Second:

「あれ、どうしたの?」


 出勤するなり左手に包帯を巻いた同期に出くわした。


「昨日ぼーっとしてたらテーブルの角にぶつけてしまって」


 擦るようにして右手を被せる。


「目立つから嫌だと言ったのだけれど、翔が巻くって聞かなくて」

「いい妹じゃんか!」

「私の妹だもの」

「自分まで持ち上げよった……」


 左手にの痛みなんて気にするレベルでもないのか、秀はいつも通りすごいスピードでタイピングをしている。彼女のこの小刻みな音は隣にいると眠くなるんだ。あくびが三回くらい連続で出ると、隣からボールペンでつつかれるシステムだ。


「ねぇ、また秀の家、遊びに行ってもいい?」

「……」


 秒速いくつだろうってスピードで動いていた両の手が止まり、パソコンが立ち上がるのをのんびりと待っている私に視線を寄越してきた。


「まぁいいけど。今日はやめてね」

「まだ明日も仕事だもんねー」


 「そうゆうわけじゃないけど……」と呟いてから、またタイピングの音が室内に響き始めた。


「でも明日で今週も終わり! じゃあ明日行っていい? ちゃんと翔ちゃんの好きなもの買っていくよ」

「そうゆうのいいから……。できるなら来週の方が嬉しいんだけれど、だめ?」

「どっちでも大丈夫! じゃあ来週の金曜日ね! 今週末に色々買っておく」

「いらないってば」


 なぜそんなにもこだわるのかと言われると分からないけど、私はただ翔ちゃんと仲良くなりたかった。線が細くて弱そうだけど可愛いところとか庇護欲を刺激されるし、もっと話していろんなことを知りたいと思った。


 でも世の中には知らなくてもいいことなんてたくさんあるし、私がそれを知るのはまだちょっと先の話だった。




「ただいま」


 明かりの点いていない自宅に帰る。いつからそこにいたのかは分からないが、冷たい床の上に正座して私の帰りを待つ妹が「おかえりなさい」と迎えてくれる。


「いい子にしてた?」


 柔らかい髪を撫でると嬉しそうに笑いながら小さく頷く。


 そのまま手を頬に、首を伝って背中に触れると、

「っ!」

 小さく翔の身体が跳ねた。


「まだ痛いの?」


 細くて意外と丈夫な首が、勢いよく横に振られた。


「まぁでもしょうがないよね。翔のせいで面倒くさいことになったんだから」


 背中を押すようにしてリビングへと進んで行く。


「この前のお姉さん覚えてるでしょう」

「うん」

「また来るんだって」


 電気を点けた。心底申し訳ないって顔が少し低い位置にある。


「毎日ちゃんと片付けておいてね」

「うん。わかった」


 いつもちゃんと毎日片付けて掃除をしているくせに。


「先にお風呂に入りましょ。準備して」


 そう言えば、


「今度来客がある時はちゃんと下着つけといてね。いくらないものはないと言っても女の子なんだから」


 他の人になんて見せたくない。彼女を知るのは私だけで十分。


「髪濡らすからね」


 未だにシャンプーが苦手なのも、


「まだ痕残ってるね」


 身体に残る痕も、


「食べても太らないね」


 この抱き心地も、全部私だけが知っていればいい。


「おねえちゃん」

「なーに」

「だいすき」


 見えていないはずの右目に私の姿が映る。


「私も好きよ、翔」

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