第262話 あの日和見な老人どもが即断できるとは
正人たちが鬼族と戦うと決めてから数時間後、スマホが震えた。ディスプレイを見ると谷口の名前が表示されている。
探索協会からの連絡だ。
神津島奪還計画に進展があったと思い、正人は通話ボタンをタップしてからスピーカーモードにした。
「政府と協会の話し合いが終わりました」
「思っていたよりも早いですね」
国民が注目している事件だ。議論に数日を要することもあるだろう。少なくともたった数時間で結論が出せるとは、誰も思っていなかった。それは電話をかけた谷口も同じである。
「ええ、私も聞いたときは驚きましたよ。オーストラリア大陸が落ちたと知って、あの日和見な老人どもも立場が危ういと思ったようですね。世界中から日本はどうするんだと問い詰めるような連絡もあったみたいで……って、この話は秘密にしてください」
「もちろんですよ」
お互いに軽く笑ってから、具体的な話に入っていく。
「で、その老人がどんな決断をしたんですか?」
「可及的速やかに神津島奪還計画を修正して実行しろとのことです」
「そうなりましたか」
既に一つの大陸が侵略者たちの手に落ちたのだ、様子見なんて段階は既に終わっている。
抗うか、それとも服従か。
政府はこの二択を迫られ、既得権益の侵害を嫌う地位の高い高齢者たちが戦うと決めたのだ。
それが若者の命を散らすことになると分かっていても、自らの利益を優先したのである。そこに崇高な信念などない。手に入れた物を失いたくないという、損失回避の感情があるだけだ。
「で、どんな修正が入ったんですか?」
「計画の大筋は変わっていませんが、テレビで演説をしていた鬼族のレイアは生け捕りにして欲しいとのことです。交渉に使いたいという考えみたいですね」
「相手がそれに乗ります?」
「誰にも分かりません。だから試してみるんですよ」
「そのために難易度が数段上がるとしても?」
「鬼族は人類に詳しいが、我々は全く情報がない。この情報格差を埋めたいんです」
政府および探索協会は目の前で怒っている神津島の問題だけでなく、これから長く続くであろう種族間の争いを見据えて動こうとしている。
ダンジョンを使って平行世界から、こちらの世界に渡ってこれるのであれば、神津島にいる鬼族を殲滅させても増援が来てしまうからだ。必ず次がある。だからこそ、少しでも多くの情報を手に入れたいという考えは、正人を筆頭に里香や冷夏、ヒナタですら否定できないだろう。
「……最悪、殺しても良いのであれば」
「それでかまいません。レイアの生け捕りは努力目標、神津島の奪還は必達目標だと考えてください」
パーティメンバーへ確認するため、正人は里香たちを見た。
三人が同時に首を縦に振る。
「わかりました。計画の変更を受け入れます」
「ということは参加してくるんですね?」
「もちろんです」
スマホ越しから安堵のため息が聞こえた。
計画の中心人物である正人の参加が決まって、谷口は肩の荷が下りたと思ったのだ。
「これから探索者をかき集めるので、明日の迎えに行きます」
スピードが命と言わんばかりの進め方だが、侵略されているのだから当然だろう。
一分一秒が惜しい。
そういった修羅場になってしまったのだ。
「わかりました。お待ちしていますね」
スマホの通話終了ボタンをタップすると、テーブルに置いた正人は三人を見る。
「聞いてたと思うけど、明日には船に乗って移動するみたい。しばらく忙しくなると思うから、今日は遊んでても大丈夫だよ」
もしかしたら平和を享受できる最後の日になるかもしれない。そう思って言ったのだが、誰も動こうとしない。
しばらく沈黙が続いてから、里香が口を開く。
「ワタシは正人さんとゆっくり過ごせれば、他に何もいりません」
どうして? と疑問に思ったが、正人は口には出さなかった。理由なんて重要ではない。
選んでもらったのであれば、望みを叶えれば良いだけだと思い直したからである。
弟に会ってしまえば決意が鈍ることも考えられる。戦う仲間と過ごすという選択自体は間違ってはいないだろう。
「私も一緒にいたいです」
「ヒナタも!」
今回は全員の意見がすぐに一致する。
侵略者と戦う前日はパーティメンバーと過ごすと決まった。
「それじゃ、先ずはみんなで食べ物を買ってこよう。スーパーをはしごすれば、調理せずに食べるものが集まるかもよ」
モンスター被害によって物流が止まりがちではあるが、探せば菓子パンやおにぎり、カップラーメンといった食料は買えるだろう。
豪勢な食事にはならないが、パーティメンバーと静かに過ごすという目的は達成できるし、モンスターと戦わないという贅沢な時間が味わえる。
「ヒナタはピザパン食べたいなー!」
「ワタシは鮭のおにぎり。冷夏ちゃんは?」
「うーーん。私もパンがいいなぁ」
それぞれ食べたいものを話し合いながら、三人は部屋を出て行ってしまった。残された正人は、今みたいな何気ない会話が来年も再来年も出来れば良いなと思いながら後を追う。
その願いが叶うかは、神津島奪還計画の成否に関わっていた。
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