第八話 入道雲に反射して 〈ペリドット〉

 九回の裏。


 アニメでしか見てこなかった場面だと思っていた。県大会独特の練習試合とはわけが違うこの緊張感。スタンドを埋め尽くすのは応援に来た学校の皆と野球部の保護者、地域の観客もいるかもしれない。呼吸が浅くなっているのに気が付いて、俺は深く息を吸い込んだ。炎天下で焼けたグラウンドの匂いが、体に満ちていく。

 大丈夫、ここで一点入れれれば俺たちの逆転勝利だ。そう耳にタコができるぐらい言い聞かせている。


 俺の打順はこの回の五番目。

 うだるような炎天の中、延長戦を戦うほどの力は俺にもきっと他のメンバーにも残されていない。

 逆転の一点が欲しい。ホームランとか望んじゃいないんだ。

 ただ一点、だが、その一点が何より遠く感じる。


 アウトは二つ。後はなく、先に出塁している二塁ランナーはうちの部の俊足自慢だ。アイツは最近、彼女ができたらしい。


「あっ!!」


 カキーン。心地よい金属バットの快音が球場に木霊する。

 湧き上がるスタンドとベンチ、打者もランナーもセーフになり、ランナー一・三塁。次の俺の打撃にすべてがかかる。

 ネクストバッターサークルで俺はうるさい鼓動を必死に宥めていた。

 この緊張感が非常に嫌いだった。県大会でも練習試合でも、プレッシャーに押しつぶされそうになって、監督からの怒号で吹き飛ばされそうになる。


 そんな時は君に勇気をもらうんだ。


「大丈夫! 私が付いてるんだもの、君は負けないよ!」

 君の元気な声を思い出す。思い出して深呼吸すると、少しだけ跳ねる心臓が落ち着いた。鉱石化してしまった足では、もう上手く歩くことさえままならないのに。それでも君は笑っている。重い楽器を持って、吹奏楽部の君はスタンドににいてくれる。それが凄く心強かった。

 全身に広がった石が夕暮れを通して、図書室の隅に乱反射しているのを見て思わず声をかけたあの日。あの日から、僕は君に勇気をもらい続けている。

「この石ねー、ペリドットって言うんだって。緑色でキラキラしてて好きなんだー」

「……辛くないか?」

 とある日の放課後。久々のオフで誰もいない図書館は、休むのに持って来いだった。同じクラスという接点しかなかった君と、ちょっと話すようになったのはその日からだった。

「んー、時々痛むし、リハビリはつまらないし、日差し強いとギラギラしすぎて目立つし、そんなんばっかりだけど」

「けど?」

「こうして君に話しかけてもらえるなら、悪くはないかな」




 今、俺の体に満ちるのは君のくれた勇気だけ。

 ちらりとスタンドを見ると、黄緑色の輝きが見えたような気がした。

 名前が呼ばれ、素振り用のバットを置いてネクストバッターサークルに後にする。審判と相手に一礼し、俺は左のバッターボックスに立った。

 耳の奥まで心臓が跳ねる音がする。息をゆっくり吐き、顎を引き、投球動作に入るピッチャーを見据える。

 初球は見送った。内角高めのストレート。判定はストライク。

 ベンチから何か言われているような気もするが、今の俺にそれを言語として処理するだけの余裕はない。目の前の相手とボールにだけ集中する。

 相手ピッチャーも玉のような汗を浮かべている。アンダーシャツの袖で額を拭い、帽子をかぶりなおしている。同じ高校生とは思えない重圧感だ。怖い、いつもの俺なら完全に気圧されていたかもしれない。

 再びゆったりとした投球動作、しなやかに振られる腕から放たれるボールの勢いはまだ死んでいない。

(でも、今日は負けられない!)

 指先から放たれた白球。キャッチャーのミットに向かって力強く軌跡を描く。


 そのコースはど真ん中。


(!)


 俺が考えるよりも早く、何度も繰り返し練習して染みついた動きで、滑らかに滑り出したバット。加速し、トップスピードの所で白球とぶつかった。刹那の衝撃、押し負けないようにグリップを強く握りしめる。

 爆音の応援と演奏に負けないほどの快音が、球場に木霊した。

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