鉱石短編集

月輪雫

第一話 始まりの物語 〈ガーネット〉

「どうしたんだ、それ……」

 呆然と立ち尽くす俺の前で、彼女はただ悲しそうな微笑みを浮かべたまま「大丈夫よ?」とベッドに横たわって言うのだった。

 「娘が倒れた。大学病院に来てほしい」と言う温度のない、端的な連絡が彼女の父親から、自分の職場に入れられた。俺の職場は医師が数人常駐する小さなクリニック。その日の予定を他の医師に事情を話して変わってもらい、俺は弾かれたように走り出した。元から彼女は病弱で入院も多かったが、いつもとは違う彼女の父親の様子から俺はひどい胸騒ぎを覚えていた。

 鉱石症。当時、謎の奇病として世界に数例しか知られていなかった、原因不明の病。文献でしか見たことのない奇病に、愛する彼女が罹患するなんて誰が考えただろうか。

「綺麗ね…… これ、柘榴石ね。まるであなたの赤い瞳のよう」

「痛みは、ないのか?」

 病院の白いベッドに横たわり、彼女は弱々しく右手をもたげた。深紅の石と化した動かない指を日の光にかざすと、彼女の目元に赤い光が踊っていた。

「痛くはないの。でも、すごく寂しい」

「寂しい?」

「この世にある私が、少しずつ小さくなっている…… そんな感じ」

 俺はぎゅっと彼女を抱きしめた。強く強く、どこにも行かせまいと抱きしめた。彼女は最初は少し身を強張らせていたが、すぐにこちらに身をゆだねた。まだ石になっていない左の手が、俺の背中を優しくさすっている。

「絶対に俺が治してみせる。だから、だからそんなこと……」

 ふふ、と彼女は弱々しく吐息を漏らした。

 将来、結婚も約束していた。これから、裕福ではないけど、それでも幸せな家庭を築いていく、つもりだった。そう、つもりだったのだ。愛していて、この世でただ一人の愛する女性を失うかもしれない。俺はその恐怖に打ち震えていた。

「……ねえ、一つだけ我儘を言ってもいい?」

「なんでも言ってくれ。どんな我儘でも叶えてみせる。だから……」

 諦めないでくれよ。その思いは涙にかき消されて口から出てくることは無かった。

「私の最後の我儘。私がね…… 全身石になってしまったら、私でアクセサリーを作って身に付けていて欲しいの。それが私の我儘」

「いつでも貴方の側に居たいじゃない?」と彼女は微笑んでいた。


 それから間もなくだった。彼女は眠るように息を引き取った。

 全身が深紅の石と化し、最後は身じろぎ一つもできなかったが、それでも彼女が幸せそうに笑っていたのを俺は忘れられないでいる。


 ――数年後


「先輩、いつもそのピアスしてますよね。ついてるのはガーネットですか?」

 研究室で資料に目を落としていた後輩が、こちらをちらりと一瞥して言った。

「あぁ、お気に入りなんだ。お守りでもある」

 先輩そういうの好きなんすね。と、後輩は意外そうに笑っていた。


 今日も俺は彼女の願いと共に働いている。


 ――これは後天性身体鉱石化症候群の世界的権威となる男の話。

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