第44話もっと知る必要があるね
自宅に戻った正人は、食事を済ませてから自室にあるベッドの上に座る。
携帯電話のディスプレイをじっと眺めていたが、決心がつくと通話履歴から谷口の番号を探して電話をかけた。呼び出し音が数回なると、谷口の声が聞こえる。
「神宮さん。どうされました?」
まだ職場にいるようで、後ろが騒がしい。
ダンジョン探索に関連する声がうっすら聞こえる。
「相談がありまして……」
「なんでしょう? 担当になったことですし、遠慮なく言ってください」
優しく、包容力のある声だ。正人は話が切り出す決心がつく。
「ありがとうございます。実は、武田ユーリという方に声をかけられました。仲良くなろうぜなどと言われているんですが、どんな方なんでしょうか? もし知っていたら教えてもらえると助かります」
正人は断られて当然と思いながら、ダメ元で質問をした。
探索協会から担当がついたとはいえ、他の探索者の情報が簡単に手に入るとは思えないからだ。
「ふむ……」
ほんの数秒間の沈黙。その間、正人は緊張していた。「やはりダメだった」かと、諦めそうになったころで谷口が話を続ける。
「個人情報はお伝えできませんが……そうですね。少々お待ちください」
カタカタカタと、キーボードを叩く音が聞こえる。マウスのクリック音が何度かしてから静かになった。
「そうですねぇ。数字だけ見るとベテランで問題を起こしたことのない探索者です。九階層まで行ったことがあるんですね。優秀と言ってもいいでしょう」
探索者協会が管理しているデータベースから活動履歴を調べて、正人に一部情報を伝えたのだ。探索協会の職員しか見れない情報ではあるが、少し調べるとわかるような情報であれば、今回のように伝えることはある。
優秀で協力的な探索者であれば優遇処置といった感じだ。
正人は、レベルアップと特殊個体の報告、この二つの出来事によって探索協会内では優秀と認められる存在になっていたのだった。良くも悪くも目をつけられているということになる。
今回はその良い面、探索協会内部でしか知り得ない情報の一端を教えてもらえるのだ。
「パーティー申請もしていて、三名で行動しているようです。それは知っていますか?」
「宮内仁さんと古井和則さん。この二名が仲間ですよね?」
「知っているなら話は早い。私は会ったことがないのでデータ上の話になりますが、五年も続けて三人ともトラブルの履歴はなく、新人教育や行方不明者の調査に協力的ですし、探索者同士の仲裁もよくしています。探索協会からの評価は高いですね」
一言にまとめると、面倒見が良い探索者。それが谷口から伝えられた武田ユーリの人物評価だった。
正人に声をかけてきたのも、急に有名になった新人は悪意に翻弄されやすいので、心配したのだろうと谷口は言う。
その説明が正しいのか確かめる術はないが、職員が言うのであれば、ある程度は信頼して良いだろうと、正人は判断する。
「ありがとうございます。参考になりました」
通話を終わらせようとした正人だったが、谷口が「ちょっと待ってください」と言って引き止める。また数秒の沈黙が続いてから、重い口が開いた。
「……これは誰にも言わないでほしいのですが、協会幹部のお気に入りとの噂があります」
周囲を気にしているのか、声が一段小さかった。
「それって――」
「これ以上はなにも言えません。探索者は本当に様々な人間が集まっています。私の話も一つの参考情報として捉えていただき、最後は神宮さんの目で見て判断してくださいね」
探索者は全員、個人事業主となる。上司はいない。どのような場面では最後は自己判断、自己責任になると伝えたのだ。
これは谷口の優しさでもあり、自己保身からくる言葉でもある。
最後に改めてお礼を言ってから通話を切った。
「里香さんにも報告しないと」
チャットアプリを立ち上げて谷口から聞いたことをテキストで送ると、すぐに既読がついて返信がくる。
『ワタシも調べた結果を伝えますね』
次のメッセージは大量のテキストが送られてきた。たまに絵文字が入っているのがかわいらしい。正人は画面をスクロールしながら熟読する。
ユーリはSNSアカウントを持っており、主に新人の探索者との交流に使っているようで、探索に有益な情報を発信している。インターネット上の人気は高い。時折、新人を食い物にしているといった意見も見かけるが、里香は嫉妬から来ているのではないかと予想しているようで、大きな問題ではないと結論を出していた。
最後に『ワタシはそう思わないんですが、見た目が良いので女性からは人気がある見たいです』との一文で締めくくられていた。
一通り目を通した正人は、携帯電話を操作してメッセージを入力する。
『ありがとう。すごく参考になったよ』
『よかった! どうします?』
『もう少しだけ考えたいかな。里香さんは、どう思った?』
人見知りだと自覚している正人は、誰かと仲良くなることに抵抗感がある。里香のように家族からの紹介であれば話は別だが、今回は全くの他人だ。人格を保証してくれる人はいない。
自分の目で見て判断するしかないのだ。信頼している里香からの意見も聞きたいと思うと同時に、無意識のうちに責任も分担したいと思っていた。
『ワタシたちは同業者のことを、あまりにも知らなさすぎた。そう感じています。今回の話は、良いきっかけなのかもしれないって思うようになっています』
急成長した新人にありがちなことではあるが、その中でも正人は同業とのつながりがほとんどない。困ったときに助けてくれる同僚や先輩はいない。
探索者関連で連絡先を知っているのは、里香と誠二、後は谷口だけだ。探索者として生きていくには、あまりにも人間関係が薄い。それを身軽だというのは強がりだろう。
◆◆◆
「何の後ろ盾もなく、実績もない探索者一人を消すのは容易い……トップは協会の意に反する行動をする探索者を無視するほど優しい組織ではないんですよ」
「俺たちは助け合わないと生きていけないんだからさ」
「協会から無茶な仕事を振られて、すげぇ苦労したこともあるなぁ……」
◆◆◆
正人は谷口とユーリにかけられた言葉を思い出していた。
探索者として先に進む。自分の意思を貫き通すためには、横のつながりは必要不可欠。里香に説得されたわけではないが、今回の話は良いきっかけなのかもしれないと、徐々に提案を受け入れる方に気持ちが傾いていく。
『なるほどね……。確かに同業者のことはよく分からないし、人脈もほとんどない。これは重要な視点かも。ありがとう』
だが、即断即決とはいかなかった。正人は自ら置かれた状況の欠点に気づきつつも、すぐに結論は出せない。あと一押しが足りなかった。
優柔不断と言ってしまうのは、それは少し酷だろう。冷たいダンジョンの床に横たわり、刻々と命が失われていく姿が忘れられない。もう一度、同じ経験だけはしたくないのだ。
『お役に立てたのであれば嬉しいです! 明日もダンジョンに行きますか?』
『うん。行こう。いつも通りの時間に迎えに行くね』
『よろしくお願いします!』
最後に、頭を下げたクマのスタンプが送られてメッセージは終了した。
正人は携帯電話をしまうと、ポケットから紙切れを取り出す。
ユーリの番号が書かれている。しばらく見つめていると、再びしまうのだった。
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