3 育まれる【闇】

「腕は……まともに動かないか」


 俺はあらためて両腕を見つめた。

 骨と皮だけに近い状態だ。


「これじゃ、魔法使いの杖を持つことさえできないな……」


 と考えたところで、自嘲気味に笑う。


「杖はもう必要ないか。俺には魔力がなくなったんだから」


 何年も、魔法使いの鍛錬をしてきた。

 イリーナを守るために。


 ヴァレリーの元で必死で魔力を鍛え、複雑な詠唱を暗記し、精神のコントロールを学び──超一流とまでは言わないが、それなりの腕にはなったと思う。

 イリーナを守れるだけの力を身につけられたと思う。


 俺の人生で唯一の、努力の結晶。


 だけど、それはもう失われてしまった。

 たぶん、二度と戻ってこないのだろう。


 もっとも──俺が魔法使いを志した理由自体が、すでに失われている。


 イリーナを守る。

 その目的を果たす必要は、もうない。


 考えたところで、脳裏に彼女とユーノの姿が浮かび上がった。


 激痛の中で倒れる俺を見下ろす、二人。

 まるで見せつけるように、熱烈な口づけを交わす二人。


 俺だけが触れることを許された唇を──やすやすと奪い、堪能するユーノ。

 甘く蕩けた顔でそのキスに応え、完全に『女』の顔で彼を見つめるイリーナ。


 恋人と親友の、反吐が出るような裏切り行為。

 ちくしょう──。


『いいですね。濃密で深い憎しみ──今ので、また力が増したようです』


 俺の中で、また声が響いた。

 俺に宿ったという【闇】の声。


『EXスキル【固定ダメージ】のダメージ量が2から3に上がりました』


 一つ上がっただけか。


「……まあいい」


 憎しみなら、これから先いくらでも燃やすだろう。

 一つずつ、積み重ねてやるさ。


 いずれはすべてを殲滅する力を──手に入れてみせる。


「いつか、必ず……」


 俺はよろよろと歩きだした。


 骨と皮だけになった腕に比べれば、足の衰弱は多少マシだ。

 ゆっくりと歩く分には──多少の痛みは走るが──支障はない。


 ただ、速く走るのはとても無理だろう。

 たぶん一生、激しい運動も無理だろう。

 一歩、一歩、俺は弱々しい足取りで歩いていく。


 今はまだ、奴らに復讐を遂げるほどの力はない。


 だけど、俺が進む道に──その先に。

 奴らの苦痛と絶望があると信じて。


 今はただ、俺の中の【闇】を育んでやる──。




 俺は弱った足で山道を進む。

 まずは町に行きたかった。


 異様に腹が減っている。

 考えてみれば、もう一日以上何も食べていない。


「──なんだ」


 不穏な気配を感じ、俺は立ち止まった。


「おっと、ここから先は通行税が必要だ」


 茂みから十数人の男たちが現れる。

 野盗のようだ。


「身ぐるみ全部置いていきな、へへへ」


 いかにもという台詞とともに、男たちが剣を抜く。


 全員がへらへら笑っていた。

 どいつもこいつも、俺を見下すような──舐めきった目をしている。


 枯れ木のようにやせ細り、見るからに虚弱な俺を格好の獲物と認識したんだろう。


 以前の俺なら、攻撃魔法数発でこんな奴らは全員蹴散らすことができた。

 さっきのソードウルフよりは段違いに強いだろうが、問題なく倒せただろう。


 だが、今はその魔力を失っている。

 身体能力もかなり衰えたし、今や無力な一般人だ。


「けど、ロクなもん持ってなさそうだな、こいつ」

「いや、待て」


 最後尾で構えている頭領らしき男が、俺をじろりとみた。


「なかなか高価そうなものを持ってるじゃねーか」


 勇者パーティを追放された際に、所持金なんかは何も持ってこれなかったが、装備品はいくつか残っていた。

 いずれも、見る者が見れば高価な魔道具だと分かる代物だ。


 魔力を失った俺には、もはや無用の長物。

 ただし売るところに売れば、かなりの金になる。


「そいつを奪って、後で町に繰り出すぞ。酒も女も当分困らねぇ!」

「そいつはいいぜ!」


 野盗たちは歓声を上げて向かってきた。


 ──ふざけるな。


 胸の奥で強烈な怒りが湧き上がった。


 俺の目的は復讐だ。

 ユーノやイリーナの裏切りは許せない。

 仲間たちの裏切りは許せない。


 それを断罪するまで、俺は生きる。

 俺は、戦う。


「それを、お前たちごときに──ぐっ!?」

「へっ、なぶり殺しにしてやるよ!」


 奴らの一人が殴りつけてきて、俺は大きく吹き飛ばされた。


 全身の骨が軋むような感覚。

 もしかしたら、どこか折れたかもしれない。


 体がやせ細っただけじゃなく、骨も──もしかしたら内臓なんかも、弱っているのかもしれない。


「おいおい、ワンパンでフラフラかよ?」

「弱すぎだろ、こいつ! ははははは!」


 奴らの嘲笑が響いた。


 なんて虚弱なんだ、今の俺は。

 近接戦闘なら、たぶん子どもにも負けるだろう。


「なんだ……!? 今、妙な感覚が」

「なんか、体がいてえよ……」

「こいつ、まさか呪術を使うのか!?」


 野盗たちが俺をにらんだ。


 俺のスキルで、三秒ごとに【固定ダメージ】を3ずつ与えている。

 だから、少しずつヤツらにはダメージが蓄積していってるんだろう。


 だからと言って、一撃必殺とはいかない。


 時間だ。

 とにかく時間を稼いで、ダメージが致命量まで蓄積するのを待つんだ──。


「──いや、違うな」


 俺は自分自身に言い聞かせる。

 時間を稼ぐ?

 それまで逃げ回る?

 そうじゃないだろう。


「俺が手に入れようとしているのは──そんな力じゃない」

「何をぶつぶつ言ってやがる!」


 野盗たちがふたたび襲いかかってきた。


「俺が手に入れなければならないのは、もっと圧倒的な力──」


 脳裏に、ユーノとイリーナの姿が浮かんだ。

 二人が裸で抱き合っている姿を幻視する。

 俺と誓ったはずの永遠の愛をあっさり裏切り、ユーノに肌を許したイリーナ。

 俺と誓ったはずの固い友情をあっさり踏みにじり、イリーナを奪ったユーノ。


 脳裏に、ヴァレリーの姿が浮かんだ。

 魔法の師匠としてずっと尊敬してきた人だ。

 だが、俺を道具のように使い捨てた。

 呪術の生け贄として。


 それはライオットやファラ、マルゴも同じだ。


 ──仲間だと思っていたのに。

 ──友だと思っていたのに。


「ふざ……けるなぁぁぁぁっ……!」


 怒りの炎は業火となり、俺の胸を灼く。


『良質の怒りと憎しみですね。憎悪値が急速に上がっています』


【闇】の声がした。


『EXスキル【固定ダメージ】のダメージ量が3から4に上がりました』

『さらにダメージ量が4から5に上がりました。さらに──』

「どこまでだって上げてやるさ」


 俺は野盗たちを見据える。


「どこまでだって、憎んでやる──」

「が……はぁっ……」


 とうとう、眼前の一人が血を吐き出して倒れた。


「えっ……!?」

「お、おい……ぐあっ!?」


 さらに一人、また一人。

 体力値HPが低い奴から順に致命量に達し、倒れていく。


「な、なんだ……なんなんだ、お前……!」


 最後に残った頭領らしき男が後ずさった。


「お前たちは生け贄だ。俺の【闇】を燃え上がらせるための、な」


 俺は口の端を吊り上げて笑った。

 嬉しかった。


「感謝するぞ。褒美に──」


 すべての怒りが、憎しみが、俺の力の糧になる。

 そのきっかけを与えてくれたことが。


「死ね」

「が、ぐ……ぎゃ……ぁっ……」


 頭領は全身から血を吹き出し、絶命した。

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