第59話「私怨」

 俺がリュックに手を突っ込んだのを見て、【銀翼ぎんよく】と【断黒だんこく】は、一斉に飛びのいた。

 リュックから取り出したのは、馬車の窓から集めた霧。

 それでなくとも濃かった霧は倍の濃さになり、【銀翼】たちの視界を完全に遮る。

 そのすきに、アミノとロウリー、そしてマグリアの背中をポンとたたき、俺たちは霧の奥深くへと逃げ込むことができた。

 俺たちの作戦における役割は、おとりと陽動。

 敵の最強の戦力である【銀翼】と【断黒】をこの場に引き留めただけで、目的はほぼ達している。

 なにも好き好んで新旧の最強冒険者と戦う必要はなかった。


「そろそろ大丈夫だと思うよ」


 しばらく息を殺しながら走り、小高い丘を越えたあたりでロウリーの声がかかった。

 あまり背の高くない木の陰に隠れて、一息つく。

 その間も、ロウリーはギフトの力で気配を遮断して偵察し、周囲の空気の振動をアーティファクトで感知して回っていた。


「なんだろ、あいつら追う気はないみたいだ。最初の場所からほとんど動いてない」


 霧の中から浮かび上がるように現れたロウリーが、難しい顔をしてそう告げる。

 うまく逃げ切ったはずが、俺は【銀翼】たちの行動に、わずかな不安を感じた。


「……ロウリー、【銀翼】たちの会話をキャッチできるか?」


「ええっと……うん大丈夫、よく聞こえる」


 耳に手を添えて、霧の向こうへと向ける。

 ロウリーが、アーティファクトの調整を終えると、【銀翼】と【断黒】の会話が、まるでその場に居るかのように、俺たちの目の前から聞こえ始めた。


『――しらけた。もう俺様は帰るぜ』


『好きにする……がいい。われは【運び屋】の仲……間を殺しに行く』


『はっ、ずいぶん仕事熱心だな【断黒】さんはよ』


『それ……が最も、あの男に苦痛……を与える』


『……ああ、それもそうか。いいなそれ。で? どの仲間を殺す?』


『離反した冒……険者は、ほとんど砦に居……る。殺……し放題……だ』


 くぐもった笑い声と共に、【断黒】が体を動かすたびにガチャガチャと鳴っていた鎧の音が、すっと消える。

 気配を消し、空間そのものを切り裂く【断黒】の不意打ちは、砦の中であろうと関係なく、仲間を襲うだろうと容易に想像できた。


『おい待てよ! 俺様も行くぜ。砦の入り口を中から開けてくれ』


 慌てた様子の【銀翼】が、馬を引き、走り出す。

 遠ざかってゆく蹄鉄の音を聞いて、俺は立ち上がった。


「ロウリー、だれでもいい、砦に残っている冒険者に、【銀翼】と【断黒】が向かっていることを知らせてくれ」


「わかった」


 【豪拳ごうけん】や【静謐せいひつ】は出払っているとはいえ、砦にはまだ第五層レベルの冒険者が何人もいるのだ。

 どんな敵がいつ来るのかを知り、警戒さえ怠らなければ、そうそう容易たやすく殺されはしないだろう。

 しかし、だからと言って俺への私怨のために襲われる仲間を放っておくことはできなかった。

 すぐにでも駆け付けたいところだが、馬車どころか馬も護衛の聖堂騎士団も【断黒】にひと撫でにされている。

 相手は騎馬、こちらは徒歩。

 追いつくまでにはかなりの時間がかかりそうだった。


「……とにかく、少しでも急いで砦に戻ろう」


「戻るのですかにゃ?」


「ああ、当然だ」


「もしかしてもしかして、お急ぎですかにゃ?」


 一刻を争う事態だというのに、マグリアの瞳には面白そうな輝きがある。

 俺は短くうなずき、急いでいると示した。


「だったらこれの出番にゃん! 【静謐】にゃんから借りた、飛竜のアーティファクトですにゃ!」


 霧の空へ向けて、マグリアの拳が突き出される。

 その指には、見慣れない指輪が輝いていた。

 やがて、上空から羽ばたきの音が近づいてくる。

 周囲の霧を打ち払い現れたのは、街から脱出する際にも使ったワイバーンだった。

 背中には二人乗りの蔵がつけられている。

 マグリアは指輪をかざしたまま、素早くワイバーンの背に乗った。


「さぁさぁ早くするのにゃ! 前回はベアにゃんのリュックの中だったけど、今回は空を飛べるの超楽しみなのにゃ!」


 マグリアのその言葉に、アミノとロウリーは顔を見合わせる。

 ワイバーンは通常二~三人乗りだ。

 少なくともどちらかは、俺のリュックに入ってもらったほうがいいだろう。

 そう考えた俺が声をかけるより早く、二人はワイバーンの背中へと駆け上った。


「おいおい、ワイバーンにはそんなにいっぺんに乗れないぞ」


「大丈夫だよ! あたしら軽いから!」


「そうですよ! マグリアさんと合わせても大柄な冒険者一人ぶんしかありません!」


「いや、体重的にはその通りだが、騎乗するための鞍が二人用だ。馬と違って落ちたらただじゃすまないんだぞ」


 大丈夫大丈夫と二人に引っ張り上げられ、俺は鞍に収まる。

 前の席にマグリア、後ろの席に俺。

 アミノとロウリーは、俺たちの間に体を滑り込ませた。

 仕方なく、二人を抱きかかえるようにしながら、さらにマグリアの腰を支える。


「いいか、上空ではおとなしく――」


 注意するより早く、マグリアの手綱が引き絞られる。

 ワイバーンは一気に霧を裂き、太陽の輝く大空へと昇った。


「ひゃっほー!」

「きゃあー! すごい!」

「んにゃははは!」


 三者三様の歓声に合わせ、ワイバーンの翼が力強く空を打つ。

 俺たち【運び屋】パーティーは、ワイバーンに運ばれ、一路砦へと向かうのだった。

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