第56話「インタールード」
晴れ渡る青空の下、集結した冒険者の数は五百人を超えた。
王国間会議の前日、あのプリスニスとの極秘の会談より三日目のことだ。
アングリア脱出の時と同じく、俺のギフトとワイバーンにより集まったもの四百人。檄文を受け、独自の手段で集まったもの百人。
俺の脱出作戦に賛同し、初めから協力してくれた第五層冒険者三十名に、プリスニスの私兵である聖堂騎士団百五十名と、不穏なドゥムノニアの情勢を嗅ぎつけて集まった傭兵百名、第六層直通路の警備をしていたドゥムノニア兵のうち、プリスニスへの恭順を誓ったもの五百名を合わせれば、総勢千三百名ほどの戦力となった。
「間に合いましたね」
「あぁ。十万以上もの軍に対抗できるかと考えると心もとないが」
ドゥムノニア兵の築いていた砦を補強した櫓の上で、冒険者たちを眺める俺に【
その晴れ晴れとした表情に、俺は同じような顔で答えることはできなかった。
「そう悲観したものでもないでしょう。第三層以上の冒険者は八割がた集まっていますし、ギフト持ちも多い。それだけで一国の軍とも対等に渡り合えます」
「そうかもしれないな……だが、本当にこれでよかったのか? 俺はまた、自分の勝手な思いに皆を巻き込んでしまっているのでは――」
「ベーアにゃんっ」
深刻な顔をしていた俺の頬が、突然肉球でむにっと挟まれる。
振り返るとそこには、目を細めたマグリアの姿があった。
「またこの世の終わりみたいな顔をしてますにゃ」
「いや、さすがにそんな顔はしてないだろう」
「してますにゃ。表現が悪ければ『晩御飯がクソマズかったみたいな顔』ですかにゃん」
むにゅむにゅと俺の頬を肉球でマッサージして、マグリアが笑う。
俺も、つられて頬をゆるめながら、マグリアの手を顔から離した。
「まるで『世界の終わり』と『晩飯がマズい』のが同じみたいな言い方だな」
「絶望感は似たようなものですにゃん。だからきっとベアにゃんの悩みも同じ範囲ですにゃ」
世界の終わりと飯がマズいの間。
そう考えればそうかもしれない。
明日世界が終わるわけでもないし、こんな何もない場所でも飯はうまい。
まだ悩みが晴れることはなかったが、それでも俺は笑うことができた。
「まぁあとはベアにゃんと【聖王女】さまが、明日の王国間会議にどう話をつけるかにかかってますにゃん」
「そうです。戦争は目的ではありませんからね。戦うことができる戦力……抑止力を持っていることが、今は重要なのですよ」
マグリアの言葉を【静謐】が引き継ぐ。
明日、俺はプリスニスとわずかな手勢と共に、王国間会議へと乗り込むことになっていた。
プリスニスのつてを使って、七王国のうち三国から会議参加の同意と、二国の「拒否はしない」という書面をもらっている。
確かにここまでは順調だ。望外の幸運といってもいいだろう。
あとは――。
「ベアさん! こんなところにいたんですか!」
「兄ちゃん見っけたぁ~!」
突然、階段から飛ぶように現れたアミノとロウリーが、大声で叫んだ。
振り返るより早く、アミノは腰に、ロウリーは首に飛びつく。
一緒になって吹き飛ばされながら、俺は何とか踏みとどまった。
「んぐっ……! お……お前らあぶないだろ」
「なに言ってるんですか! 明日は王国間会議に出席するんですから、お風呂に入ってくださいって言いましたよね!」
「そーだぞ兄ちゃん! きったないヒゲ剃れ!」
「いや、戦場で風呂なんて――」
「問答無用だぁ~!」
どこに隠し持っていたのか、ロウリーが俺に頭から
「ぶぁっ?!」
「あっはは! どうだー! これで風呂ギライの兄ちゃんも体洗う気になったろ!」
得意満面のロウリーを首からぶら下げたまま、顔にかかった髪の毛をかき上げる。
ふと下へ視線を向けると、巻き添えでびしょ濡れになったアミノが、無言で俺から離れるのが見えた。
ぽた、ぽた。
つややかな黒髪からしずくを滴らせ、アミノは目を伏せている。
その殺気をはらんだ空気に、爆笑していたロウリーの顔から、すっと血の気が引いた。
「……ロ・ウ・リーぃぃぃぃ!」
ゆっくりと、アミノが顔を上げる。
いつも通りの美しい顔。
そこに張り付いた笑顔は、ひくひくと引きつっていた。
「もう! ロウリー! どうしていつもそう考え無しに行動するの?!」
「うわ! ストップ! ストーップ! 不可抗力! 不可抗力だって!」
じゃれあう子犬のように、二人は俺の周りをぐるぐると走り回る。
狭い櫓の上だ。足を踏み外しでもしたら大変なことになる。
しかし、ギフト持ちの身体能力で全力疾走する二人は、そう簡単には止められない。
「おいおい、二人ともあぶないぞ! 風呂には入るからおとなしくしてくれ」
「ベアさんは黙っててください!」
「そーだ! 兄ちゃんは黙ってろって!」
なぜか追いかけっこに夢中になっているロウリーにまで一喝され、俺は頭を抱える。
それを見て笑う【静謐】も含めた俺たちの頭上に、突然直径数メートルはあろうかと言う「お湯の球」が、ぼんっと出現した。
次の瞬間、お湯の球は重力に従って落下し、俺たち全員をずぶ濡れにする。
なにがなんだかわからないが、さすがに動きの止まったアミノとロウリーを、俺はやっと捕まえることができた。
「……どうして私まで巻き添えになったんですかね? マグリアさん」
ぐっしょり濡れた【静謐】が、どこからか取り出したハンカチで顔をふく。
その「マグリア」という言葉に、俺と、両脇に抱えられたアミノとロウリーも、眼帯のネコミミ魔術師へと視線を上げた。
「にゃはは、ちょっと大きさをミスったにゃん」
自分自身の魔法で濡れネズミ……いや、濡れネコになったマグリアが悲しげに笑う。
その姿を見て怒る気力もなくなったアミノたちを抱えて、俺は風呂へと向かった。
いろいろと心配は尽きない。
それでも今は、こうして笑っていられることを、神に感謝しながら。
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