第三幕 社会人✕社会人
□断れない時点で甘えている
意図的なのか、偶然なのかは不明だが、たまたま英玲那の就職先は史世の就業先の近くで、仕事が遅くなってもこうして都内で飲み会を開くことが可能になってしまった。
「慣れました? 仕事」
(英玲那先生なら平気だろうな、どんなとこでも)
「満員電車は慣れないですよー。初めてですこんなの。今日も遅延してたじゃないですか。骨折れるかと思いました」
「遅延するときついですよね」
だから史世は早めの電車に乗る。言うと時間を合わせてきそうなので、アドバイスはしない。
「あやせんせは変わりました? 後輩とかきました?」
「後輩……きたきた。新卒の女の子」
名前は思い出せない。姫子のサポートの元、指導係をしているが思い出せない。
「そうだ、最近先輩とご飯行って」
横暴なところは大人っぽくなくとも、オシャレなお店に連れて行ってくれて、かつ金額も気にせずに奢ってくれた上司は格好よく見えた。
「どうせまた訳有物件なんじゃないですか」
「……いいんです。付き合うとかそうゆうのじゃないから」
「付き合えないのに浮かれるのって辛くないですか?」
「辛いですけど……。周りにいないし、仕方ないんです」
(今なら出会い系をやる気持ち分かる)
「これから仕事をしていれば、年上なのに後輩とか、年下なのに先輩とかあると思うけど、それでも相変わらず年上にこだわります?」
「年下とか後輩に甘えるってできないでしょ?」
長女気質のせいかもしれない。
「だから恋愛は年上がいいな」
終電の時間は確認してあるので、英玲那を連れて地元に帰ろうとしたものの、
「いいじゃないですか。大人なんですから」
とあの手この手で駅に行くことを阻止され、途方に暮れている。
「明日休みなんでしょ。もう少し遊んでいきましょうよ」
「遊ぶって、もう終電ないから帰れないでしょ!」
「真面目ー。始発で帰ればいいじゃないですか。大丈夫です、東京は真夜中でもこんなに明るいし、それにわたしが一緒にいますから」
「嫌です、私は徹夜なんてできる若さないから」
布団が恋しい。
今すぐシャワーを浴びて横になりたい。安全な場所で。
「それなら――」
英玲那が史世の冷え切った手を取る。
「社会人なんだから財力に頼ればいいんです」
「まだお給料もらってないくせに」
行列のできているタクシー乗り場を過ぎていく。
「財力は?」
「ひけらかしたいならとってもいい部屋にしてくださいね」
駅から少し離れても、むしろ駅よりも明るい街。
「外は冷えますし、徹夜ができないなら休みましょう」
「え、ちょ、ここホテルですけど」
「まさか初めてですか?」
「初めてじゃ、ないですけど!?」
(ラブホテルである意味なくない? ビジネスホテルでよくない?)
「駅前のビジネスホテルはすぐ埋まりますから。こうゆうところは穴場なんです。……もちろん襲ったりなんてしませんよ」
「分かってますよ……」
「襲ってほしいんならご希望にお応えしますが?」
「チェンジ!!」
□女同士のノリにどこまで気を使えばいいのか分からない
結論から言うと何もなかった。
「うわー見てくださいよ、このAV。こうゆうお姉さんが好みですか?」
「消して!!」
「何で? 別に年下とならそうゆう気分にもならないでしょう?」
「じゃあエロいビデオが苦手なので消してください」
「仕方ないですね」
恋愛対象が女性であるため、他人とアダルト動画など観る機会が今までなかった。相手関係なくどうしたらいいのか分からなくて、心臓に悪い。
「私はソファで寝るから、英玲那先生はベッドを、」
「もうわたしは先生じゃないので英玲那って呼んでください。先輩」
自宅の布団よりもふかふかのソファに横になろうとすると、後輩が突っかかってきた。
「あやせんせって呼んできてたのに、何で今さら?」
「わたしも史世さんって呼びますよ」
「えー……」
「あやせんせでもいいんですけど! わたしのことは英玲那にしてください」
「今さら呼び名変えるの違和感ありません?」
「たった数年の関係性より、これからの方が長いですから」
「うーん……。分かりました」
「物分りいい時もあるんですね」
「後輩らしくないなぁ……。いいでしょ、もう眠いんです」
「子供ですか。寝るならベッドにしてください。身体冷やします」
「や、そっちが冷やすことになるでしょ」
「わたしもベッド使いますから」
「ダメでしょ」
「何もしないなら女同士だから無問題です」
「いや……だから……」
「…………。……わたしはあやせんせのことなんて気になりませんけどね」
ソファの前でもたついている史世の襟元を掴み、ベッドの方へ引っ張る。
「痛い。何で怒ってるんですか?」
「怒ってないです。わたしも横になりたいだけですから」
「分かりましたよ。もう」
諦めた史世は大人しくベッドに潜り込んだが、英玲那の方に身体を向けなかった。
「二十四にもなって純情なんですね」
「人が近くにいると緊張するコミュ障なんです! おやすみ!」
「おやすみのキスいります?」
「いらない!」
何もなかった。
背中に感じた温もりも柔らかさも何もなかった。
■特別なのは自分だけではない
「眠れてなかったんですか?」
すでに陽が登る東京の街を、休日には溶け込まない仕事着で歩く。
「……枕が変わると眠れないんです」
「つまりあやせんせの自宅なら、わたしがいても眠れるってことですよね?」
「来ることないし」
「たとえば、の話ですよ」
「眠れ、る」
(頑固……)
「そんなことより私だったからいいけどさ、駄目ですよ。飲んで、ホテル行くなんて駄目」
(同性なら年下なら大丈夫って油断してるのはどっちなんだか……)
帰りたさが先行しているのか、史世が少し先を歩く。……いや、いつも史世は前を歩いていたかもしれない。
「大丈夫? 荷物重い?」
基本置いていくことはしないで、お節介な母親のように心配をしてくる。
「気が重いんです」
「……あぁ、土日終わったら仕事ですもんね」
「わたしって社会人に見えます?」
背が低くて、童顔で、まだ一年目のひよっこ。
「見えますよー。スーツだからかな?」
史世の格好はオフィスカジュアルで、襟もなければジャケットも羽織っていない。化粧だって、眉描いてアイライナー引いたくらいなのに学生には見えない。
「でも若く見えるから制服着てもいけますよ」
彼女なりの褒め言葉なのだろうが、コンプレックスを突かれても嬉しくない。
「英玲那先生も社会人になっちゃったし、次はかやちゃんかー……。あっという間に生徒たちも高校生、大学生ってなって同じ社会で働くんですねー」
「英玲那って呼んでくれるって昨夜言ってたじゃないですか」
駅のエスカレーターを下りながら、子供のように抗議をする。
「英玲那先生でもよくないです?」
「よくないです」
「ぁ、電車すぐくるみたいですよ。土曜のこの時間なら空いてるかなー」
「誤魔化した」
否定はせず、乾いた笑いを向けられる。
「あやせんせ」
「何? ガラガラだね、あっち座りましょう」
土曜の朝、田舎へ帰る下り電車には、同じように終電を逃したであろう人たちがちらほらといるだけだった。
三人がけの席に、ゆったりと二人で座る。間に鞄を置かれてしまったので、距離が遠い。
「あやせんせ、わたしのことどう思います?」
「どうって……顔はいいけど生意気な後輩?」
「毎度思うんですけど、一年しか違わないですよね」
「学生の時って一年でかいから仕方ないでしょ」
「もうわたしも学生じゃないですからね」
「はいはい」
「聞いてないし! 間違っても職場のお姫様にご執心になったりしないでくださいよ」
「顔いいんだもの」
「わたしだって!」
「うん、可愛いんだからさ、今度こそ出会い系じゃなくて職場とかそうゆうところで相手見つけなさい」
(何でいつも蚊帳の外なの)
「あーもう嫌」
「え、何がです?」
英玲那はスマホを開き、カレンダーを史世に突きつける。
「何。近い」
「次空いている日はいつですか」
「何しに行くんですか」
「服買いましょう。わたしもスーツじゃないの欲しいし。あとあやせんせのセンスも心配なので」
「服あるからいいです」
「どうせ同じ服の使い回しですよね? 行きますよ、先輩なら後輩にアドバイスお願いします」
「えぇ……」
「で! いつ空いてますか!?」
「地元でいいなら……来週土曜日かな」
「決まりですね。来週土曜日に、十四時北口の銅像でいいですよね? 夕飯も食べるから夜も空けといてくださいね」
「夜も?」
「夜も!」
「一日遊ぶなんて元気ですね」
「半日もないですけど。体力の衰え大丈夫ですか?」
□欲しいものに形はない、のかもしれない
後輩相手だから遅刻しなければいいかなと思いつつも、英玲那は早めに来ることが多いので史世も早く出てきた。待ち合わせ場所として有名な銅像の周りには、小学生から初老の人まで色んな年齢層の人間がいる。
「早いですね」
先に気がついたのは到着していた英玲那の方で、腕時計を確認しつつ史世の顔を怪訝そうに見る。
「いると思ったので」
「……他に何か言うこととかないですか?」
「? 髪切りました?」
「切ってません!! 最低。女の子と会ったなら、服を褒めてくださいよ!」
言われてみれば、ワンピースを着て寒そうだった。
「でも私のことは褒めてくれてなくない?」
「あやせんせの服装は褒めるところがないんです。部屋着じゃないですよね、それ」
「ジーパンで寝ないですよ」
「……とりあえずあやせんせが飽きる前に、あやせんせの服を見に行きましょう」
「後で電器屋さん寄ってもいいですか」
「ゲームなら却下します」
「ゲームは最近してないんですよ」
(たくさん溜まっちゃったなぁ)
「土日は何してるんですか?」
「溜めた家事を片付けて……寝てます」
「社畜にはなりたくないですね」
あまり買い物に時間をかけても決められないタイプなので、英玲那が選んでくれた中で着るものをいくつか見繕って買うことにした。
三年も付き合いがあれば諦めがつくのか、スカートや「寒くない?」と文句を言われるようなものは選んでこない。
「あやせんせは生気薄いから、少し暖かい色身につけた方がいいですね」
「え、ピンク?」
「パステルカラーなんで派手になりませんよ。ほら」
「世の中の女の子は服好きですよねー」
「あやせんせが興味なさ過ぎなだけです」
(でもこれだってゲーム一本買えちゃうじゃん。ただの布なのになぁ……文明の機器と同じ……)
「これ可愛い」
史世の服を選びながら、自分のお気に入りが見つかったらしい。英玲那は大体どんな服でも着こなすから、「どうですか?」と聞かれても「いいと思います」としか返せない。いくらそれが本音でも、
「真面目に答えて下さい」
と怒られる。細かく答えてほしいのかもしれないが、似合うのであればそれでいいと思ってしまう。
「だって何着ても似合うから」
「そんなんだから彼女できないんですよ」
(痛いところをすぐ言う。だから彼氏できなんだぞ)
「あ、でもこれとか英玲那先……英玲那に合いそう」
「いきなりアクセサリーとか、相手によっては引かれるので注意してください」
文句を言いつつ、初めて呼び捨てにされたのが嬉しいの声のトーンが上がる。
「買ってくれたりします?」
「誕生日まだ先でしょ」
「就職祝いって形で」
「……ずるいなぁ。先週のご飯代、私持ちだった気がするんですけどね……」
「いいじゃないですか。誕生日プレゼントはいらないんで、今、これを買ってください」
「本当にこれでいいんですか?」
「似合うと思ったんですよね?」
「そう……ですけど」
そうして思わぬ時期の出費をする。英玲那であれば、もっとセンスのいいものを自分で選べるはずなのに、しっかり先輩を立ててくれるのだなと感心した。
「ありがとうございます。今つけてもいいですか」
「いいですけど」
「じゃあお手洗い行ってきますね」
「荷物持ってましょうか?」
「大丈夫です、ありがとうございます」
(いい子なんだけどなぁ……)
□史世と英玲那
「予約してるなんて聞いてなかったですよ」
「言ってませんからね。あやせんせの気分でもう帰るとか言われたらどうしようとか思ってました」
「なおのこと言ってくれればよかったのに」
高級料理店でもなく普通の洋食屋だが、個室の方がのんびりできるということで予約までしてくれていたそうだ。
「帰るって言われたら一人で食べるつもりでしたので」
「今度からはちゃんと言ってくださいよ」
「今度もご飯行ってくれます?」
「……暇だったら」
ハンバーグが美味しいらしく、ビーフシチューも悩んだがオーソドックスにいくことにした。
「結局似合ってます?」
何が、と言う前に慌てて言葉を飲み込む。
「似合ってます、大丈夫」
「トイレから出てきた時に言ってほしかったですね」
「ごめんて……」
「あやせんせ、もう少しわたしに興味・関心持ってください」
「ゼロだったら出かけに行きませんよ」
「そうじゃなくて……」
パスタが中途半端に巻かれたフォークから手を離し、初めから持っていた袋を差し出してくる。
「どうぞ。プレゼントです」
「なんの?」
「開ければ分かります」
「食べてから開けるのでは……」
「今、開けてください」
(見たことあるようなブランドだけど、なんのお店か分からない……。化粧品?)
化粧品にしては少し小さめ。ファンデーションでも一回りは大きい気がする。
「さっきさ、「いきなりアクセサリーとか、相手によっては引かれるので注意してください」って言ってませんでした?」
「あやせんせは大丈夫だと思いましたから」
「だからって……指輪……」
その上、薬指のサイズに合う。
(何で?)
「実家にいる時、佳弥乃に頼んでおいたんですよ」
「知らない!」
「寝ている間に測られたんじゃないですか?」
「それに高かったでしょ、どうしたのこれ」
「アルバイト代ですよ。ゲームばかり買ってたら分からないでしょうけど、学生でもちゃんとできるんですから」
英玲那は少しだけ目を閉じてから、
「好きです。付き合ってください」
年下がきちんとしたのにも関わらず、史世の方が動転して言葉を失う。
「……まだ、年下は嫌だって言いますか?」
「嫌だよ、こんな年下らしくない年下なんて」
空になった箱だけ袋に戻す。
「年下らしくないならいいですよね?」
「そうゆうことにしておきましょう」
(そんな嬉しそうな顔されたら、ねぇ)
「似合ってますよ、あやせんせ」
「ありがとう。……今度英玲那のも買いに行きましょ」
(サイズ分からないし)
「よろしくお願いしますね」
相手が喜ぶなら、これはこれでいいのかもしれない。そう思える人だった。
年下に興味がない同性愛者の先輩とモテる異性愛者の後輩 汐 ユウ @u_ushio
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