それなら俺も――って、早っ」

 本屋まで付き添おうと引き留めようとするも、碧は異常なほどの早足で教室から姿を消してしまっていた。

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