Eighth:

 記憶が混濁する。その時はちゃんとおぼえていたはずなのに、思い返すとあちこち真っ白になっている。気がついたら別のところにいたということもある。


 いまも――


「おはようございます、真緒」 


 なぜか約束はしっかり覚えていて、ちゃんとくじにここまでした。それから……なにかがあって、いま私は備えつけのクローゼットのとってと腕が手じょうで繋がれている。


「気分はどうですか?」


 毎日会っているかおなのに、身体が大袈裟に反応する。仲良くやってきたはずなのに、なんでこんなにも恐いと思ってしまうんだろうか。


「聞こえてます?」

「……聞こえてる」


 視線を少し下にずらすと、すぐさま頭をつかまれて軌道修正された。


「話をする時は目を合わせましょうね。あなたの目はどっちも見えてるでしょ?」


 焦げ茶色の綺麗な瞳に、おびえた表情の私がうつっている。


「翔ほどじゃないけど、真緒の怯えた姿も可愛いわね」


 乱暴につかんだ時とはうって変わって、優しく頭をなでてきた。


「大丈夫。別に恐いことなんてしないから」


 長い指が震える唇を軽くおさえる。


「真緒がちゃんといい子になればいいだけよ」




「まおちゃん」


 どうやら秀は長期休暇をとっていなかったらしく、二日目からは通常通り出勤していた。


 なにかの暗示でもかけられたのか、叫ぶこともできず、むりやり逃げ出そうとする気もおきない。


 今日も翔ちゃんはコーヒーをいれてくれて、両の手が使えない私に飲ませるところまでやってくれる。


「翔ちゃん、それ」


 いつものジャージではなく、私がプレゼントしたシャツを着てくれていた。


「にあう?」


 可愛さを目にやきつける前に、今までかくれていた腕が一部露出され、どう見ても転んだりしてついた痣ではないものが視界を占拠してきた。


「秀にやられたの?」


 どう見ても虐待だ。


「ちがう」

「だって秀以外、この家に出入りするの私くらいじゃん」

「やられたんじゃないもん」


 見せつけるように服をめくって痛々しいおなかの痣もだす。


「これだけわたしはおねえちゃんにあいされてるの」

「違うよ。そんなの愛情じゃない」

「ちがわない」


 一瞬彼女の右目とも目があったように感じた。

「おねえちゃんのことひていするのやだ」


 コーヒーを下げられる。なぜかその瞬間凄まじい喪失感と不安、焦りが出てくる。


「……まさかなにか入れてた?」

「おいしかったでしょー? これはおねえちゃんよりじょうずなんだよ」


 いままでになくしゃべる少女に恐怖を感じる。これは常識が通じないタイプの人間だ。姉妹そろって狂ってる。


「ぁ……そろそろおねえちゃんかえってくる」


 かんぜんに目の前の人間から興味をなくして、少女は玄関の方へ走っていった。


 徹夜明けの頭くらいぼやけている頭で必死にかんがえる。私はどうなるんだろう。死ぬのか、いや殺しはしないだろう。でももしかしたら死んだ方がマシかもしれない。


「ただいま」


 聞き慣れた同僚の声はスイッチのようだ。


「真緒、いい子にしてた、よね?」




「真緒、平日はなにするんだっけ?」

「くじまでに会社いって、仕事おわったらかえる」

「そう。よく覚えました」


 視界が少しよどむ。だれかの声が遠い。でも答えないと、答えないといけない。言われたことをやらないと怒られる。


「この子のことはもう忘れるのよ」


 顔がよく見えない。腕や足がところどころ怪我してる子。


「だれ?」


 しっている気はするけどおもい出したくない。


「あなたの知らない子よ。私のことだけ覚えていれば困らないわ」

「うん……」

「いい子ね。ちゃんと毎日できたらコーヒーあげるからね」

「ほんとう?」

「本当」


 私って、そんなにコーヒーすきだったっけ。


 まぁ、いっか。


 たぶんこの人のいうとおりにしていればいいんだ。

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