2 目覚める【闇】

 俺はずっと昔からイリーナが好きだった。

 王宮付きの魔法使いを目指したのも、彼女にふさわしい男になりたかったからだ。


 幸い、俺は魔法の才能に秀でていたらしく、また師匠になってくれた賢者ヴァレリーの指導もあって、メキメキ上達していった。

 やがて、シャーディ王国史上最年少の十七歳で王宮付き魔法使いになった。


 で、魔王出現と同時に現れた七勇者の一人ユーノに、仲間として指名された。

 そのとき一緒に指名されたのがイリーナやヴァレリーである。


 さらに旅の途中で戦士ライオットや女剣士ファラ、騎士マルゴらと出会い──以来、俺たちは五年の間、このメンバーで戦ってきた。

 苦しみも喜びも、すべて分かち合ってきた。


 家族同然の──いや、孤児だった俺にとって、勇者パーティは家族そのものになっていた。


「でも、そう思っていたのは、俺だけだったわけか……」


 俺はゆっくりと目を覚ます。


「あいつらにとって俺は……いつでも切り捨てられる道具だったんだ」


 そして、生け贄にされた。

 勇者を強くするための犠牲にされ、パーティを追放された。


 捨てられたんだ──。

 その実感が、強烈な喪失感となって俺を打ちのめした。


 暗い気持ちで周囲を見回す。

 さっきの森の中だ。


 体が重い。

 指一本、動かせない。


 よく見ると、体に何か黒い鎖のようなものがまとわりついていた。


「なんだ、これ……?」


 鎖は、どうやら物質ではなく魔力エネルギーの一種のようだ。




 ──禁呪法『闇の鎖』──




 ヴァレリー師匠の言葉が脳裏をよぎる。

 全身の激痛はすでに消えていた。


 ただ──自分の中から何かが消えてしまったような感覚がある。


「魔力が……ない……!?」


 愕然とつぶやいた。


 そう、俺の中から魔法の力がいっさい失せている。

 師匠にかけられた禁呪法の影響だろうか。


「なんだよ、これ……っ」


 突然の事態に混乱し、頭をかきむしる俺。


 俺にとって魔法とは、十年以上も修業して手に入れた努力の結晶だった。

 この世で一番大切な女──イリーナのために必死で身に着けた力だった。


 それが、あっけなく失われてしまった。


 ふと見ると、両腕が枯れ木のようにやせ細っていた。

 指に絡みついた銀色の髪は、俺の頭皮から抜け落ちたものらしい。

 ほんの数時間前までは黒髪だったというのに──。


 わおおん……!


 ふいに鳴き声が聞こえた。


「っ……!」


 力が入らない体を無理やり起こす。


 ソードウルフの大群が近づいてきた。

 その名の通り剣のような牙をむき、俺を見据える魔物たち。

 魔法さえ使えれば、攻撃呪文の一発で倒せるような相手だ。


「『ファイアボール』!」


 俺は呪文を唱えたが、やはり発動しない。


「くそ……」


 素手では勝ち目なんてない。

 逃げようとするが、体が異様に重い。


 腕だけじゃなく、足もやせ細っていた。

 よろよろと、自分でも苛立つほど遅くしか動けない。


 あっという間に囲まれてしまった。


「くっ……」


 このまま食い殺されるのか──。

 絶望がこみ上げる。


 おおおおおおおおおおおおおおんっ!


 次の瞬間、ソードウルフたちが四方から飛びかかってきた。


 殺到する牙と爪。

 腕を、脚を切り裂かれ、肩と太ももに食いつかれた。


「が……ああっ……!」


 激痛が走り抜ける。

 噴き出す血が、地面を朱に染めた。


「は、ぐ……ぅ……ぁ……」


 さらに、手首やわき腹にソードウルフたちの牙が突きたてられていく。

 痛みが徐々に麻痺し、体中の感覚が薄れていく。

 意識が遠のいていく。


「う……ぅぅ……っ……」


 これが、俺の最期か。


 信じていた仲間や愛する人に裏切られ、利用され、ぼろくずのように捨てられ、最後には魔物に食われて、人生を終える。


 ああ、俺の一生ってなんだったんだろう。

 どこで間違えたんだろう。


 どこかで違う選択をすれば、あるいは幸せをつかめたんだろうか。


「──こんな場所で」


 体が燃えるように熱くなった。

 唐突に湧き出した思いが、体を内側から燃やしていた。


 死んでたまるか。

 死にたくない。


 あいつらへの怒りや憎しみ、復讐心。

 そして、何よりも──俺自身の、生への渇望。


 俺は、まだ生きたい。

 こんな終わり方は嫌だ。


 絶対に──。




『術者の絶望値及び憎悪値が規定に到達しました』

『儀式の進捗率が70%に到達しました』

『【闇】の力の起動条件を満たしました』

『実行中』

『術者の運命係数を書き換えました』

『術者に【闇】の力が付与されました』

『術者に【従属者】へのスキル分譲能力が付与されました』

『術者にEXスキル【固定ダメージ】が付与されました』

『概要1:現在のダメージ値は1となります』

『概要2:範囲は術者の周囲10メートルです』

『スキルを発動しますか?』




 澄んだ、女性の声だった。

 死ぬ間際の幻聴か?




『スキルを発動しますか?』




 また同じ質問だ。

 幻聴のくせにしつこいな。


「……いや、待てよ」


 スキルか。


 ──なんでもいいから、俺の周りにいるソードウルフたちをぶっ飛ばしてくれないか。


 心の中で呼びかけてみる。

 ほとんど、駄目元だったけれど。




『術者の意思を確認しました』

『実行中』

『これよりEXスキル【固定ダメージ】を展開します』

『概要1:範囲内の敵すべてに対し、3秒ごとに【固定ダメージ】を1与えます』

『概要2:これは永続効果となります』




 次の瞬間、体を覆っていた黒い鎖がはじけ飛んだ。


「くっ……おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ……!」


 体中が焼けるような感覚とともに、俺の周囲に【闇】が広がる。


 おおおおんっ!?


 苦鳴と戸惑いの声が無数に響いた。

 俺の体に牙を突き立てていたソードウルフたちが、びくん、と体をのけぞらせ、後ずさる。

 他の奴らもそろって体を震わせ、苦鳴を上げる。


「これは──」


 ほどなくして、大半のソードウルフはおびえたように逃げていった。

 わずかに残った数匹はなおも闘志を失わず、俺をにらむ。


 それが三十秒から一分ほど続いただろうか。

 ふいに、すべてのソードウルフがその場に倒れ伏した。


「死んでる……!」


 逃げなかった奴らは全滅していた。

 俺の身に何が起きたんだ……!?


『無事に覚醒されましたね、宿主様』


 さっきの声がまた響いた。


「お前は……?」

『あなたの中に宿った【闇】です』


 声が言った。

 どうやら、俺の中から響いてくるみたいだ。


 闇──か。


『儀式によって生まれたのは【光】と【闇】──そのうちの【光】は勇者たちが、そして【闇】はあなたが、それぞれ受け継いだのです』


 その闇が言った。


『今はまだ目覚めたばかり。あなたの中の怒りや憎しみ、あるいは絶望──あらゆる負の感情を育てなさい。それが【闇】を育み、より強大な力をあなたに与えるでしょう』

「【闇】を……育む……?」


 声の言っていることは、俺にはあまり理解できなかった。


 ただ、闇って言葉が差しているものは分かる。


 怒りや憎しみ、そして絶望。

 それならたっぷりと味わった。

 俺を裏切った恋人や仲間たちによって──。


 心の内側に暗い炎が宿るのを感じた。


 決して消えない、負の炎が。


『その調子です。良質の【闇】を抱えているようですね』


 俺の中の【闇】とやらは、どこか嬉しげな調子で告げた。


『今ので力が増したようです。EXスキル【固定ダメージ】のダメージ量が1から2に上がりました』


 つまり、俺の中にある負の感情が増えれば増えるほど、【固定ダメージ】とかいう俺の能力も強くなっていく……のか?


「なら、俺は──」


 唇を噛みしめた。


 奴らへの憎しみを糧に、この力を成長させてやる。



※ ※ ※


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