第三話 潮騒の抱擁 〈アクアマリン&コーラル〉

 初夏。清々しい暑さとさわやかな潮風が吹き抜ける海岸線。誰もいないこの海岸を歩くのが好きで、真っ白な砂浜をさわさわと素足で歩いていた。海岸線の端にある防波堤までたどり着くと、足の裏に伝わる感触がザリザリとしたコンクリートに変わる。この感触も嫌いではない。

 防波堤の向こう、外海に向けて並べられたテトラポット。その少し手前で僕は立ち止まった。ちょうど平らになった先端に白いパーカーの人物が腰かけていた。空の青と海の青、そして純白のパーカーがあまりにも美しくてCDのジャケットのようだったせいかもしれない。

「ねぇ、何見てんの」

 鋭い嫌悪感をまとった声で僕は我に返った。その声の主は一枚の絵画のような風景の中にいた白いパーカーさんだった。

「さっきから何? ストーカー? それとも野次馬? どっちにしろ迷惑。やめて、帰って」

 どうやら声の感じから白パーカーさんは女性で、今は虫の居所が随分と悪かったらしい。

「ぼ、僕はストーカーでもないし、その…… 野次馬? でもないです。ただ、ここは僕のお気に入りの場所で、いつもの日課の散歩をしに来ただけですよ」

 彼女の背後に近寄る。何か言葉が口から零れる寸前、ザっと潮風が僕たちに吹き付けた。目を閉じ、風が通り過ぎるのを待つ。ゆっくりと目を開けると、彼女の右の側頭部あたりの髪の間から、鹿の角のような濃い桃色の石が伸びているのが見えた。

「見た? 気持ち悪いでしょ? わかったら一人に……」

「僕とおなじですね」

 はぁ? そう言って彼女は振り返って僕を見、そして息を呑んだ。顔が強張り、怯えているようにも見える。僕の右腕はもう曲げられないほど石化が進んでいたから、かもしれない。

 彼女の髪の間から見える桃色の石は、振り返った彼女の顔の右のこめかみ付近にまで迫っていた。

「僕もなんだ。アクアマリンでわりと気に入ってるんだ」

 僕は少し離れた防波堤の上、間を開けて僕は彼女の隣に座った。

「気に入ってる? お気楽ね、私は嫌いよ。こんな醜い体なんて」

 見ればパーカーは半袖で、抱えるようにして持っていた腕が斑に石化しているのが見えた。

「僕はここでぼーっとしてるから、イライラしているなら話してくれていいよ」

 せっかくこうして話しかけられたんだからさ、と僕は言った。最初は訝しげな目をしていたが、僕が本当に何もしてこないのがわかったのか、俯きがちに口を開いた。

「私、水泳部だったの。大会でもすごくいい成績出したりしてたの……」

 彼女はポツポツと語りだした。それからしばらく、彼女の話を聞いていた。水泳部の彼女は症状が完治するまで、学校のプールや市民プールに入ることが出来ないそうだ。

「プールに入れなくなるより、この体を見られることの方が嫌。この珊瑚…… コーラルは今、外国で価値が高くなってるんだって。そのせいか、家に変な人たちが押しかけるようになって……」

 それで、家にいるのが嫌になって。そこで彼女は口を閉ざした。鉱石症患者の人身売買は決して珍しいことではない。天然の鉱石よりも純度も高く、量も大量に入手できるため価値の高い鉱石症患者は誘拐されることもある。

 アクアマリンは安価に入手できるためか、僕はそんな経験をしたことは無かった。

「そのコーラルの石言葉を知ってるかい?」

「石…… 言葉?」

「コーラルの石言葉は専門家、大発展、そして才能の開花」

 きっと君の力になるよ。彼女は不思議そうな顔をしていた。

 数年後。鉱石症の感染経路が判明し、彼女が鉱石症に罹患のままオリンピックでメダルを取るのはもう少し先の話。

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