第269話 部屋にお帰りください
「里香さんの部屋の前で何をするつもりだったんですか?」
問い詰めるような言い方だ。知り合いに向けるような声ではない。敵対者として警戒している。
「言わないとダメですかね」
「…………」
余計な情報を与えるつもりはないと、正人は反応しない。
モンスターだけでなく人ですら敵であることをよく知っているからだ。
「ふぅ……恥ずかしいのであまりいたくなかったのですが、仕方がありませんね」
谷口は右手を小さく上げた。薄いピンクのハンカチがある。
「里香さんから借りたものです。返そうと思ってここまできたんですよ」
まっとうな理由である。見たことあるデザインなので言っていることは間違いなく警戒を解いてもよいのだが、正人はナイフを突きつけたまま動かない。
「だったら明日でも良いじゃないですか。夜、この場に訪れた理由を言ってください」
「いつモンスターに襲われる状況かわからないんです。落ち着いているときに早く返そうかなと」
言いたいことは正人も理解はできる。半魚人との戦いでは職員である谷口ですら参戦したのだ。
次の戦いで死ぬかもしれないと思って、時間に関係なくハンカチを返却しようと行動しても不自然ではない。
だが先ほど自室で鍵をかけたドアが開いたことを思い出すと、どうしても素直に解放したくないと思ってしまう。
「戦いが続いて里香さんは疲れて寝ています。ハンカチは私が預かっておくので帰ってください」
返事なんて待たずにハンカチを奪い取る。
抵抗されなかった。
首からナイフを放すと背中を軽く押して谷口から距離を取った。
「部屋にお帰りください」
「お騒がせしてすみません。わかりました。戻りますね」
正人に背を見せると谷口は歩き出した。
姿が見えなくなるまでじっと見つめていたが、不自然な動きはない。
本当にハンカチを返すだけに来たのかもしれない。そう思えるほどあっさりと退場したのだった。
◇ ◇ ◇
谷口との一件以降、正人は『索敵』スキルで警戒していたが何も起こらなかった。
神津島付近に停泊しているのだがモンスターの襲撃もない。平和な時間が過ぎて朝になった。
計画を決行する日だ。
船が大きいので直接は近づけない。小型のボートをいくつも下ろして十人単位のグループに分かれて探索者が乗り込む。正人のパーティにも六人ほど新人の探索者が同席している。それぞれ武器は持っているが手は小刻みに震えていて、緊張しているようだ。
正人たちは緊張を解いてあげるようなことはしない。放置してタイミングを待つ。
『聞こえますか?』
耳につけたイヤホンから山田の声がした。
落ち着いているようで安心感を与える。
『問題ありません』
『よかった。正人さんのチームは待機しててください。別のチームを先行させます』
『わかりました』
『上陸後は正人さんの判断に委ねます。計画成功を期待していますね』
プレッシャーを与えてからプツッと通話が途切れた。
波に揺られながら船上でまっていると、五台のボートが神津島に向かって進み出した。
それぞれの距離は二十メートルほど離れている。鬼族の姿は見えないため誰もが無事に港へ着くと思っていたのだが、人の頭よりも一回り大きい岩が飛来して衝突。ボートの一台を沈めてしまった。
残りの四台は止まることなく進む。
次はコンクリートの塊や木の幹などが飛来して二台が沈む。海に投げ出された探索者たちは、装備を捨てて壊れたボートの破片をつかんで浮いている。
敵の迎撃手段は把握できた。船に備え付けられた砲弾で反撃することもできるのだが、山田は指示を出さなかった。住民に被害が出るかもしれないと、無線で援護しない理由を説明し、追加の命令をくだす。
『待機しているボートはすべて進んでください!』
なんと正面突撃を指示した。しかし誰も動かない。自分たちの船も沈められると思い、探索者たちは怯えているのだ。
誰か先に行って犠牲になってくれと祈るばかりである。
「私たちが行く! みんな付いてこい!!」
大声で正人が叫ぶと、里香がボートを操作して進み出した。同席している新人の探索者たちは絶望の表情を浮かべており、海に飛び込もうとしている。そんな男どもを冷夏とヒナタが止めていた。
港に向かってまっすぐに進む。
岩が迫ってきた。
――自動浮遊盾。
半透明の青い盾がボートの前に出現する。斜めに傾いていて、岩が当たると軌道が上にそれた。
「すげぇ」
「これなら安全だ!」
逃げだそうとしていたボートにいる探索者から賞賛の声が上がり、周囲にいるボートも続く。
空気感が変わった。今がチャンスだ。
『探索者たちは正人に続け!』
熱気が冷める前に山田が再び命令を下すと、今度は一斉にボートが動き出した。
鬼族は数十にも及ぶボートをすべて攻撃する手段はなく、また正人が『エネルギーボルト』で飛来物にぶつけているため、被害は出ていない。
先ずは正人たち、そして次々と新人の探索者たちが小さな港に上陸していく。
人の姿は一切ないが、少し離れた距離から鬼族が走ってくる姿が見えた。
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