第016話 これが夫婦です
会社を出た宗徳と寿子は、やはり近場のスーパーマーケットが一番だと、駅に向かった。
「まだ三時前なんですねぇ」
「そうだな。混む前で良かった」
通常の退社時間より早いので、電車も混雑していないようだ。
駅のホームもゆったりとしていて歩きやすい。
「今日は荷物が多いからな。迷惑にならなくて助かる」
「ええ。それにしても……やっぱり軽く感じますねぇ」
「おう……忘れてきてねぇよな?」
「間違いなく同じ量です。夜には洗濯もできましたし、全く変わっていないはずなんですが……」
二人が首を傾げている理由は、各々が一つずつ持っている大きな旅行鞄の重さだ。
泊まりを許可されて数日前に持ってきた用意は服とタオルぐらいだが、何日かかるかを予想出来なかったこともあり、それなりの量があった。しかし、明らかに今感じている重さがその時と違うのだ。気のせいというわけでもない。
「筋力がついたという事なんでしょうか?」
「二日か三日で? そりゃぁ、完全に反則だな……」
世の人が筋肉をつけるのに何日、どれだけの努力を必要とするだろう。それをたった数日で、筋肉痛になる事もなく得られてしまったら、それは間違いなく反則だ。
そして、寿子はそれ以外にも変化に気付いていた。
「気持ち、肌の張りも良いんですよね……ですが、私達も努力はしましたよね。あれだけのものを作ったんですから、相当の運動量はあったかと」
「確かに」
バテるまで丸一日、労働時間も気にせず働いたのは言うまでもない。作業量も運動量も普通で考えたらあり得ないものだ。
そう考えると、筋力が急激についてしまったのも納得できる事なのかもしれない。
「……普通だな」
「ええ。当然の結果です」
宗徳と寿子は、非現実的な事でも、無理やり納得する術を覚えた。
ホームで電車を待っている間も、二人はその感覚が嬉しくて、荷物を下に下ろす気にならなかった。
忙しいビジネスマン達が使う駅だ。この時間は閑散としている。そこで宗徳はふと思い出す。
「今日は木曜だったか。曜日を思い出したのは久し振りだぜ」
週末に近い木曜日。ビジネス街ならば大半は日曜休み。今週中にやりきらなくてはならない仕事の算段を付けている頃だ。早帰りする者もそうそういない。
会社で働いていた頃は、曜日を気にしていた。月曜になると憂鬱で、土曜になると少しホッとした。
だが、定年して一日中何をすればいいのかと考えながら過ごしていると、曜日など分からなくなる。
曜日で決まっているドラマも興味がなく、ニュースのキャスターが何曜日と言うのを聞いてそうかと思うくらいだ。
宗徳は、寿子も同じだと思っていた。だが、違ったらしい。
「そうだったんですか?」
「おう。お前は違うのか?」
「曜日によってスーパーの特売時間が違いますもん。ちゃんと認識してましたよ?」
「マジか……特売時間?」
そんなものを気にして買い物していたのかと、宗徳は驚く。
「そうです。知らないと損をしますよ? 木曜日は三時からですから、帰り道に寄れて丁度良さそうですね。荷物持ってくださいな」
「いいぞ」
「力がつくと良いですね。お米も買いましょうか」
「お、おう? ちょっ、ちょい待て。さすがにこの荷物に更に米はキツ……っ」
「いけますよね。人間やればできるんですから」
「……おう……」
確かにやればできる事を久し振りに実感した。しかし、無理なものもあるという現実も、これまでの人生で知っているのだ。この場合はかなりの無茶だ。だが、寿子に言われるとその無茶や無理もなんとかしたいと思ってしまう。
これは見栄かもしれない。宗徳は常に寿子に頼られる存在でありたいと思う。男の見栄は悪いものではない。そうありたいと願い、努力する。
ただ何と無く一日、一日を生きる現代人の多くは知らない。歯を食いしばって、自分を取り巻く重圧に耐えながら、己の限界を知るのだ。しかし、見栄はその限界を時に超えさせる。限界も知らない者達には絶対に到達できない領域。それを知る事が出来る者は今、現代にどれだけいるだろう。
自分は今、この歳になって己の限界を試されている。
ホームを行き過ぎる覇気のない若者達に目を向けながら、そんな事を考えていた宗徳を見て、寿子がクスクスと笑い出す。
「ふふっ、冗談ですよ。お米はまたにしましょう」
「えっ、いや、でも……」
宗徳はもう覚悟を決めかけていた為、動揺した。
「いやですねぇ。いくらなんでも無茶ですもん。でも、買う時はちゃんとついてきてくださいね」
「……わかった。けど、いけそうなら今日なっ」
「まぁ。ふふふっ、あなたのそういう所、好きですよ」
「うっ、そ、そっか」
「はい」
嬉しそうに隣で笑う寿子に、宗徳は目をそらしながら到着した電車に乗り込む。
そうして、自宅近くの最寄の駅で降りると、大きな荷物を提げながら、二人で目的のスーパーに入った。
「何が食べたいですか?」
「何でもっ……じゃない。え~っと……そうだっ、久し振りに餃子が食べたいな。手作りのっ」
ここで何でも良いなんて答えてはいけない。宗徳としては寿子が作るものなら『何でも良い』という意味で口にするのだが、それが正しく伝わる事はない。
誤解を生む可能性があるのなら、それを口にするべきではないと、この何十年かで理解した。
「餃子……良いですね」
「けど、手作りだと手間か……」
「構いませんよ。ただ、たまには手伝ってくださいね」
「いいぞっ」
そんな会話が聞こえていた周りの客達が、揃って笑みを浮かべていたのだが、それには宗徳も寿子も気付かなかった。
遠巻きに二人を見守る客達。しかし、不意にその中の一人が近付いてきていた。
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読んでくださりありがとうございます◎
夫婦仲はとっても良好です。
では次話どうぞ!
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