第33話 自棄

「それで?聞きたいことって何?」

 私は香の部屋の丸いテーブル横に座りながら用件を訊ねる。

「………あの…その前に、か、嗅いでもいいですか?」

「え?」

「菜千ちゃんから放たれてる汗の臭い………嗅いでもいいですか?」

「別に良いけど………」

 いや、いいんかい!って思ったそこの君。

 私は約1ヶ月この子と一緒にいるんだ。これくらいは日常茶飯事である。

 臭いを嗅がれることくらい別にいいのだ。

 まぁ、人として何か大事な物を失った感があるのは否めないが。

「………クンクン…えへへ……いい臭いです………」

 香は、座っている私の目の前に座り、前傾姿勢で私の首もとに顔を近づける。

 ………何か今日はいつもと感じが違うような。気のせい?

「いい臭いって………。汗臭いでしょ。恥ずかしいよ………(笑)」

「いえいえ!それがいいんですよ………!クンクン………」

 ………首もとを嗅がれるのはそういえば初めてだな。何か鼻息でムズムズして、くすぐったいとはまた違うような変な感じがする。

「んふふ………んっ」

「んっ………!?」

 ビクッとしてしまった。ふと香が首筋に唇をつけてきたのだ。

「か、香?」

 やはり今日はおかしい!!最近キスをやり始めるようになってきたけど、いつも服の上からだったはず!

「……な、菜千ちゃん………私もう抑えられません……!!」


 ガバッ。


「か、香………!?」

 押し倒された。

 そして既視感のある光景。清水同様、香の顔が茹でたみたいに火照っている。

「はぁ………はぁ………何か………最近おかしいんです………。菜千ちゃんの臭いを嗅ぐと体が熱くなるんです………。菜千ちゃんに触れていたくなっちゃうんです。これ何なんですか……?」

「か、香………」

 これは。まさか、ディープキスの流れか!?清水と同様に香ともやっちゃうのか私!!

 いや、待てよ。香の発言を聞く限り、なぜ体が熱くなるかは本人にも分からないようだ。

 香の無知を上手く利用すれば、ディープキスイベントを回避できるのでは!?

「か、体が熱いの?ね、熱でもあるんじゃな………」


 ガチャリ。


「お茶をお持ちしまし……た………はっ!?し、失礼しました!!」

 ………最悪のタイミング。何で私が香に押し倒されている時にお茶を持ってくるのか。

 いや、愛裏さんは悪くないんだけど。

 そんな事を思っていると、何やら愛裏さんがゴソゴソしだす。

 そして。

「……では続けてください」

 愛裏さんは部屋を出るかと思いきや、お茶をテーブルに置くなり、どこから出したのかカメラを片手に部屋に居座り始めた。

「何を!?」

 普通止めない!?ていうか、止めてくれない!?

 望んでないのよ私は!!

「何って……香様の初体験……」

「初体験……?初体験ってなんですか愛裏さん………?」

「初体験というのは………」

「言うな!言ったら戻れなくなる!!」

 愛裏さん、やばい人だな。

 香と私の間に何かが起こりそうな場面に遭遇して、迷わずカメラを手に取るとは、ぶっ飛んでるよ。

「え………!?何ですか?初体験って………何なんですか!?」

 おっと?しかし、予想外の展開。

 突如として無知な香の前に現れた「初体験」というワード。

 それに対する好奇心が香の興奮をかき消したようだ。

 香の体はもう私ではなく、愛裏さんに向かっている。

 香が私の体から離れたことにより、私は体を起こすことができた。

 とりあえず、変な雰囲気になった空気は換気されてどっかに行ったみたいだ。

 よかったよかった。

「初体験というのはですね………!」

「だから言うなって!」

 何でこの人意地でも説明しようとするの!?

 そんなに私と香のバージンを奪いあわせたいの!?

「わ、私がこの身を持って説明………」

「脱ぐな!しなくていいから!」

 何、ボタン外し始めてるんだ?この人家の中だと相当に頭のネジ飛んでるな。

「は、初体験……気になります!菜千ちゃんは何だか知ってるんですか!?知っているなら教えてください!!」

「え?初体験………?」

 いや、知ってるけどさ。

 そりゃ知識としてはあるけどさ。

 今は教えたくないよ………。

 って、待て待て。そういえばまだ肝心な本題に入ってないじゃん!

 香の聞きたいことに話題を変えれば………!!この状況、やり過ごせる!

「そ、そういえばさ!何か私に聞きたいことあるんでしょ?香!」

 少々強引な気もするが、最悪の事態を避けるには、今の私はこうする他ないのだ。

「………聞きたいこと?あぁ!そうです!!菜千ちゃん!清水ちゃんとキスしたんですよね!!しかも普通のキスじゃないって、清水ちゃんが言ってました!普通じゃないって何ですか!何したんですか!?」

 おおぅ………まさかのそれ関連。

「………い、いや、別にキスなんかしてないよ?」

 今は嘘をつくしかあるまい。

 正直に答えたら、さっきの空気が戻ってきてしまう。

「嘘です。だって菜千ちゃん、バレーボールが終わったあと清水ちゃんの名前を叫んでましたもん!!私を騙したつもりかもしれませんが、私にだってそれくらいわかります!」

「き、気づいてたの………?」

 まじか。あの純粋な香が騙されたフリをしていたのか。

「気になって清水ちゃんに何かあったのか聞いてみたら、『昨日ね。なっちゃんとちゅーしたんだ………!もちろん普通のちゅーじゃなくてね………お・と・な・の!ちゅー』って言ってました!!大人のちゅーって何ですか!!」

 香はひどく興奮している。

 正直に言うと、私が誰とキスしようがディープな方をしようが香には関係ない気がするのだが。

 なぜ、こんなにも怒ってるんだ?

 これは。

 まさかだけど「他の女とキスするなんて!!」みたいな、浮気がバレたときみたいな状況にあるんですか?私。

 え?もしかして、今修羅場なの?

「私という者がありながら……清水ちゃんともキスするなんて………」

「えっと………?」

 え?香の中では私達恋人同士なの?いつから!?

「人はキスをした人と結婚しなきゃいけないんですよ!なのに、ひどいです………」

「は?香、どういうこと?」

 あら?この子、間違った教育を受けてらっしゃるのかしら?

「愛裏さんが言ってました!」

 またお前か!!

 ─────────────

 香、小五の春。

「愛裏さん。キスって何ですか?」

「香様……急にどうされたのですか?」

「学校のみんなが言っていました。美咲ちゃんと健汰くんがキスしたって」

「し、小五で!?」

「愛裏さん?」

「あぁ!申し訳ございません!!キスですか………う~ん。なんて説明したらいいか………」

「難しいことなのですか?」

「い、いえ!キ、キスっていうのはですね!す、好きな人同士が、く、唇をちゅーってくっつけることです!」

「好きな人同士がですか?結婚してるということですか?」

「そうですそうです!結婚してる人同士がキスするんです」

「美咲ちゃんと健汰くんは結婚してるんですか?」

「う~んと、将来結婚するんじゃないんですかね?

 ───────────────

 なるほど。愛裏さんの説明はあくまでも子供に向けての説明な訳で、それを真に受けた香が今の状態に至るということか。

 う~ん。小五だったらもうちょっと大人な説明してあげても良かったんじゃないかな………?

 愛裏さんの説明って小学校低学年向けじゃない?

「なるほど。ということは私と香は結婚しなきゃいけないということね」

「その通りです!」

 ………何か本当の事を説明するのも面倒くさくなってきた。

 もうこうなったら自棄だな。早く帰ってシャワー浴びたいし。

 余計なことは考えないことにしよう。

「うん。わかった。じゃあ、結婚しよう」

「そうです!………え?」

 私の発言に香は目を丸くする。

 ここは、香には悪いが一芝居打たせてもらおう。

 私は香に近寄って彼女の肩をそっと抱く。

「な、菜千ちゃん……?」

「んっ」

 そのまま香の唇を私の唇で塞ぐ。

「………んん!?」

「………はい。これでいい?」

 どうせ私のファーストキスは香に奪われてるのだ。

 ならばもう、いくらでもキスしてやる。ディープはまだちょっと抵抗があるが。

「も、もう一度お願いします……」

「それはまた今度ね。それと時間も時間だから私、帰るね。続きは電話で」

 そう言い残して私は香の部屋を出る。

 あれ?意外とあっさり行けたな。最初からこうすればよかった。

「あっ…菜千ちゃん……」

「………香様、初めてのプロポーズ後………」


 カシャッ。

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