Fifth:
「ねぇ野球見ていい?」
「どうぞ」
最初は難色を示されていたが、ここ最近はあっさりと家に入れてくれるようになった。
「まおちゃん、コーヒー」
そして、翔ちゃんが私のことを呼んでくれるようになった上に毎度コーヒーまで淹れてくれる。姉とは違って適温で。
「ありがとう。翔ちゃんも野球観ようよ」
「わたし、わかんない……」
「ルールなら説明するよ!」
「やめて。野球バカが移ったら困る」
父親が青春時代を野球に振り切っていたこともあり、私は小さい頃から野球に関わってきた。それこそ小学生時代は男子に混じって野球チームに所属していたし、中学から大学まではソフトボール部だった。今でも野球観戦はよく行く。
「翔ちゃんおいで」
軽く手を引こうとすると勢いよく逃げられた。
たとえ名前を呼んでくれても、パーソナルエリアの縮小をしてくれない。慣れたものの切ない。仕方なく一人マグカップに口をつけ、先発は内田かーとがっかり。
「翔ちゃんのコーヒーって美味しいけど、どこの?」
癖になる味。コーヒー自体も味が濃いし、苦味もはっきりしている。
「私がスーパーで買ってきた真緒用のインスタントコーヒー」
「つまりこの美味しさは翔ちゃんの愛情……」
さらに何かを言うと秀に殺されそうだったので黙ることにした。
翔ちゃんも秀の隣りに行ってしまったことだし、他人の家だけど野球中継に精神を集中させる。しかし初っ端から点取られてるし、先発の調子は悪いし面白い試合ではない。
「もう自分はプレイしないの?」
「んー、社会人女性でソフトボールって結構ハードル高いんだよねぇ。場所も道具も必要だし、なにより人が集まらないと」
「ポジションどこだったの?」
「どこだと思う?」
「ピッチャー」
「はずれ。ショートなんだよ」
「らしくないわね」
「どうゆうこと?」
「目立ちたがりだからそんな地味なところじゃないと思ってたの」
「地味じゃないよー。ショートかっこいいんだから! というか秀はルール分かるの?」
女性の中は、ピッチャーとキャッチャー以外分からない。何人でやるのかも分からないって人は多い。
「細かいルールは分からないけど、試合を観る分には困らないわ」
「ほんと! じゃあ今度観戦行こうよ!」
「それは遠慮しとくわ」
「翔ちゃんも連れて行けばいいじゃん」
「嫌」
何度も翔ちゃんを連れて外に行こうと誘っているけど許してくれない。翔ちゃん自体も外に出たがらないし、なかなか拗らせた引きこもりだ。
「何でいつも翔ちゃんはジャージなの? 可愛い服でも買いに行こうよ」
引きこもりってみんなジャージかスウェットのイメージ。
「まずそのジャージサイズ合ってないしさ」
「私のお下がりだもの」
秀は背高いもんなー。百六十半ばくらいなんじゃないだろうか。妹とは十センチくらい違う。
「それに翔にも服あるから。買わなくて平気」
「あるなら見たい! どんなのどんなの!?」
「この前の買ってきたのはなんだっけ?」
「わんぴーす。しろい」
「ワンピース! 似合う似合う!」
「脳内で勝手にうちの妹を、着せ替え人形にしないでもらってもいい?」
「じゃあ勝手にしないから見せてよー」
「服だけなら持ってくるけど」
「そこまでしたら着てよ!」
やっぱり頑なにオーケーしてくれない。秀のルールは難しくてよく分からない。おしゃれした翔ちゃんがいくら可愛くたって、姉から奪い取るつもりなんてないのに。
諦めきれなかったわけでもないが、断りづらいきっかけでもあれば変わるんじゃないかと思って、
「お土産。使ってくれると嬉しいな」
と、プレゼントとしても大して重たくならないカジュアルシャツを後日買ってきた。七分袖でこれからの季節にもちょうどいい。色味は薄いピンク。翔ちゃんはパステルカラーが似合うと思う。
「意外とセンスいいのね」
また姉が先にプレゼントを開ける。
「意外ってなに」
「真緒の私服っていつもTシャツにジーパンでしょ? あまり頓着しないのかなって思っていたから」
広げられたシャツはすぐに畳まれてしまう。
「ありがとう、真緒。お礼はなにがいい?」
「お礼なんていらないから着て見せてよ」
そのために一日かけて探したんだから。
「今はだめ」
「なんで、」
コーヒーの香りがほのかに残っている口を、秀の長い人差し指が抑えた。別に強く抑えつけられているわけではないから、開けようと思えばいくらでも開けられるのに本能が許さない。
「だめなものはだめ。真緒も物分りのいい子でしょ?」
「……うん」
「そうよね。じゃあこれは今度ね。さて、コーヒーも冷めちゃったみたいだし……。翔、新しいの淹れて」
もはや私専用となったマグカップを翔ちゃんが持って行く。私のことも姉のことも見ることなく。
「ねぇ、せっかくだから翔にあの服着てもらって出かけましょ。真緒はまだ夏季休暇の申請してないでしょう」
一ヶ月くらい先の日付を告げられ、指がやっと離れる。
「行くでしょう?」
「そりゃ、もちろん」
「準備は私がしておくから。あとこのことは誰にも言わないこと」
「うん。わかった」
「よくできました」
子供みたいに頭を撫でられる。あぁ、でも、そんな悪い気はしない。
――週明けは休みの申請……。休み……申請……。
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