応援コメント

魏朝使者御一行様の渡航ルート」への応援コメント

  • 卑弥呼様が降臨してアレの証拠隠滅を頼まれちゃった~
    を先に読ませていただきました。着眼点や構成も面白く楽しかったです。また、自分の見落としに気付かされたこともあり、ありがとうございました。

    ただ、この部分に引っかかりましたのでいらん世話かもですが
    >>「半島南岸狗邪韓国から宗像付近への上陸を目指すなら、対馬-壱岐ー宗像ルートではなく、対馬ー沖ノ島-宗像ルートを辿った筈だ」
     というわけです。先般、世界文化遺産に登録された、あの沖ノ島です。

    壱岐-宗像の関りは深く宗像氏が壱岐守護を勤めていたり宗像神社が壱岐や対馬南部に多かったりとか、中間地点にある小呂島が宗像大社領だったり、神功皇后や元寇などを調べられるといろいろ出てきますよ。鐘崎の織幡神社は代々壱岐氏が神職だったりとか、壱岐にルーツがある方が宗像には多かったりとか。
    まぁそれが弥生時代からの航路の絶対的な裏付けになるかは何ともですが…。ちなみに宗像から壱岐は目視できます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。大変励みになります。
    宗像氏と壱岐の関わりというのは、不勉強にして考慮不足でした。ご指摘ありがとうございます。
    結局、総合判断つまり「蓋然性」ですね。幸田が末廬国宗像説を採らないのは。
    当節の後に続く「伊都国」の意義を考えると、末廬国唐津説に軍配が上がると考えているわけですが、その辺の解説が拙速だったかもしれません。もう少し練ってみます。