第30話少しは好きになれました

 意識が薄れゆくなか、里香は人生を振り返っていた。


 高齢者が優遇される現代社会において、若い夫婦が子供を育てるのは、想像を絶するほどの困難が待ち受けている。


 年々、出費は増えていくのに、30歳、40歳になっても若手だと言われ、それを理由に給与は上がらない。食うのに困り、子供にも貧しい生活を強いてしまうこともよくある。ニュースとして取り上げられないほどには、一般的な状況だ。


 面倒を見る余裕はなく、増え続ける子育ての負担から逃げる大義名分として、「子供の将来」を理由にして、児童施設等へ預ける人が出ても不思議ではなかった。


 里香もそんな両親から施設に預けられて育っていった。

 生まれた時に施設に預けられ、肉親に会ったことはない。


 お世辞にも施設の環境は良いとはいえないが、それでも衣食住が保証されている。食事に困ることはない。三食は出る。ボリュームはやや少ないが、女性の里香にとっては十分ではあった――が、言い換えるとそれだけだ。


 施設にいる年上が年下の面倒を見る世界で、親が与えるような愛情なんて期待できない。生きる上で必要なことをしか教えられないため、戦う技術を教わる以外、まともな教育をされることはなかった。


 従順な性格であれば、施設の先生や先輩に怒られることはなく、体罰からも逃げられ、生かされ続ける。


 学校で何をしても追い出されることはなかったので、非行に走るものも多く、さらに高校から自由を求めて半グレ集団に入る者もいた。


 だが、子供たちがどんなにあがいても、最後は探索者になるしかなかった。

 それが施設の存在理由だからだ。


 税金で生かされた子供に職業選択の自由などない。もちろん表向きは違うし、ごく一部の優秀な人間は大学まで進学できる。しかし、多くは高校在学中もしくは卒業後に探索者にさせられるのだ。


(どうして、私の世界は未来が閉ざされているのだろう?)


 里香がそう思ってしまうのも無理はない。目の前に広がる現実と、外の世界のギャップが大きすぎるのだ。


 テレビや動画の中ではキラキラとした輝かしい世界があり、将来有望な若者がいっぱいいる。自由を謳歌し、無限の可能性が広がっているのだ。


 その一方。施設の先生は、中年や老人は保護されるべき存在であり、大切に敬うべきだと「あなたたちは、そのために生きなさいと」語る。


(私の人生は他人のために存在するの?)


 ずっと、里香が感じていたことだった。

 同年代の友達が遊んでいる間も必死に勉強はした。だが、凡人の彼女に、運命に逆らう力はなかった。施設から投資の価値はないと判断されてしまう。


 その結果が、施設から出て独り立ちして、探索者として活動することだった。


 幸運だったのは烈火と同じ高校に通っていたことだろう。

 探索者になって一人で死ぬ運命が大きく変わり、上向いたのだ。


 生まれて初めて経験した、人生が開けた感覚。

 里香は一生忘れることはないだろう。


 夢を見た時間は短かったが、夢を見ることすらできなかった時代を思い出すと、十六歳にして人生は十分楽しめたと思えたのだった。


「――――――さん!」


 ここ最近、聞きなれた声が里香の脳内に響いた。

 とたんに意識が過去ではなく、今を向く。


(そうだ、レベルアップして、それで……そっか、ワタシは死んじゃうのかな)


 思い出したのは、憤怒の表情を浮かべていた誠二だった。

 仲間を襲ったのだから怒るのも無理はないと、里香は勘違いしたまま納得する。


 痛みは感じないが、生きるための熱量が抜けていく感覚が分かる。


「――――里香さん!」


 正人には申し訳ない気持ちしかなかった。

 まさかレベルアップに耐えられないほど才能がないとは、思いもしなかったのだ。


 人より飛び抜けた才能が欲しいとは願わない。普通の人でいたいとも思わない。ただ、探索者として生きるために最低限必要な能力だけは欲しかった。


(せっかく仲良くなれたのに、もっと頑張りたかった)


 到底、満足な死とは言えない。

 あふれんばかりの未練が残っている。


「目を開けて! 生き残るんだ!」


 だから恩人である正人の声に、自然と従ってしまった。もしくは、施設で従順な幼少期を過ごした反射的な動きだったのかもしれない。


 いずれにせよ、彼女のターニングポイントは、この瞬間だった。


 重い瞼を上げる。

 その何気ない動作が、とても辛いが、時間をかけてしまえばこの暗闇から逃げ出せない。


 僅かに残った力を総動員して、目を開くと正人がいた。


「良かった!! これなら間に合う!」


 泣きながら喜ぶなんて器用な人だ。

 場違いな感想をもった里香は、ダンジョンの天井を見る。相変わらず無機質で冷たい印象があり、死が具現化されたような感覚に陥る。


 里香から「もっと生きたい」「まだ死にたくない」といった生への渇望が爆発的に高まる。だが、願うだけでは腹に開いた小さい穴は消えない。


「これを握ってから、覚えると強く思って!」


 朦朧とした意識のまま正人に導かれるようにして、里香は覚えると強く願う。


『自己回復、体内の魔力を消費して傷を回復する』


 脳内にスキルの使い方が流れ込む。

 一瞬にして、手足を動かすように無意識に使えるようになった。


 生存本能に従って、魔力を傷口に集中して傷を治していく。


 オーガのようにすぐに完治とはいかないが、流れ出す血は止まり、ゆっくりと穴が塞がれていった。数分で傷跡は残らず、キレイな肌がだけがある。


「あぁ、私は生きているんですね。生きていいんですね……」


 里香から一筋の涙が流れた。


「ご迷惑……を……かけました……」


 弱々しい声で里香が言うと、正人は首を二度、横に振って抱き上げる。


「暴走も終わったみたいで安心したよ。オーガも倒したし、みんな無事に帰れそうだね」


「誠二君は……」


「もう落ち着いているよ」


 正人の視線の先には、あぐらをかいてうつむいている誠二がいた。左右には冷夏とヒナタが立っていて、妙な行動を起こせばすぐに取り押さえるつもりだった。


「里香さんは無事に回復した。地上に向かいたいと思いますが、仲間を射った人と一緒に戻るつもりはありません。合同パーティはここで解散ってことにしたいんだけど、良いですか?」


「はい。もう彼の要望を聞く必要はありません」


「うん。それじゃ、先に部屋から出ていきますね」


 正人は三人から背を向けて、里香を抱えたまま歩き出す。


「あっ」


 冷夏が思わず声を出した。

 具体的に話したいことはないのだが、なぜかこのまま別れたくないと感じてしまったのだ。


 正人は足を止めて振り返る。


「どうしました?」


「あ、いえ……帰り道は気をつけてください」


 口に出た言葉は言いたかったことではないが、何も思いつかない冷夏は、そのまま黙ってしまった。


「ありがとうございます。そっちも気をつけてください。またオークやゴブリンが大量に出てくる可能性もありますからね」


 これで二人の会話は終わる。

 戦闘中は固く閉ざされていた鉄のドアに向かって、再び歩き出した。


「また、一緒に探索しようね!!」


 姿が見えなくなるころに、ヒナタが大声を出して言った。

 正人は足を止めることはしなかったが、片手をあげて応じる。


「よかったね! 姉さん!」


 冷夏の気持ちをヒナタが代弁したのだ。

 ここまでしてもらってようやく、冷夏は自分の気持ちが形になる。


 初めての冒険は、何度も大変な目にあった上に危険も多く、恐怖で体が動かない経験もした。それでも困難に立ち向かい、全力で戦った正人の姿がまぶしく、もう一度そばで見たいと感じていたのだ。


 クラスメイトが人気探索者の道明寺隼人の追っかけをしている気持ちが、冷夏はこの時初めて分かったような気がしたのだ。


「そうね。また一緒にダンジョンが探索できると良いね」


 元気な妹に返事をすると、冷夏は座り込んでいる誠二を、力づくで立たせようとしたのだった。

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