3 従属者1

 SIDE バーンズ


「くっそおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 バーンズは絶叫とともに拳を壁に叩きつけた。

 手の皮が破れ、血が噴き出す。


 痛みは、感じなかった。


 感じるのは怒りと悔しさだけだった。


「ちくしょう、イリーナ……!」


 バーンズは唇をかみしめてうめいた。


 彼はラルヴァ教団に仕える上位の聖騎士である。

 先ほどの狼藉で、おそらく解任されるだろう。

 それも覚悟の上で乗りこんだのだが──。


 まさかイリーナに、ああも冷たく切り捨てられるとは思わなかった。

 もしかしたら、最高司祭に無理やり迫られ、彼女は自らの意志に反して体を許しているのではないか、と淡い希望を持っていたのだが……。


 その希望は、脆くも打ち砕かれた。


 先ほど追い出された大神殿を振り返る。


 寝所にいたイリーナと最高司祭の様子を見れば、二人が情を交わしていたのは明らかだ。

 一体、何度抱かれたのだろうか。

 考えただけで、頭をかきむしりたくなる。

 自分だけがこの手に抱くことのできる、この世でもっとも美しく清らかな聖女が──。


「あんな男と……!」


 最高司祭の勝ち誇ったような顔を思い出し、悔しさが募る。


 ──いや、それよりも何よりも。


「イリーナが、あんな女だったなんて」


 胸の奥にどす黒い想いが湧き出し、渦巻いた。


「俺を愛していると言ったのは嘘だったのか……? 利用価値がなくなったら、あっさり捨てるのか……? くそ、あの淫乱女め……!」


 裏切られた絶望と、最高司祭への嫉妬心で吐きそうだ。

 絶対に許せない。


「一週間後に思い知らせてやるぞ、イリーナ……!」


 その日、大神殿で式典が、王都の大通りでパレードが行われる。


 先ほど、現在の最高司祭が退任することが発表されたのだ。

 新たな最高司祭に就任するのは、先の戦いで魔王討伐を成し遂げた勇者パーティの一員──聖女イリーナである。

 その就任を祝う式典とパレードだ。


 汚らわしい聖女には、罰を下さねばならない。


(待ってろよ、イリーナ……! 報いを受けさせてやる)


 バーンズは暗い情念を燃やしていた。


    ※


 俺が勇者パーティでどんな目に遭ったのかを聞かせてほしい、とシアが言い出した。


「もしも、話すことで少しでもクロム様のお気持ちが軽くなるのでしたら……」


 こちらをまっすぐ見つめる青い瞳には、俺を思いやるような温かな光があった。


 人の温かさなんて、最後に感じたのはいつだろうか。

 ユーノやイリーナたちに裏切られ、パーティから追放されて──俺の中の何かが壊れてしまった。


 俺の心の中に、明確な壁のようなものが生まれた気がした。

 他者をはねのけ、拒絶する壁。


 それをシアがわずかながらも乗り越えてくるのは、『復讐』という共通項があったからかもしれない。

 親近感とも連帯感ともつかない気持ちを、彼女に抱いたからかもしれない。


「──聞いていて気持ちがいい話じゃないぞ」

「クロム様さえ、よければ」


 シアが微笑む。


 優しく、微笑む。


「どうぞ、お話ください」


 ──俺はシアに、勇者パーティの所業を話した。


 勇者を強化する呪術の生け贄にされたこと。

 魔力をすべて奪われ、パーティから追放されたこと。

 恋人だと思っていた女と、親友だと信じていた男に裏切られたこと。

 そして、復讐の心が俺の中に宿った【闇】を育み、【固定ダメージ】というスキルとして発現したこと──。


「勇者様たちが、クロム様にそんなひどいことを……!?」


 具体的な内容を初めて知り、さすがにシアも驚いたようだ。

 天下の英雄である勇者ユーノたちの力が、俺を生け贄に捧げ、犠牲にしたうえで生み出されたものだ、なんてな。


「そんな……」


 シアの顔は蒼白だった。

 実際に暴虐ぶりを見てきたライオットはともかく、『勇者ユーノ』はやはり彼女にとって──そして世界中の人々にとって、絶対的な英雄だろうから。


 その英雄の陰の姿を知って、ショックなんだろう。


「ただし、証拠はない」


 俺はシアを見つめる。

 動揺したように泳ぐ、その瞳をまっすぐに。


「強いて言うなら、俺の衰弱具合か。元は黒髪だった俺が今は白髪になってしまったことや、手足が弱ってすっかり細ってしまったことだが──そんな程度じゃ証拠とは言えないな」


 小さく鼻を鳴らす俺。


「まあ、信じるも信じないもお前の自由だ」

「クロム様……」

「俺の元から去りたければ、いつでも去れ。咎めはしない。もともと、これは俺一人の復讐だ。お前が付き合う義理はない」


 沈黙が流れる。


 別にシアが去るなら構わない。


 もともと、この復讐の旅は一人で行くつもりだった。

 彼女がいることこそ予定外なのだ。

 だから──、


「あたしはあなたに救われました。その恩は身命を賭して返します」


 シアは俺の足元に跪いた。


 主君に忠誠を誓う騎士さながらに。

 俺の手の甲に口づけし、告げる。


「あなたを信じます、クロム様」


 俺を信じる、か。


 信頼──二年前に置き去りにしてきた感情だ。


 俺が信頼を寄せていた恋人や仲間たちは、全員俺を裏切った。

 以来、俺は人を信じることができなくなった。


 もちろん、この世のすべての人間が信頼に値しないわけじゃないだろう。

 世界には悪人なんて腐るほどいるが、善人だっている。

 信頼に値する人だって、いるんだろう。

 探せば、きっと存在するんだろう。


 だけど、それはただの理屈だ。


 人を信じることが、苦痛になった。


 人を信じることが、あの日の痛みを呼び覚ます。

 あの日の絶望を、思い起こさせる。


 だから今、自分でも驚くほどに心が揺らいでいた。

 二年ぶりに、他人から『信じる』という言葉をもらって。


 シアの唇が俺の手の甲に触れている。


 そこから、ばちっ、という感じで小さな火花が散った。


「っ……!?」


 俺とシアは同時に驚きの息を飲む。


『【闇】を得て以来、あなたが他人に心を許すのは初めてですね』


 俺の中から【闇】の声が響く。


 心を……許す?

 俺が、シアに?


『ふふ、少なくとも仲間としては認め始めているのではありませんか?』

「こいつが勝手について来ているだけだ」


 俺は【闇】に言い放った。


「クロム様、この声は……?」


 シアが戸惑ったような声をもらす。

 どうやら、通常は俺にしか聞こえないはずの【闇】の声が、彼女にも聞こえているらしい。


「俺の中に宿る『力』の声だ。シンプルに【闇】と呼んでいる」

「【闇】……ですか」

『クロム、【固定ダメージ】は強力無比なスキルですが、あなた自身は呪いによって身体能力が衰えています。剣の心得があるシアならば、それを補えるでしょう。ただし──』


【闇】が告げる。


『あなたが相手にしようとしているのは、世界最強のパーティメンバーたち。彼女は若く、剣の才能もあるようですが、今のままでは力不足なのは目に見えています』

「……随分な言われようね」


 シアが唇を引き結んだ。

 とはいえ、反論はしない。


 事実だ、と彼女も思っているのだろう。


『ですから──そのために力を分け与えたほうがよいでしょう』

「力を……分け与える?」

『【闇】の力の中から、いくつか付与可能なものがあります。それを彼女に与えるのです』

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