第二話 月夜の晩に逢いましょう 〈アメジスト〉
私はおしゃれなバーよりも居酒屋が良かったし、ワインよりもビールが好きだし、生ハムにチーズよりも焼き鳥が好きな人間だった。サバサバして強くて仕事をバリバリこなしパンツスーツの似合う、悪く言えば男勝りのガサツ女。それが私だった。
「今日は飲みつぶれてやる……」
そう言って私は普段下ろしているセミロングの髪をポニーテールに結ぶ。耳元からうなじ、そして肩にかけて紫色の石が現れた。飲み屋街の赤ちょうちんがそれを怪しく照らす中、少し速足で人の波を縫うように歩いた。
行きつけの居酒屋の暖簾をくぐる。カウンターと少しの小上がり席、二階は団体用の座敷がある小さな居酒屋。大学時代から通い詰めている店で、店長も常連さんも顔なじみの居心地の良い店だ。もちろん、コレのことも知っている。
「いらっしゃいませ!」と、元気な声が厨房やカウンターから飛び交う。カウンターに立っていた店長に軽く会釈をしてカウンターの一番奥に座った。
「生一つ、唐揚げとねぎま二本お願いします」
お水を持ってきてくれたアルバイトのお姉さんに手短に注文をし、就活以来、久々にスマホにダウンロードした求人サイトをボンヤリと眺めていた。後ろを行き来するお客の足音と店内に流れる有線が、心地よいホワイトノイズとなって耳に届く。
「アメジストですね」
その声にびくりと肩が跳ねた。振り返ると短髪の三十代ぐらいの男性が立っていた。Tシャツにジャケットを羽織り、見るからにIT企業やベンチャー企業に勤めていそうな風貌だった。
「お隣良いですか?」
そう言った彼は手にはレモンサワーのグラスがあり、こちらが何も言わないのを肯定ととらえたのか、空いていた隣の席に腰を下ろした。
「はぁ…… ナンパなら他を当たってください」
少し言い方に棘があったかもしれない、そう思ったが怪訝な顔をするこちらをよそに、隣の男は素知らぬ顔でサワーを呑んでいる。
「違いますよ。普通にお話したかったんです」
「そんな近いと、うつりますよ、コレ」
そう皮肉っぽく言って、私は首元の石をコツコツと、指で小突いた。
「……何をいってるんです? 鉱石症は伝染病ではないじゃないですか」
そう、その通り。研究により発症までの経路が判明し、感染症ではないことが証明された。完治させるための薬こそないが、症状の進行を止める薬は開発されている。
「わたし、コレのせいで今日会社クビになったんですよ。これは疫病神。不幸は私の宿命なんですよ」
そう吐き捨てるように言って、私はちょうど来たビールを喉に流し込んだ。差別や偏見は数十年では変わらない。鉱石症はうつる、不幸を呼ぶ等…… 根も葉もない、根拠もないのに蔓延る偏見で、私は色々なものを失ってきたのだ。それが今日は仕事だっただけのこと。あの偏見まみれの上司やお局様なんか、こちらから願い下げだ、なんて強がっては見るものの不安が残るのは変わらない。
「……アメジストは酔いに効くと昔は言われていました。きっと、アメジストがお酒に強いように、貴方も強かな女性なんでしょう。捨てる選択ができるのが、その証拠です」
「あなたに、何がわかるのよ」
何かを見透かされたようなその言いように、思わず言葉が詰まる。
「何も、と言えばうそになります」
そっと、彼は名刺を差し出した。
「僕の会社、貴方の会社を買収する予定でいます。あなたのご活躍は上司の方から、かねがね伺っておりました。」
ヘッドハンティング、そんな都合の良い言葉が酔いの回り出した脳裏をよぎる。
「それもそうですし、あなた自身がとても魅力的だったから、つい、声をかけてしまいました。」
すみません、と彼は申し訳なさそうに眉尻をさげた。すぐに返事をくれとは言いません、ゆっくり考えてください。そう言って彼は奥の座敷へと戻っていった。
「ゆっくり考える……ねぇ」
名刺の裏にはメールアドレスが書いてあり、私はそこに短くメッセージを送った。『酔い潰れていなければ、この後、二軒目に行きませんか』と。
その後、ヘッドハンティングされた会社に、買収された会社の元上司が私の部下になったのは少し先のお話。
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