第141話養育費、それはいくらなのでしょうか?

「これで二人は英子さんにお金を支払う必要はない。そう思っててよろしいですか?」

「あら。これじゃ足りないわよ」


 欲望が肥大化したモンスターのように見えた。拳を強く握って理性を必死につなぎ止める。ここで暴れてしまえば犯罪者になってしまい、双子を助けるどころか烈火や春を養うことすらできないからだ。


「どういうことで?」


 感情を押し殺して正人は質問をした。  


「さっきのお金は探索者になるときにかかった費用なのよ。冷夏ちゃんたちは、他にも生活費まで自主的に入れてくれているの。私に後は任せたといったまま、一銭も払わず音信不通になった両親の責任を取っているみたいね。私はお願いなんてしないのに偉い子だわ」


 口を大きく開いて笑っている英子が気に入らない。

 ここまで人間は恥知らずになれるのか。


 怒鳴り出したい気持ちを抑えて、正人は奥歯を強くかみ締めて我慢し、気持ちを落ち着けるために深呼吸をする。


 当然、先ほどの言葉に反論はできる。だが、今回の目的は論破することではない。

 人型のモンスター英子から、可及的速やかに双子を解放することにあるのだ。


「養育費、それはいくらなのでしょうか?」

「そうね……まあ、私も鬼じゃないし、二千万円で手を打ちましょう。支払ってくれたら、冷夏とヒナタがお金を入れると言っても断固拒否するわ」


 払えないだろ。そう言いたそうだな顔だった。


 隣に座る里香、後ろに立って話し合いを見守っている冷夏とヒナタの顔は真っ青で、英子は正人が追加の金を持っていないと確信を得る。


 今回はこれで引き下がるだろう。もちろんその後、再交渉してくるだろうが、英子は今日みたいな話し合いに応じるつもりはなかった。


 このままでは、一千五百万円を贈与した愚か者として終わってしまうのだが、正人は英子がさらに金額を上乗せするであろうことぐらいは読んでいた。


「分かりました。お支払いします」

「…………え?」


 間抜けな声をあげたのは英子だ。


 絶対に支払えないであろう金額を提示したはずなのに、出せると言ったのだ。思考が止まり、頭が真っ白になるほどの衝撃を受けている。


 正人はスマホを操作して、振込上限のない探索者専用の口座情報を表示する。画面には三千万円と表示されていた。これはユーリが川戸の口座経由で、ポーションの買取代金として振り込んだ金額だ。


 アイアンアントクイーンの素材を買い取った後に入金があったことに気づいたため、誰にも言っていなかったので、英子だけでなく里香たちも口に手を当てて驚いていた。


 周囲の状況など気にすることなく、正人はスマホを操作して手続きを進めていく。


「入金しました。ご確認ください」


 正人が言い終わるのと同時に英子はアプリを立ち上げて口座を確認する。二千……万円が入っている。英子は計画が狂ったことを実感し、スマホを操作する指が小刻みに震えていた。


「ど、どうして。新人のくせに、そんなお金が……!?」

「そんなこと、どうでもいいじゃないですか」


 ここが勝負どころだ。流れを変えるべく、正人の雰囲気が一気に変わった。


 モンスターとの死闘を繰り広げ、生き残り、レベルアップした探索者特有の圧力が英子にかかる。周囲の空気が重くなったように感じ、呼吸が浅くなる。頭が真っ白になり反論を口にする余裕はない。


「命をチップにして手に入れたお金です。安くはないですよ」


 さらに空気が重くなった。

 言葉の一つ一つに威圧感がある。高校生になったばかりの姪を戦場に送り、自分は安全な場所で利益かすめ取っていた英子に抗うことなどできない。


「え、ええ、わかっているわ」


 首を何度も縦に振って肯定するしかできなかった。


「では、こちらの書類にサインをお願いします」


 正人は一枚の紙を取り出した。内容はお金を受け取った代わりに、双子に金品の支払いを要求しないといった内容だ。法的な拘束力などほとんどないが、同意したという証拠があるだけでも心の枷にはなる。


 気圧されっぱなしの英子はボールペンを持つと、サインするために紙に近づける。


 ピンポーン。


 玄関のチャイムが鳴った。

 冷夏とヒナタが玄関に行き、正人と里香は去っていく二人を見る。


 英子にかかっていた圧力が弱まった。

 考えてのことではない。

 とっさの思い付きで、英子はボールペンを手放すとテーブルに置きっぱなしだったボイスレコーダをもって立ち上がる。


「な、なにをしているんですか!?」

「これさえなければ、取引の証拠はなくなるわ!」


 常人では理解できない行動を目の当たりにして、正人は理解が追い付かない。英子は窓を開けて庭に逃げて、玄関に通じる通路へと走っていく。


「追いましょう!」

「そ、そうだね。逃がしたらダメだ!」


 慌ててソファーから立ち上がった二人は、英子を追いかけるために庭に飛び出た。


 右側にある通路を見て、足が止まる。


「え、なんで……」


 目の前にはオーガが立っていた。英子は頭をつかまれて拘束されている。


 足をばたつかせながら抵抗しているが、レベルなしの人間が対抗できるはずはない。無意味である。


「た、助けなさいよ!」


 憎い相手ではあるが死んでほしいとまでは思っていない。言われるまでもなく助けようとしていた二人だが、後ろからは塀を乗り越えてきたゴブリンが五匹も現れてすぐに動ける状態ではなかった。

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