六層の行方

第57話「襲来」

 早朝のウィルトシャー平原は霧に包まれていた。

 前後を聖堂騎士団に守られた馬車は、霧の海を漂う小舟のように進み、俺たちは黙ったまま揺られている。

 王国会議の会場となる、今はもう遺棄されて久しい古城へは、数時間で到着する予定だった。


「……静かだな」


 馬車の車輪は大きな音を立て、前後を守る騎馬の足音も地鳴りのように響いてはいたが、俺は思わずそうつぶやかずにはいられない。

 向かい側に座るアミノとロウリーが、アロースリットから外をうかがったが、やはり霧が濃く、何も見えない様子だった。

 隣に座るプリスニスが、深くかぶったフードの奥で身じろぎをする。

 俺は落ち着くようにと肩に手を置いた。


「……あっ?」


 突然、ロウリーが小さく声を上げる。

 何事かと聞き返す間もなく、ロウリーが大声を上げた。


「みんなっ! かがめー!!」


 馬車の狭い床へと、俺たちは身を投げ出す。

 刹那、馬車の天井が、黒い影と共に薙ぎ払われた。

 ほかの三人より背の高い俺の髪も、一部持っていかれる。

 振り返れば、首のない馬と上半身のない御者の体が、左右にどさりと落ちるのが見えた。

 馬の死体に引きずられ、馬車は吹き飛ぶ。

 湿った草原を転がった俺の周囲に、アミノとロウリー、そしてプリスニスが空中で体勢を立て直して着地した。


「おおい! バカかてめー! 姫さんは殺すなって言われたろうが!」


「さえずる……な。生き……ている」


「結果の話じゃねぇ! 殺す気満々だったくせしやがって!」


 騒々しい声が、馬の足音と共にぐるりと近づく。

 立ち上がり、プリスニスを背後に隠した俺は、聞き覚えのある声に思わず名前を呼んだ。


「アルシンか?!」


「はっ! 気やすく名前で呼ぶんじゃねぇよクソ【運び屋】がぁ!」


 名前を呼ばれ、顔を隠していたマスクを外した【銀翼ぎんよく】アルシンは、二つ名のもとになった二振りの銀色に輝く剣に手をかけ、馬上から俺たちを見下ろしていた。

 その背後、こちらも見覚えのある漆黒の鎧が、巨大な黒い剣を手に馬から降りる。

 その暗い瞳はまっすぐに俺を見つめ、視線だけで心臓が止まりそうな重圧を投げつけていた。


「あれ? 兄ちゃん! そっちの黒いやつ、ギフト用武器はぶっ壊したはずじゃね?」


 禍々まがまがしい瘴気のようなものをまとった【断黒だんこく】の剣を見て、ロウリーが声を上げる。

 彼女の疑問ももっともだ。

 二つ名持ちのギフト専用武器ともなれば、莫大な魔力マナを込める必要がある。

 その莫大な魔力量に耐えうる刀身を鍛え上げることも容易ではないため、たった数日で新しいギフト専用武器を作りなおすなど、到底できるとは思えなかった。

 驚く俺たちに気をよくしたアルシンは、まるで我がことのように胸を張り、さも楽しそうに笑った。


「おいおい、お前ら貧乏冒険者と一緒にするんじゃねぇよ! みたいに国に認められた衛士えじにはよぉ、いざと言うときの予備がちゃんと用意されてんだよ!」


「衛士に? そうか、良かったなアル……いや、【銀翼】」


 あの事件以来冒険者としての【銀翼】のうわさは聞かなくなっていたのだ。

 不幸な行き違いから敵対することになったとはいえ、思わずそんな言葉が出てしまっても仕方がないだろう。

 しかし【銀翼】は、俺の言葉に顔色を変え、両剣イカロスを抜き放った。


「……クソがっ! クソがクソがクソがクソがクソがぁぁぁ! このクッソ【運び屋】がぁっ!!」


 【銀翼】があぶみを蹴って飛び上がる。

 あまりの脚力に、金属の鐙はひね曲がり、馬は地面に打ち倒された。

 それでもアルシンは、【銀翼】の名のとおりに銀の翼を広げ、宙を舞う。

 何度も近くでその攻撃がモンスターを切り裂く姿を見ていた俺は、なんとか反応し、飛び退すさった。

 一瞬前まで俺の立っていた地面が、霧と共に吹き飛ぶ。

 息をつく間もなく、目の前を漆黒の大剣が横切った。

 前髪が数本ちぎれ飛ぶ。

 無理やり体をそらし、後ろへもう一度飛んだ身体が、プリスニスにぶつかった。


「んにゃ!」


「大丈夫か? プリスニス!」


 手を引いて助け上げたプリスニスのフードがめくれ上がり、茶色と黒のまだら模様のネコミミが、ぴょこんと顔を出した。


「にゃんのにゃんの。これくらいへっちゃらですにゃん!」


「おい、プリスニス、耳、耳!」


「おっと、失礼しましたにゃん」


 慌ててフードをかぶりなおしたマグリアプリスニスを見て、【銀翼】は剣を地面に突き立てた。


「……おとりかよ……。やってくれるじゃねぇか【運び屋】ぁ!」


「いや、俺の作戦じゃない。アングリアは必ず刺客を差し向けるだろうという【静謐せいひつ】の――」


「誰の作戦だろうが関係ねぇだろうが! ほんとテメーは脳みそクソだな!」


 言われてみれば確かにそうだが、これはすべて【静謐】の考えた策だ。

 それをまるで俺の手柄のように言われては困る。

 言い返そうとした俺の頭上から、もう一度黒い剣が襲った。

 間一髪、アミノのパイルバンカーが、剣の横腹を弾き飛ばす。

 バランスを崩した【断黒】は、前回の経験からか、剣を俺から隠すように、背後で構えなおした。


「おい【断黒】よ! こいつらはおとりだ、引き返そうぜ」


「問題な……い。我は【運び屋】を殺……すのみ」


「……そういわれりゃそうだな」


 両剣イカロスを構えなおした【銀翼】が、【断黒】の脇に並ぶ。

 新旧の最強冒険者が放つ殺気に、俺はごくりと唾をのみ、リュックに手を突っ込んだ。

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