第34話今が楽しいんだよ
買い物を楽しんだ二人は、時間を潰すために喫茶店へ入った。
窓際のソファー席に、向かいような形で座っている。里香の左右にはショッパーが置いてあり、水着や夏服、小物などが入っていた。
頼んでいたアイスコーヒーを飲むと、二人はようやく一息つけた。
「買いすぎてしまいました……」
「予定通りだし、すぐに稼げるようになるから心配しなくても大丈夫だよ」
探索用の武具だけではなく、水着や私服まで購入したので貯金残高はほぼゼロ。これから、ろくに食事が出来ないほどの貧乏生活に突入することが決まっている。
「探索再開までご飯をいただけるのはすごく助かりますが、本当に大丈夫なのでしょうか……?」
だが食費についての問題は解決していた。
正人が日々の食事の面倒をみると約束したのだ。昼と夜の二回、正人の家で一緒にご飯を食べることになっている。もちろん、兄弟にはグループチャットで連絡済みで、了承は得ていた。
探索できない期間は数日と決まっているため、家賃や光熱費の心配をする必要はない。食費の問題さえ解決すれば、何とかなる見通しは立っている。
「もちろんだよ。三人分も四人分も変わらないからね」
「ありがとうございます」
はたから見ると里香だけが一方的に得しているように見えるかもしれないが、正人にも狙いがある。女性が頻繁に来るようになることで、烈火が女性慣れすることを期待していた。
半泣きのまま裸足で出ていった烈火の姿が、正人の脳裏に強く焼き付いていたのだ。
「ううん。いいよ、まさか私服がほとんどないとは思いもしなかったよ」
学生だった頃は制服があった。土日は武術の訓練に明け暮れていたため、私服を着る機会は極端に少なかったのだ。
里香は一人暮らしを初めてようやく服の必要性に気づいて、正人に相談したのであった。
「中学校からは制服で過ごしてましたから。まさか外に出るための服が足りなくなるとは思いもしませんでした」
苦笑いしながらストローに口をつける。
失敗に恥ずかしくなった里香は、正人から視線を外して窓から外を見た。
若い男女が街を行き来している。
超高齢化社会になったとはいえ、渋谷は変わらず若者の街だ。学生服を着たままデートをする学生やカラオケボックスから出てくる集団など、多種多様な人が短い青春を謳歌していた。
「ん? あれ?」
里香につられて外を見ていた正人は、見慣れた姿を目にした。
女子高生二人に囲まれた春だ。楽しそうに話している姿は、過ぎ去ってしまった正人の青春時代を思い出させてくれる。
いや、正人には「放課後に友達と遊ぶ」といったことはしなかったので、そんな日々を過ごしたいと、願い、妄想していた時代を思い出しただけだった。
楽しく過ごせよと、心の中でつぶやいてから見送る予定だったが、偶然にも目が合った。その後、春の視線が横にスライドして、なぜか納得したような顔になる。
隣にいる女子高生に二つ、三つ言葉をかけると、春はその場から離れて喫茶店に入ってきた。
「兄さんが、こんな所にいるなんて珍しいね」
「まぁね。友達の方は大丈夫?」
「うん。ちょうど帰るところだったから。僕も同席して良いかな?」
正人が里香の方を見る。小さくうなずいていたの確認してから、腰を浮かしてソファーの端に寄る。
その空いた場所に春が座った。
「とりあえず自己紹介をしようか。隣に座ったのが弟の春。烈火の一つ上の兄になる」
正人が紹介すると、春は軽く頭を下げた。
つられて里香も頭を下げると口を開く。
「初めまして。立花里香です。正人さんと一緒にダンジョンを探索しています」
「兄さんが女性と二人で買い物するのが珍しいと思ったら、噂の里香さんだったんだ。初めまして、神宮春です。よろしくお願いしますね」
「噂・・・・・・ですか?」
知らないところで噂されたら気になってしまうもの。里香は思わず聞き返してしまった。
「うん。ちょっとね・・・・・・」
春が言い淀んでしまうのには理由があった。烈火の奇行だ。
女性とお付き合いすることへの憧れが非常に強く、里香の話題が出る度に軽くスネていたのだ。
普段は家族想いの良い弟ではあるが、女性が絡んだときだけはとても面倒な性格になることに、春は彼の将来を不安に思っていた。
むろん、そのことを初対面の里香に言うつもりもない。
「ほら、兄さんがパーティーを組んだって話までは聞いてけど、僕だけ会ったこともなかったから、どんな人なんだろうってずっと想像していたんですよね」
その場しのぎの言葉ではなく、これも春がずっと気にしていた。
烈火は元クラスメイトであり正人は仕事仲間。春だけが里香に会ったことがなく、少しだけ寂しく感じていたのだ。
家ではよく話題に上がるため、性格や容姿はなんとなく想像できていたが、やはり直接会うと印象は変わる。
日々、モンスターと戦っていたとは思えないほど、やや控えめで可愛らしいといった印象を受けたのだ。活発的な女性をイメージしていた春にとって、意外性の強い出来事ではあった。
「実際に会って、幻滅しました?」
「いやいや、むしろ逆に安心したかな。兄さんが家族以外の人と買い物に行く日が来るなんて、思っても見なかったし」
「ブフッ!」
アイスコーヒーを飲みながら話を聞いていた正人は、睨みつけるような顔をして春を見る。店に備え付けされた紙ナプキンで口を拭きながら質問をした。
「はーるー。それってどういう意味だ?」
「そのままだよ。事実でしょ?」
「私だって・・・・・・いや、確かに・・・・・・ないな・・・・・・」
正人は過去を振り返り、反論できるネタを探すが何も見つからない。
本人にしてみれば否定したいが、事実であると認めるしかなかったのだ。
「ほら! 昔からそうなんだよね。受け身じゃダメだよ」
春が追撃をすると正人がひるむ。軽く両手をあげて降参のポーズをとった。
ダンジョンで探索しているときの頼もしさは、見る影もない。
「……分かってるって」
「なら、良いんだけどね」
まだ言い足りない春だったが、正人を責めるのを中断して里香の方を向く。
人当たりのよさそうな笑顔になりながら話しかけた。
「まぁ、こんな頼りない兄貴だけど、これからもよろしくお願いします」
「頼りないなんて! そんなことありません!」
「そう、なんですか?」
理解できないといった感じの春を見て、里香はテーブルをバンと軽くたたいてから、腰を浮かして熱弁する。
「いつも頼りになっています! 正人さんがいるだけで安心しますし、危ないときは必ず助けてくれます。ワタシにとっては、目指すべき理想の探索者なんです!!」
気迫は本物で、嘘やお世辞のようには聞こえない。
春は本心で言っているのだと納得した。
「そ、そうなんだ。教えてくれてありがとう」
「すみません。ちょっと興奮しすぎました」
そう言うと里香は、頬をほんのりと赤くさせながらソファーに座り直す。
春が正人の方を見ると、自慢げな顔をしていた。ちょっとイラッとするが、何とか表には出さずに、里香に返事をする。
「いえいえ、気持ちは良く伝わりました」
にこやかな表情を保ったまま、正人に話しかける。
「ずっと気にしていたから、楽しそうで良かったよ」
「そうだね。今、とても楽しいよ」
今この瞬間の人生を楽しめているという言葉を聞けて、春の心に安堵が広がったのだ。正人が生活費や養育費を稼ぐために、自らを犠牲に働いていたのではないかと、ずっと気にしていたのだ。
その事実に里香は無関係ではない。むしろ重要な役割を果たしている。
一連の会話で春は、今の正人に里香は絶対に欠かすことのできない必要な存在なのだと確信する。
そうやって里香は、知らないうちに神宮家全員に認められる存在になったのだった。
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