第29話俺は認めない!!
レベルアップとは、生物の格が一段階、上昇することを指す。
自分を基準とした強大なモンスターを倒すと、魔力が一気に増大し、体がつくり変わるのだ。そこに生物の意思が介入できる余地はない。
多くは突然襲い来る熱と痛みに耐えて無事に格が上がる。
だが、稀に失敗する場合もあった。
身体が耐え切れずに魔力が暴れだすのだ。
一般的にはレベルアップ時の「暴走」といった表現が使われる現象は、理性が完全に吹き飛び、魔力が尽きるまで周囲にあるものを攻撃し続けてしまう。
元に戻れる確率は50%ほど。運に任せるしかなかった。
「ああァァァァァァ!!」
里香が鼓膜を破壊するほどの甲高い悲鳴を上げた。
目の焦点はあっていない。背を丸めて息は荒く、歯をむき出しにして威嚇するように正人を見ていた。
「まさか、本当に暴走はあったんだ……」
レベルアップ時の暴走は発生率がかなり低く、有名であるが体験することはほぼない。当然、正人も存在は知っているが、まさかパーティーメンバーがなるとは思ってもみなかった。
魔力を使い果たすまで体を抑えるしかない。正人は覚悟を決める。
暴走をしているとは言え、レベル二と同等の能力を保有しているので余裕はない。
正人は先ほどのファイアーボールで魔力を使い切り、肉体強化を含む、全てのスキルは使用できない。
条件的にはほぼ同等。もしくは、理性から解き放たれ、全力を引き出せる里香の方が、やや有利と見ることも出来のだ。その事実が内心の焦りを加速させた。
「私が対処します。他の方は手を出さないでください」
だからといって、正人は他人に任せるつもりはなかった。
レベル差があるので足手まといになるといった考えもあるが、それとは別に、他の誰かではなく自分が助けたいと思ってしまったのだ。
お互いに助け合い、仲を深めた里香が困っているのに、自分が助けないわけにはいかない。誰かの手も借りたくない。独占欲ではなく責任感、もしくは恩返し、そういった気持ちが正人を支配していた。
「グルルルッ」
「里香さん……」
今にも泣き出しそうな声で、名を呼んだ。
それが引き金となり、里香が正人にとびかかる。
「グァッ!!」
正人は右足を軸にくるりと回転して里香の背後から抱き着くが、勢いは殺すことはできなかった。バランスを崩して、二人とも倒れこむ。里香は、あおむけのまま逃げ出そうとして必死に暴れるが、正人は手足をガッチリと押さえつけて動きを阻止していた。
純粋な力は正人の方が上回っているので、抜け出すことはできない
四肢を自由に動かせない里香は、唯一自由できる頭を動かして正人の腕にかみついた。
「イタッ!」
反射的に力を抜いてしまい、その隙に抜け出されてしまった。さらに悪いことに、仰向けになったままの正人に乗りかかり、マウントを取られてしまう。
かろうじて腕の自由までは奪われていないが、太ももでガッチリと体を固定されてしまい、体をよじっても脱出はできない。
「お、落ち着くん――ブッ」
ほほを殴られて、赤くはれる。
理性を失っている里香に静止の声は届かない。
二度目のパンチは、正人がこぶしを手で受け止めて防いだ。もう一方も同様だ。お互いの手が絡み合い、力比べが始まる。
「ハッ、ハッ、フッ」
荒い息が正人の耳に届く。里香から垂れ流されたよだれが、赤くなったほほに、たれ落ちた。
里香の顔が急接近する。頭突きだ。
正人は首を動かしてかろうじてかわすと、横で「ゴンッ」と激しい音がした。ダンジョンの床にぶつけてしまい、顔を上げた里香のおでこからは、血が流れ出ている。
だが、そんな傷で動きを止めることはない。避けられたのであれば、当たるまで続ければいいだけだと言わんばかりに、のけぞり、勢いをつけて再び頭突きをしよとする。
「これ以上、顔を傷つけたらダメだよ!!」
里香の重心が後ろに移動した瞬間に腰を浮かせてねじり、払いのけてマウントの体制から逃げ出した。
今度は正人がマウントを取ろうとして、倒れている里香に襲いかかるが、抵抗も激しい。お互いに抱き合いながらゴロゴロと転がっていく。最後は壁にぶつかって止まった。
「お姉ちゃん、行くよ!」
「え、う、うん!」
正人に見てろと言われたヒナタだったが、我慢できる性格ではなかった。二人が絡み合い、止まったところで加勢に出る。一歩遅れて、勢いに押された冷夏も走り出した。
「二人で足を抑えます!!」
ヒナタが左足をつかむと、冷夏が右足を持つ。
レベル差があるとはいえ、足一本だけなら拮抗はできる。息の合った双子の連携プレーによって正人の負担が大きく減った。
「このあとは、どうすれば良いんですか!?」
「力尽きるまで待つだけです!!」
「ど、どのぐらいですか?」
「わかりません!!」
正人の答えに冷夏は愕然とした。
足一本を抑えるのに全力を出している。一瞬でも力が弱まれば、すぐに逃げ出されてしまう。油断できない状況が続き、終わりが見えないのだ。一分ならなんとかなる。でも、五分、十分は? 無理だろう。気力も体力も続かない。
冷夏がヒナタを見ると、ほほが引きつっていた。同じような気持ちをいただいているのは間違いなかった。
「ああァァァァ!!」
叫び声をあげた里香の動きが激しくなる。
無意識にセーブされていた肉体の枷が外れて、ブチブチと嫌な音を立ててながらも力が増す。もう誰も止められない。正人は体をつかまれると、ボールのように投げられた。二回バウンドしてからゴロゴロと転がり、地面に横たわる。
里香が足を振り上げただけで、冷夏とヒナタも飛ばされてしまった。
この場で無事なのは誠二だけだが、全身から冷や汗が出て足がガタガタと震えて動けそうにない。
オーガには果敢に戦いを挑んだが、獣のように豹変した里香を見て、その勇気も今は奮い立たなかった。
長い間、夢見ていたレベルアップの現実に恐怖し、もしかしたら自分も同じようになるのではないか。そんな思いに縛られているのだ。
口の端を上げて薄く笑う里香が、一歩、二歩と近づいてきた。
無抵抗な獲物を見て、喜んでいるようにも見える。
「こ、こないでくれ!」
震える手で矢をつがえる。ガタガタと矢が音を立てて狙いは定まらない。
「誠二君! やめるんだ!」
正人は頭を押さえながら立ち上がる。しかし声は届かない。
弦を引いて何時でも放てる態勢をとった。
「これ以上……近づかないでくれッ!!」
「矢を誰に向けていると思うんだ! 冷静になってくれ!」
「俺は冷静だ!! レベルアップが、こんなものなんて信じない! オーガの呪いにかかっているんだろ!!」
探索者にとって、レベルアップは憧れだ。
圧倒的な強さを手に入れるだけではない、試練を乗り越えたと評価され、業界内での地位や発言権も格段に上がる。日本人の最高記録、レベル四を達成した道明寺隼人のように、女性にだってモテるだろうし、望んで手に入らないものはなくなる。
隼人の圧倒的な強さと、それに裏付けられた自身に満ちあふれた態度に憧れた誠二は、レベルアップに対して人一倍強い思いがあったのだ。
「絶対に認めない! レベルアップで、こんなことになるなんてッ!!」
怒りが恐怖を上回った。誠二の手の震えが止まる。
ギリギリと音を立てながら限界まで弦を引く。
わずかに残った理性が働き、狙いを頭から腹部へと移っていった。
「バカッ!! やめろと言っただろ!!」
「うるさい! うるさい! うるさい!!!」
正人の静止を自らの声でかき消し、ついに矢が放たれた。
弾丸のように早く、一直線に進み、狙い通り腹の中心に刺さり、抜けていく。
遅れて里香は体の異変に気付いた。穴の開いた腹に手を当てると、ペンキで塗ったように赤くなる。遅れて熱されたような痛みが全身を襲い、目の中に理性の光がともる。
「あ、あぁ……」
すべてを察した里香は、誠二に微笑みを向ける。
糸が切れた人形のように倒れた。
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