第45話兄さん、少し話そうか

 ユーリから話を持ち掛けられてから、一週間が経過しようとしていた。


 返答の期日が近い。そろそろ結論を出さなければならないが、正人は決断できないまま。深夜、リビングのソファーに座りながら、電源のついてないテレビをぼんやりと眺めていた。


「兄さん、だいぶ疲れているみたいだね」


 春は、しばらく何かに悩んでいる兄が心配になり、二人っきりになれる時間を狙っていた。


 両手には、薄めたコンソメスープが入ったマグカップが二つある。


「これ、どうぞ」


 春はその片方を一つ正人に渡した後、残ったマグカップを顔に近づけて一口飲む。

 全身が温まり体の力が抜けていき、ほぅと息を吐く。


「悩みなら聞くよ?」


 マグカップの中を見つめていた正人に声をかけた。

 爆睡中の烈火とは違い、春は親しい人間が悩んでいたら無視は出来ない。せめて話を聞いて、心の負担を軽くしてあげたいと考えての行動だった。


「春……」


 兄としてのプライドが邪魔をして断ろうとした正人だったが、思いとどまる。


 ぐるぐると同じことを悩んでいたのに、たった一晩で先に進めると思えない。明日には答えを出さなければいけない、切羽詰まった状態であれば、春に頼るのも良いだろうと思い直したのだ。


「そうだね。ちょっと話を聞いてもらえないかな?」


「よろこんで」


 春はそう言って薄く笑った。

 人を安心させ、抱えている悩みが大きければ大きいほど、話したくなるような表情だ。


「バカらしい話なんだけどさ。まったく知らない人と仲良くなるのが怖いんだよね」


 人とかかわるのが臆病な正人は、学生の頃から友達を作るのが苦手だった。成人してからもその傾向は変わらない。むしろ学校という場所がなくなった影響もあり改善はされていなかった。


 最近は里香といった新しい出会いもあって、多少は人との付き合いも増えてはきたが、それでも他人と仲良くなるのは抵抗感があった。


 特に探索者は職業柄、粗暴な人間も多いので苦手意識は強まるばかりだ。


「兄さんは、昔からそうだったね」


「うん。学生の頃や探索者になる前だったら、それでもよかったんだけど……。もう、そんな我がままは言ってられなくなって、これから先に進むためには必要なんだ」


 変わらなければいけないのは分かっているけど、どうしても前に進めない。

 そんなもどかしさを感じてしまい、正人は言葉が止まる。


「それって、もしかしたら、同業者の仲間が必要になったってことかな?」


 その気持ちを感じ取った春が、質問を投げかけることで会話が続く。


「そう、だね。認めるのは悔しいんだけど、私みたいな凡人は一人では無力だ。先に進めないみたいだ」


 正人は、スキル昇華を上手く使って成り上がるのではなく、バレないようにと隠れて過ごすことを目指していた。それは自分のことを凡人だからと評価していたからであり、無理をしてしまえば失敗すると思い込んでいたからに他ならない。


「兄さんが自分のことを凡人だと思うのなら、否定しないよ。でも、僕も烈火もそんな兄さんが好きだから。そんな人だからこそ、一緒にいたいと思っているんだから。そこは忘れないでね」


「ふふ、春にそんなことを言われるとは思わなかったよ。そうだね、ありがとう」


 弟に好きと言われてうれしくなり、思わず笑ってしまった。


「で、パーティーメンバーでも増やすの?」


「うーん。どうだろ? 良い相手がいれば増やしたいけど……」


「その様子だと、しばらくは二人で続ける感じになるのかな?」


「ごめん。正直、何も分からない。考えてないのかも」


 誠二が放った矢が里香の体を貫いたことが、今でも忘れられない。


 正人が、あの時の絶望感を味わいたくない。そう思ってしまうのも無理はないだろう。いずれメンバーは増やさなければいけないと分かっていても、積極的に探すような行動はしていなかった。


「ただ、もっと仲の良い探索者を増やそうと思っている。情報交換をしたり、たまにだったら一緒にダンジョンで探索をする。そんな関係の仲間、かな」


「兄さんはもっと人と交流した方がいいと思ってたんだ。その考えには賛成だよ」


 欠点をそのままにせず、乗り越えていこうという意思は尊い。

 春は前向きな感がみえる兄の姿に喜んでいた。


「なんだそれ。私は引きこもりの子供か」


「似たようなものじゃない?」


「……そうかもしれない」


 家族だからこそ言える軽口にお互いが、くすりと笑う。


「それで、何に悩んでいるの?」


「あぁ、相手が信頼できるかどうか見極められないなってね」


「難しい話だね」


「うん。答えがでない」


「それは当然だよ」


「え? そうなの? みんなこの人だったら信頼できる。そう思って、仲良くなってるんじゃないの?」


 春が肯定して正人は驚いた。


 人付き合いの苦手だからこその悩みだと考えていたのだが、実際は違う。多くの人が抱える悩みでもあったのだ。


「兄さん。そんなのは珍しいケースだよ。自分のことすら分からないのに、他人が信頼できるかどうかなんて、事前にわかるわけないじゃん。だから信頼するって、先に決めてから仲良くなるんだよ」


「先に、決める……」


 かみしめるようにゆっくりと、つぶやいた。


「そうそう。それで、一緒に話したり、遊んでいくなかで本当に信頼できてるのか、それとも違うのかを見極めるんだ。最初はあわないなと思っていても、時間をかけて付き合っていくうちに、お互いが変わっていって良い関係が築けるかもしれない。どうなるかなんて、だれにも分からないんだよ」


 最初は仲良くなる努力をする。その期間で相手を見極めろと、春は言う。


 信頼できると確信してから人と仲良くなると、考えていた正人と逆の発想だった。一人で考えていたら一生たどり着かなかったであろう答えに、感動すら覚えていた。


「他人に対して常に攻撃的だったりする"近づいちゃいけない人たち"とは、もちろん、お近づきにならなくていいと思うよ。でも、そうじゃなければチャレンジしてみたら? 価値観があわない。ダメだと思ったら、距離をとればいいんだし、ね」


 春の言葉が正人の心に、すっと入っていく。

 一週間近く悩んでいたことは、いつの間にか解決していた。


「そっか、そうだよね。一生仲良くしなければいけないわけではないよね」


「うん。学校みたいに毎日顔をあわせるわけじゃないんだし、"あ、違うな!"と思ったら、さーっと引いていけばいいんだよ。兄さん、そういうの得意でしょ?」


「得意って、相手が勝手に忘れるんだよ」


 あまり特徴のない正人は、グループを組むときには余り者になりやすく、女子の間では名前を覚えられないような存在だった。学生の時はそれほど地味で特徴がなかったのだから、元クラスメイトが今の正人をみたら、その変化に驚くことだろう。


「ふーん。きっと、その人は見る目がないんだね」


 兄を取るに足らない存在として扱っていた元クラスメイトにイラついた春だったが、すぐに気持ちを落ち着かせる。


「なんでそうなるんだ?」


「まぁ、いいじゃない。で、兄さんはどうしたいの?」


「今、声をかけてくれている人がいるんだけど、経歴も長い先輩なんだ。その人と仲良くなって、探索者って仕事をもっと理解していきたいと思ってる」


「分かった。応援しているよ」


 正人は悩みが解消された顔をしていた。

 それを見て春も嬉しくなる。前を向いて道を切り開く姿が見られると、ワクワクしていた。


「ありがとう。今日は話を聞いてくれて助かった。頼りない兄でごめんな」


「それこそ、なに言ってるの? 兄さんが兄さんになったときから、ずっと頼らせてもらっているよ。だから、たまには頼ってもわらないと」


 その後もしばらく談笑をしてから、二人はそれぞれの寝室に戻る。


 正人はベッドに入りながら携帯電話を操作して、『ユーリさんの提案を受け入れる』と、里香にメッセージを送るのだった。

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