第5話 ノリとは……

 よし。大丈夫。今日はバッチリ消してきた、はず。言うまでもない、臭いを。

 私は自信を持って教室内へ入る。

「菜千ちゃん!おはようございます!」

「香ちゃん、おはよー」

 彼女との昨日の記憶。色々あったが、私の頭にこびりついて離れないのは私が「臭っているかもしれない」という事実。

 正直、彼女の過度な興奮状態の事は二の次だ。

 どうやら、私は自分に余裕がなくなると人の心配をしていられなくなる人種らしい。

 何と言ってくれたっていい。今、私に重要なことは。それだけだから!

「あれ?菜千ちゃん………クンクン」

 どうだ!?頼む。私のにおいよ、届かないでくれ………!


「シャンプー変えました?」


 私はガクッと膝を曲げる。

 緊張を返してくれませんか?まぁ、確かに昨日はお姉ちゃんの高いシャンプーをこっそり使ったけど…。

 いや、そっちじゃないんだよな。私が嗅いでほしいのは。

「それに……スゥー…ハァー…一日ぶりの菜千ちゃん臭、最高です!」

 急だった。何と、あんなに臭いを滅したつもりだったのに、まだ臭うのか!くそっ!

 後、何か昨日にはなかった変態感があるように思えるのは私の気のせいだろうか。

 そんなことより!

 悲しきかな。今のところ話せる友達がこの学校にはまだ香しかいない。臭いを嗅いでと頼める仲の人間がいない!

「…やっぱり、臭ってるのかな……?」

 不安になって、仕方がなく香に訊ねる。

「……私は好きですよ」

「いや、違くてよ!?」

 せめて

「そんなことないですよ」

 くらい言って!?

 今はそっちのフォローはいらないから!

 臭ってない前提のフォローがほしいの!

「というより、そんな気にすることないですよ。確かに今日は昨日よりも臭いが微かにしかしませんし。正直、私も残念です」

 香はしょんげりする。

「そっか…香は人よりも鼻が利くんだっけ……」

 確か普通の人には届いていない臭いも感じるとか言ってた気がする。

「私もあんまり自覚はないんですけど多分そうです!だから気にしすぎは良くないですよ!私もあんまりにおいがしないと悲しくなります……」

 そ、そんな顔せんといてや……?

 ……ごめん、明日からは何もしないで…

 って危ない危ない!

 悪魔の困り顔に誘惑されるところだった。

 何て顔をするんだ、この子。上目遣いやめなさい!可愛すぎて直視できない!

「……でも、確かにここまでするのに大分時間とお金を使ったしな…」

 昨日のドラッグストアで約5000円も出費してしまった。

 あの時は冷静さが欠けていて分からなかったが今なら分かる。アホな買い物だと。

 私は消臭のために5000円も注ぎこんだのか!?青春謳歌のためにコツコツと貯めていた貯金の内の5000円を!?

 高校生に5000円はきついて……!私の一葉が……!!

 あれ、何だか脇腹が痛い。

「………何でそこまで気にするんですか?私は特に何もしてませんよ?」

 急に落ち込み始めた私を見て心配したのか香は俯く私の顔を覗き込みながら聞いてきた。

 いや、かわいいな。天使かっ!

 ………じゃなくて。

「……嗅いでもいい?」

 何もしてない人がどういう臭いを発しているのか気になる。

 人の体臭をわざわざ頼み込んで嗅ぐなんてしたことないから、何か緊張するな。

「え……?ど、どうぞ。いや、でも…!」

 え?人のにおいあんなに嗅ぎまわっといて、何その照れ反応。もしかして嗅がれたことはないの?

 ………ちょっといじめてみたりしようかしら。

 私にもそのくらいの権利あるはずだ!だって私の5000円札はこいつのせいで…!(逆恨み)

「あれあれ?人の臭いは何の恥じらいも見せずに嗅ぐのに、嗅がれるのは恥ずかしんだ~」

 わざと腕を組んで挑発的な態度を取る。

 すると向こうも対抗するようにノッてきた。

「そ、そんな事ないですよ!」

 香も腕を組み始める。しかし、目線がプイッと他の方向を向いているので頑張ってる感が満載だ。

 これは、勝てる…!

「じゃあ嗅がれてもいいよねぇ?ほれほれ、早く」

 ………私って知り合って間もない人に臭いを嗅がせることを強要するの?これって私の方が変態じゃない?

 香は唇を噛み締めて涙目になりながら悔しそうにこちらを見つめている。組んでいた腕も今は床に向かってピーンッだ。典型的な悔しいポーズである。

 …5000円の逆恨みから、何か酷いことしちゃったな………

 一回謝ろう。そして静かにしなければ。

 今冷静になって気づいたが、クラス中の視線がこちらの騒動に集まりつつある。

「香ちゃん、ごめ………」

「ええい!……どうぞ!」

 香は肘を天高く突き上げて自分の脇を晒す。制服越しに。

 いや、タイミング悪っ!そして違うよ香さん!

 私は確かに嗅ぎたいとは思ったけど急に脇から攻めるなんてこれっぽっちも思ってませんよ!?初戦がハード過ぎるよ!!

 よし、落ち着け。冷静になるんだ桃井菜千。まず相手を宥めるところから始めよう。自分に敵意はないと…!

「あのね、香ちゃん………」

 私が下手に出て話を進めようとした瞬間だった。

 何を悟ったのか、香は口をにんまりとさせ、勝ち誇ったような顔をして私を見てきた。

「あれあれ~どうしたんですかぁ?急に弱気になっちゃってぇ?もしかして怖じ気づいちゃいました?」

 おい!何でここで煽ってくるの!あんた多分そんなキャラじゃないでしょ!

 宥めるどころか火に油を注いでしまったらしいぞ、これは………。

「いや、違くて………」

「違うなら嗅げますよねぇ?ほらほらぁ?」

 違うってそう意味じゃねぇよ!はっ、ダメだダメだ。落ち着け私。何かよく分からないけど周りに人が集まっている………!まさかこれはギャラリーというやつか……!?

『いいよー!もっともっと!』

『言われっぱなしー!?』

『そのままでいいの~?』

「フフンッ」

 香は上げてない方の手を腰に当てて、ドヤ顔をしている。

 今わかった。この子、ノセられやすい子なんだ。回りの雰囲気がそのまま影響しちゃう系女子なんだ。

 彼女のボルテージはMAX。強気中の強気だ。何だろう、よく分からないけど勝利の女神にさえ見えてきた。

 今の彼女は魅力に溢れている。迸る汗も相まって清々しいというか。この感じが観客たちをここまで熱狂させたのかもしれない。

 いや、そんな事はどうでもいいわ!

「香ちゃん、一旦落ち着………」

「あれあれ~臭いとか気にしてたくせに他人の臭いも嗅げないんですか~?そんなんじゃいつまでも悩んだまんまですよ~?」


 カチン


 あ、これもうダメだわ私。あったぁきたよこれ。

 おい、やめぇ。腕上げてる方の腕でそのまま手ぇ口にやって「プププ」とかやめぇ。

 もうこれ、痛い目見ねぇとダメだなこれ。

 あーやりますよ、私。

 はいはい、そっちがその気ならやりあすよ、あたし。

「うぇっ!?」

 香は驚きの声をあげる。恐らく私の行動が予想外だったのだろう。勝ちを確信していた彼女には。

 私は香の脇を晒している右腕を左手でガッチリと掴み、右手でもう片方の腕も同じように掴んだ。

「ま、待って!ここここ心の準備が!?」

 彼女はひどく動揺している。よし、さっきの威勢は崩れた。威勢というより、もはや虚勢か。

「ご、ごめんなさい!つい興奮しちゃって!」

 香は泣きそうになりながら私に謝る。

 しかし、そんな声は私には届かない。香には相応の辱しめを受けてもらおう。

『おぉぉぉぉ!?』

『まさかの急展開!?』

『キャーーー!!(照)』

 いや、リアクション良すぎね?ギャラリーよ。

「香、覚悟してね」

 そう捨て台詞を残して私は彼女の脇に顔を近づける。

「まっ、ま、待って……!!」


 ピタッ


 ………え、待って。私、これ嗅ぐの?

 改めて直視するとものすごい濡れてるんだけど。脇汗で……。

 香のブラウスの脇の部分は彼女の脇が透けるほどにびっしょりだ。開きっぱなしだったからなのかモワァッとはしないが。

 百歩譲って脇を嗅ぐのは良しとして、汗びっしょりの脇を嗅ぐのは……何というかハードル高くない?

 いや、女の子でも絶対臭うよ?てか、女子とか性別関係なく、臭うよ?これ。

「………あれ?…嗅がないんですか…?」

 香は泣きそうになりながら、震えた声で訊ねてきた。

 さっきまでの私は嗅ぐつもりだったよ。だけど、予想よりブツのハードルが高いんよ。

 初めて人の脇を嗅ぐ人に汗びっしょりのやつとかダメだって!下手したら死人が出るって!!

『あれ?止まっちゃったよ』

『最後までやりなさいよー!』

『ブー!ブー!』

 あれ?この感じ。

 もしかして嗅がないと終わらない感じ?

「………!!」

 いや、香さん?目をギュッと瞑って何を期待してるんですか?

 あなたもう嗅がれる気満々じゃないですか。

『早くー!』

『もったいぶらないで!』

『嗅ぐの!?嗅がないの!?』

 ………さようなら。私。青春謳歌は来世に託すよ……!

「えぇいっ!!」

 私は思い切り香の脇に顔を近づけて鼻から大きく息を吸った。

『キャーーー!!(照)』

『行ったわーー!!!』

『あ…』

『誰かー!?この子、失神してます!!』

 ………………あれ?

 死んでない。というより鼻がもげてない。

「……クンクン…え!?臭くない!なんで!?うそ!?」

 ………もしかして、そもそもに臭わないタイプの人だったりして?それか、汗に反応して良い香りになる洗剤使ってるとか?

「……はぁはぁ………あ……」

 ………香はとても色っぽい顔をしている。涙を含んだ目はとろんとして、口も半開きだ。

 え?私、彼女の「初めて」を奪ったの?違うよね!?

「………ん……くだ…い」

「え!?」

 何か言った?

「結婚、してください……!」

 香はそのまま倒れかかるように私に抱きついてきた。

 待って。話が読めない。何で臭いを嗅いで結婚に行き着いた?

『キャーーー!!(照)』

『これが愛なのねーー!!』

『あ……』

『誰かぁー!?手を貸してぇー!!』

 いや、待って。拍手とかやめて。まだ、成立してないから。いや、パチパチじゃなくてさ。

 おい、何で教室の外にもギャラリーがいるんですか?あんたらもパチパチじゃねぇよ?

「………青春ね……!」

 いや、先生!?担任何してんの!?

 メガネを外して涙を拭う……いや、何してんの!?

 あれ?もしかしてだけどさ、ここってまともな人いないの?

 ───この一連の騒動は即日噂となり、二人の名は学校中に広まるのであった。

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