第84話最後に、いい景色が見えたでしょ?
ナイフを持った男は、ユーリと戦いながら起き上がったばかりの二人に短く声をかけた。
「ニゲロ」
イントネーションだけで日本語に堪能ではないことが分かる。
声を聞いた二人のうち体格の良い方が、床に転がっていたハンマーを拾い上げると、スキルを使う。
――粉砕。
金属製のヘッドが淡く光り、コンクリートの壁に衝突する。ピシッと蜘蛛の巣状にひび割れが広がった。
「止めろッ!!」
何を狙っているのかすぐに理解したユーリが叫んだ。
本来であれば自分で止めに行きたいのだが、隙を見せてしまえば喉元を切り裂かれてしまう。ナイフを回避していて動けない。廊下を押さえていた川戸に頼るしかなかった。
戦闘を繰り広げているユーリたちの間を、すり抜けようとして川戸が走り出す。
ナイフが投擲されたが自動浮遊盾で防ぐ。
このまま進めば間に合うと思われたが、ナイフを持っていた男がユーリに突撃した。短槍で腹を貫かれるが、痛みに耐えながらも勢いは落とさず、前に進んでユーリに抱きつく。自動浮遊盾を吹き飛ばしながら川戸までを押し倒した。
捨て身の攻撃を受けて転倒した二人の視界に、もう一度ハンマーで壁を叩く姿が見えた。
ドンッっと低く重い音が聞こえると、ひび割れが拡大して壁は崩壊。外の風が吹き込んでくる。見通しの良い部屋になった。
「させるかよッ!!」
短槍ごと上に乗っていた男を押しのけると、ユーリは立ち上がって走り出すが、その前に二人は建物から飛び降りてしまった。
暗闇に紛れて姿は見えないが、足音から逃げた方角ぐらいは分かる。丁度、正人が待機している裏道を抜けるコースだった。
明かりがない中、後を追っても見失う可能性の方が高い。ユーリは追跡は諦めて正人に託すことに決める。振り返って突入した部屋を見渡した。
「そいつは生きてるか?」
川戸は無言で首を縦に振った。
短槍が腹に突き刺さっているが、抜き取っていないこともあって、傷の割に出血は少なかった。苦痛によって意識はもうろうとしているが、数秒で死ぬと言った状況ではない。
「死なないように監視しておいてくれ。俺はあの女を呼んでくる」
「分かった」
川戸に指示を出すとユーリは部屋を出て、スマホのライトをつけてから手を振る。しばらく待っていると、美都が散歩するようなノンビリとした雰囲気を出しながら、階段をのぼってきた。
「どうしたの~?」
熱探知のスキルで状況をリアルタイムで確認し、犯人に逃げられたことは分かっているのに、美都はあえて知らない振りをして挑発するような態度を取っていた。
イラ立ち眉間にシワが寄ったユーリだったが、文句を言っても意味がない。無視すると決める。
「仕事の時間だ。スキルを使ってくれ」
時間がないため話しながら歩きながら話し、美都は一歩離れて追う。
「おー。生け捕りに出来たんだね~」
「一人だけだがな」
「後は逃げ出したと」
「壁を壊すとは思わなかったんだよ……」
部屋に入りながら端的に状況を伝え、死にかけている犯人の目の前に戻る。
川戸が手足を押さえつけていた。
ユーリが離れてすぐに自害しようと動き出したので、拘束しているのだ。今も抵抗しているが、死に瀕した体では力が入らず抜け出せない。
「男同士が絡み合っている姿って――」
「そのネタは後で聞いてやる。さっさとやるんだ」
「は~い」
犯人に敵意を向けられても怯むことはなく自分のペースを崩さない美都は、あえてスカートの中が見えるような位置に立つと、ゆっくりとしゃがんだ。
「最後に、いい景色が見えたでしょ?」
挑発された犯人は唾を吐きかけようとして、ユーリに
「さっさとやれ」
「は~い」
つまらなさそうに返事をすると、ゆっくりと探索協会からスキルカードを盗んだ男の額を触る。
――強奪。
スキルを使うと、犯人から急速に生気が失われ、美都が触っている額からトランプと同じサイズのスキルカードが排出された。片面には、双眼鏡のような絵が描かれている。
「彼は望遠のスキルしか覚えてなかった。外れだったね~?」
息絶えた犯人の額から手を離す。
スキルカードを持って立ち上がるとユーリに渡した。
「相変わらずえげつないスキルだな」
先ほど美都が使った強奪のスキルは、レベルアップの時に覚えたユニークスキルだ。対象者が覚えているスキルを一つ、そして同時に命を奪い取る能力がある。
奪い取れるスキルは選べるが、奪い取った本人は使えないという大きな制限があるため、自身を強化するためには使えない。正人とは違って美都が覚えているスキルは少なく、戦闘能力は冷夏やヒナタにも劣るだろう。
「私もそう思う。スキルを覚えた探索者にとっては悪夢みたいなスキルよね~」
「だが、協会にとっては使えるスキルだ」
ユニークスキルを覚えた当初、自慢したくなった美都は、知り合いの探索者に強奪スキルの存在を伝えたことがあった。そのことが一部のパーティーに噂として出回ってしまう。
必死で覚えたスキルを奪われる前に殺してしまえと考える探索者が出てくるのに時間はかからなかった。
ダンジョン内で何度も命を狙われた美都は、探索協会からの依頼は何でも受けるという条件の下、保護されることによってようやく解決したのだが、失ったものも多い。
「そのおかげで、私は守られて、飼われているけどね~」
仕事がなければ部屋に軟禁されている状態で、不自由な生活を強いられている。恋人どころか友人を作ることも許されていない。話し相手は依頼で一緒になる探索者ばかり。安全の代わりに手に入れた生活に飽きてしまったのだ。
自暴自棄とも見える美都の態度は、飽きからくる『いつ死んでもよい』といった感情から起因していた。
「自由のない生か。モンスターに殺されてしまうのと、どっちがマシなんだろうな」
多くの探索者の死を見てきたユーリは、遠い目をしながらつぶやいた。
戦友とも呼べる仲間だった男の顔を思い出し、また記憶の奥底に封じる。今は過去に浸っている場合ではないのだ。
「部屋に何か残っていないか調べるぞ」
「おう」
寝込みを襲ったのだ。犯人の手がかりにつながる物が残っている可能性は高い。逃げた犯人は頼りになる正人に任せ、ユーリは調査を優先したのだった。
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